2024年03月03日

◆ 武力と平和主義 .1

 戦争を止めるには、どうすればいいか? 武力を使わずに戦争を止めよう、という主張がある。いわゆる平和主義だ。

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 ウクライナでロシアが戦争を続けているし、ガザではイスラエルが虐殺を続けている。こういう悲惨な状況を解決するには、どうすればいいか? 「武力を使わずに戦争を止めよう」という主張がある。いわゆる平和主義だ。

 では、どうやって? 武力なしで解決するなんて、そんなうまい方法があるのか?
 彼らの主張は、「言葉で解決せよ」「交渉で解決せよ」ということだ。その事例としては、朝日新聞社説がある。
 ロシアが一方的に始めた戦争を終わらせられるのは、ロシアだけだ。プーチン大統領に改めて求める。ただちに停戦し、ウクライナ領土から全軍を撤退させよ、と。
( → (社説)ウクライナ侵攻2年 長期化見すえ持続的支援を:朝日新聞

 戦争を止めるには、言葉で要求すればいい、というわけだ。
 だが、言葉で要求して戦争が止まるのか? そんなことは可能なのか?
 もちろん、否だ。そんなことで戦争が止まるのなら、誰も苦労はしない。
 そもそも、「外交では問題が解決しなかったから、武力の行使に至った」というのが、通常の戦争勃発である。そこにしゃしゃりでて、「言葉で解決できる」と述べるのは、あまりにも頭がお気楽すぎる。

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 では、言葉では戦争を止められないのに、「言葉で戦争を止めよ」という平和主義を唱えると、どうなるか? その事例は、ウクライナとガザで見て取れる。

 (1) ウクライナ

 ウクライナでは、当初は欧米が武器弾薬を与えていたので、ロシアの進軍を止めることができたし、部分的には前線でウクライナが優勢になることもあった。
 しかし最近では、武器弾薬の量で、西側は「弾切れ」の状態になっている一方で、ロシアは兵器工場の稼働で旧式の武器弾薬をどんどん補給しており、量的にロシアが優勢になりつつある。このままだとロシアが戦争に勝利しかねない。ウクライナは頭部領域を段間するどころではない。最悪の場合、中部と西部のすべてをロシアに奪われて、ウクライナという国が消滅しかねない。
 しかし、そうなったとしても、西側諸国は何もできない。特に日本は、欧米諸国と違って、武器を何も出さない。単に言葉で応援するだけで、銃弾の一発も提供しない。日本の「平和主義」は、ウクライナでは「無為無策」と同義である。ロシアは大喜びだ。

 (2) ガザ

 ガザでは、イスラエルが虐殺の限りを尽くしている。パレスチナ人は何一つ抵抗ができず、子供が次々と虐殺されている。最近では餓死者も出ている。純然たるジェノサイド(大量虐殺)と言える。
 昔、ローマはカルタゴを滅ぼして、人民を一掃して、都市を破壊し尽くして、あとには塩をまいて、草一本生えないようにした。その再現とも言える。
 ローマの卑劣なやり方で仕掛けられた第3次ポエニ戦争は、助けを乞うカルタゴに対する、ローマの一方的な大虐殺だったと言う。この時のローマの指揮官スキピオは、瓦礫の堆積を呪詛し、クワでならし塩をまいて、永遠に人も住めず、作物も出来ない様にしたと言う。
( → Tunisia , Carthage

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 上で (1)(2) という二つの現実を示した。これが平和主義のもたらす結果だ。
 では、その意味は何か? こうだ。
 「平和主義とは敗北主義のことだ」
 
 ウクライナはここで武力を放棄することができる。しかしその結果は、ただの敗北であり、国土を奪われることだ。ウクライナはロシアの植民地となり、国民はシベリアや北方領土に送られ、離散させられる。そしてウクライナの広大な土地はロシア人のものになる。ウクライナの言葉は消え、ウクライナの文化も消え、すべてはロシア人のものになる。……とはいえ、皆殺しにはならないだけ、まだマシかもしれない。

 ガザでは違う。ガザは土地をユダヤ人に奪われるだけではない。人の命を奪われる。パレスチナ人の人命はすべて奪われて、土地も命も奪われる。あとに残るのはパレスチナ人が大量に死んだあとの人骨だけだ。それもやがては朽ちてしまい、地上には何も残らなくなる。……かつてのカルタゴのように。

 これがつまり、「平和主義」のもたらすものだ。それはただの「敗北主義」にすぎないのだ。

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 ただし歴史的には、「平和主義」が成立した例もある。

 一つは、ガンジーの無抵抗主義だ。ただし、これが成立したのは、インドの人口があまりにも多すぎたことだ。当時のインドの人口は4億人程度。これほどの人間をすべて殺し尽くすことはできない。物理的にできないし、心理的にもできない。だからイギリスはインド人をすべて虐殺するかわりに、インドの独立を認めた。こうして「平和主義」は成立した。

 もう一つは、日本の明治維新だ。幕末には、西郷隆盛も徳川慶喜も、戦乱による大量の死を避けようとした。平和主義が成立した。
 では、なぜか? 彼らが賢明だからか? 違う。双方がともに日本人だからだ。日本人同士だからこそ、たがいに傷つけ合うのを避けようとした。日本人同士だからこそ、平和主義が成立した。
 ※ ちなみに、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたときには、敵が朝鮮人であるがゆえに、情け容赦もなく人を殺していった。ここでは平和主義のかけらもなかった。

  → 明治維新と武力 :  nando ブログ
  → 明治維新の真相 : nando ブログ






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posted by 管理人 at 23:36 | Comment(0) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
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