平和を実現するにはどうすればいいかを考える。
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トラブルの事例
さて。ここで、ヒントとなる逸話(エピソード)がある。朝日新聞のコラムで、金メダリストが自分の体験記を述べていた。トラブルに遭遇した事例。
雪道のぬかるみに自動車が はまって、動けなくなってしまった。どうにもならないまま、悪戦苦闘していると、他の車が寄ってきて、ワイヤで引いて助けてくれた。お礼をしようとしたが、相手は「礼は不要」と言って、立ち去った。
そこで彼は思った。「ならばお返しに、今度は自分がいつか誰かを助けよう」と。そしてロープを買った。すると数日後、同じように雪道のぬかるみに はまって、動けなくなっている自動車が2台あった。助けようかと思ったが、自分はとても急いでいるので、今は立ち去ろうと思った。しかし、思い出した。あのとき自分はどれほど助けられたことか。
そこで、考えを改めて、助けることにした。実際にやってみると、2台の合計で5分ほどで済んだので、たいした手間ではなかった。
原文は下記。
→ (ロケットトーク)人生折り返し、だれかのために 清水宏保:朝日新聞

これは、エゴイズムとは逆の話だ。善意と自己犠牲の話だ。ではどうして、こういうことが成立するのか? 人間の本性がエゴイズムだとしたら、なぜこういうことが起こるのか?
理由はいくつか考えられる。
(1) 人は全員がエゴイストであるわけではない。善意ある人々も多い。
(2) 1人の人を見ても、エゴイズムに凝り固まっているわけえでゃない。エゴイズムを備えていても、同時に、善意や自己犠牲の心を持つ人も多い。
(3) 日本人はもともとエゴイストが強くない。肉食でテストステロンの多い欧米人と違って、植物食でテストステロンの少ない日本人は、我欲が少ない。そのせいで、社会におけるエゴの衝突が少ないし、泥棒も少ないし、治安がいい。
実際、日本の治安の良さは、世界のなかでも例外的だ。そのことは、データでも明らかだ。下記にグラフがある。
→ 図録▽犯罪率の国際比較(OECD諸国)
→ 国際比較で見た日本の「安全」 | nippon.com
→ 国連薬物犯罪事務所(UNODC)犯罪統計
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要するに、エゴイズムゆえに悪魔性が生じるとしても、それだけで話が済むわけではない。人間は多面的であり、悪魔性だけで話が片付くわけでもない。
たしかに、人間にはエゴイズムゆえの悪魔性があり、そのせいで戦争は避けがたいとも言えるのだが、同時に、悪魔性以外のものがあるがゆえに、単にエゴイズムや悪魔性だけで話が済むわけではない。
では、どう理解すればいいのか?
善意の社会
ここで、上のヒントとなる話を思い出そう。そこでは相互的な助け合いによる善意の社会が成立した。では、どうしてそれが成立したのか?
「人々が利己的ではなく利他的だからだ」
という説が成立しそうだが、そういうわけでもない。なぜなら、そこでは、単純な利他的な行動を取っているわけではないからだ。
数字で言えば、「他人は 100を得て、自分は 100を失う」というふうにはならず、「他人は 100を得て、自分は 10を失う」というふうになるからだ。
ここでは、他人が大幅に利益を得る一方で、自分のこうむる損失は少ない。そのせいで、双方の全体では、利益の総和は増えている。
つまり、人々が相互的な助け合いをすることで、社会全体の利益の総和は増えるのだ。
そして、そのことで、自分自身もいつかは(めぐりめぐって)利益を得るようになる。
これは、「情けは人のためならず」(自分のためになる)ということでもある。
こういう原理があると、人々は相互的な助け合いをするようになる。特にそうしろと義務づけなくても、自発的にそうするようになる。全員がそうするようになるわけではなく、あくまでエゴイスティックにふるまう人もいるが、そういう つまはじきになるような人は別として、かなり多くの人が善意にふるまうようになる。
こうして善意のある社会が構築される。
以上の話は、示唆的だろう。
※ 長くなったので、中断します。次項に続きます。
大変示唆的ですが、さらなる続きが楽しみです😁