悪魔を脱するためにはどうすればいいか?
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悪魔と平和主義
人間は悪魔である。少なくとも、その内部に悪魔を含む。エゴイズムゆえに。……そう述べた。
では、エゴイズムのかわりに,別のものを取ればどうか? たとえば、平和主義なら? 平和主義を取れば、悪魔であることを脱せるか?
その例は、イスラエルを見ればわかる。イスラエルはこれまでずっと、平和を望んでいた。ハマスの攻勢にさらされ、ミサイルや民間人急襲の攻撃に怯え続けた。マスコミが報道するのはハマスの大々的な攻撃だけだが、それ以外にも小規模な攻撃がたびたびあって、イスラエル国民は常に怯え続けた。
→ 武力と平和主義 .2(コメント欄 3月08日 16:48 )
イスラエル国民は、ハマスの攻勢に怯えたので、このうえなく平和を望んだ。「殺されない日々を。平穏な日々を。平和な日々を」と強く望んだ。何よりも強く望んだ。
だからこそ、彼らはパレスチナを撲滅することを望んだ。パレスチナが存在する限り、彼らは安心して眠ることはできない。平和を達成するためには、平和を壊す敵を消滅させるしかない。……そう思ったので、パレスチナ人を絶滅させることを願った。かくて、イスラエルはガザの大虐殺を平然とするようになった。
こうしてわかるだろう。ガザの大虐殺をもたらすものは、平和主義なのである。何よりも平和を望むからこそ、人は他人を大虐殺するようになるのだ。
というわけで、「平和主義があれば悪魔になることを避けられる」という方針は成立しない。むしろ、その逆だ。平和主義こそ、人を悪魔に転じさせるのだ。
ちなみに、東京大空襲や原爆に発を落として、数十万人もの市民を殺したとき、米国は平和主義を取った。「一日でも早く平和をもたらすために、原爆は必要だったし、東京大空襲も必要だった」と。
ここでも「平和主義が人を悪魔に転じさせる」ということが成立する。
※ 最近話題の「オッペンハイマー」も、この原爆の問題を扱っている。ただし大量の死者が出たことの描写はまったくない。
※ パレスチナで言うなら、イスラエルは最終的にはパレスチナ人の絶滅を目標としている。パレスチナ人を一人残らず抹殺して、絶滅させて、パレスチナの土地のすべてを奪い取ろうとしている。なぜなら、そのことは、旧約聖書に規定してあるからだ。「パレスチナの土地は神がユダヤ人に与えた土地である」と。
→ https://x.gd/DJXid
こうして彼らは、聖書に従って、正義の美名によって、パレスチナの土地をすべて奪い取ろうとする。そこでは「共存」などはまったく認めようとしない。
かくて、最終的には、パレスチナ人は滅ぼされることになる。カルタゴのように。
そして、そのときイスラエル人は「ついに平和が達成した! 平和は素晴らしい!」と快哉を叫ぶ。
平和主義こそ、人を悪魔にするのだ。

対策は?
以上の話を読むと、読者は不満になるだろう。
「たしかに現実はそうだろうが、そういう現実は受け入れがたい。今のままでは困る。何とかしてくれ。対策を出してくれ」
と。
なるほど。それもそうだ。そこで、困ったときの Openブログ。何とか解決策を探すことにしよう。
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ここまでいろいろと考えてきたが、そこで明らかになったことがある。平和を願うからといって、平和主義を取っても、問題は解決しないのだ。
平和主義はむしろ平和を遠ざける。
・ 弱者が平和主義を取れば、敗北主義となり、絶滅する。
・ 強者が平和主義を取れば、勝利主義となり、絶滅させる。
いずれも問題を解決しない。むしろ、問題の解決から遠ざかることになる。それが平和主義だ。
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では、望むべきことは何か? 平和ではない。かわりに、共存だ。つまり、自分の権利を貫くことではなく、相手の権利を認めることだ。そういうふうに相手を許容することで、争いを避けることができる。
相手の権利を尊重すること。そのためには、どうすればいいか? 自分のエゴイズムを捨てることが必要だ。
では、それは可能か?
※ 長くなったので、中断します。次項に続きます。
強者の平和主義=>敵の殲滅
キリスト教合理主義の論理で議論を煮詰めていくとどうしても2元論的になります。アジアは多神教ですから社会や政治についてはもっと緩やかでよいのではないでしょうか。科学や技術では合理主義が必要ですが。