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業界団体
前項では代理人というものを示したが、(原作者のための)業界団体というのも役立ちそうだ。特に、下記がある。
→ 日本漫画家協会が芦原妃名子さんの死去で声明「契約等のお悩みがございましたら協会まで」
これは結構、役立つかもしれない。
他に、海猿の作者の設立した、下記組織もある。
→ コミック電子書籍配信をトータルサポート|電書バト
ここに、次の記述がある。
無料相談
漫画の契約に関するお悩みについて、駒沢公園行政書士事務所 大塚大先生がより良い契約慣行の確立、制作環境の整備を目指すお手伝いをしてくれます。
以上のように、漫画家(漫画の原作者)については、かなり環境が整備されつつあるようだ。
一方、小説家だと、そうは行かない。日本文藝家協会というものがあるが、これは、作家の団体とはいえ、作家の権利を守るための団体ではなく、作家の権利を抑圧するための団体である。前に述べたとおり。
→ 芸能界の暗闇(ヤクザと結託): Open ブログ
なお、この団体には、文科省も関与している。国と出版社が結託して、作家の権利を踏みにじっているわけだ。ここを改める必要があるね。(国の責任も大きい。)
※ 出版社は、当てにならない。出版社は、作家の権利を守るために働くのではなく、作家の権利を食い物にして自社が利益を得るために働く。部分的には作家と協力することもあるが、基本的には出版社というのは当てにはならない。(代理人よりはずっと劣る。)……この件は、前項で詳しく述べたとおり。
→ 原作改変・総括 .4(代理人): Open ブログ
プロデューサーを組織化せよ
現状では、プロデューサーというのは、1人または数人が担当する。「1人だけでやっている」と思う人が多いようだが、現実には、「チーフ1人とサブ2人の計3人」というチーム体制のところが多い。今回もそうだ。
これで仕事が回っていればいいのだが、今回はそうではなかった。小学館を経由して、原作者が契約条件を決めても、それをちゃんとスタッフに伝えるプロデューサーの体制ができていなかった。
どうしてこうなったか? どうして契約条件が現場(特に脚本家)に伝わらなかったのか? それについては、顕彰や報告が必要なのだが、日本テレビはだんまりを決め込んでいる。責任回避も甚だしい。(自分が犯人だとわかっているから、自主的には白状しないのだろう。「黙秘します」というわけだ。いかにも犯罪者らしく、犯罪者の権利を行使する。)
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そこでとりあえず、ここに提案しよう。
「プロデューサーというのは、個人単位の組織(チーム)にするのでなく、10人ぐらいの大きな組織の全体で分担せよ」
現状では、チーフ1人とサブ2の計3人。
これを 10人ぐらいの組織で分担する。ただし、仕事の数も3つの仕事を同時進行で処理する。
このようにすることの目的は何か? 仕事を属人化せずに、組織に属させることだ。個々の仕事を「個人のやる業務」とせずに、「組織全体でやる業務」とすることだ。
具体的には、タスクを一覧表に示して、それぞれのタスクの進行度合いを全員が共有する。
たとえば、「原作者から原作尊重という契約条件が出た」となれば、それを全員が共有する。それを脚本家などに周知することも、タスクの一覧表に記す。実行されたら、「タスク完了」と表示する。
このように、業務内容を組織全体で共有するようにすれば、今回のような非合理的な問題は起こらなかったはずだ。
映画ゴジラの制作方法
参考として、東宝の映画「ゴジラ・マイナス1」の制作方法がある。
通常ならば、脚本家が脚本を書いて、監督が脚本に基づいて映画を作る。監督が脚本に口出しすることもあるし、監督が脚本の方針を(あらかじめ)決めることもある。
一方、「ゴジラ・マイナス1」では違った。脚本がいったんで来たあとで、社内の若手社員に脚本を批評させて、その声を繁栄させることで、脚本を何度も書き直させた。その回数は 30回にも及んだという。
東宝のスタッフは今回、山崎貴監督らと協力して30回以上、脚本を書き直したそうだ。つまり「内容、ストーリー」で勝負しようとしたわけだ。
まさに正解である。彼らは若手社員に「絶対漏らすなよ」と厳命したうえでダメ出しを含む感想を提出させ、徹底的にユーザー目線で本作の脚本を作り上げた。
30回も書き直しただけあって、無駄をそぎ落とした脚本もテンポがいい。いちいち描かなくていいところはちゃんと省略しているところが、日本映画としては珍しい。他の映画もこのくらいの手間をかければ良くなるという証拠だ。
( → 超映画批評『ゴジラ-1.0』90点(100点満点中) )
映画監督の貴志氏と山崎監督がゴジラ映画の製作に起用された。彼はプロジェクトの準備を開始し、最初に脚本を開発するのに 1 年かかりました。しかし、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、スタッフは数年間の撮影延期を余儀なくされ、脚本は3年間にわたって何度も書き直された。
( → ゴジラマイナスワン Godzilla Minus One: 最新の百科事典、ニュース、レビュー、研究 )
これは通常とはどう違うか?
「一人の脚本家が脚本を作るのではなく、組織全体で脚本を作った」
ということだ。そのために、十分な時間と金をかけた。通常ならば、「知的アイデアのためのコスト」は徹底的に削るのが日本映画の常であるが、このゴジラに限っては、「知的アイデアのためのコスト」をたっぷりとかけた。
たっぷりかけたといっても、有名タレントに払うほどの巨額の金ではない。安月給の社員に払うだけだから、いくら巨額の金をかけても、たかが知れている。ともあれ、そのための金をかけた。知的アイデアのための金をかけた。……だから、ゴジラマイナス1 は、海外市場において、日本の実写映画としては史上最大の成功を得た。
2024年の1月28日までの日本国内の興行収入が55.9億円、観客動員数は363万人を記録した山崎貴監督作、映画『ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスワン)』。本作が今、北米市場で絶賛されている。
映画批評サイト『ロッテントマト』では、批評家たちの評価で100%中「98%」。一般観客の評価でも「98%」を獲得。また、本年度の第96回アカデミー賞の視覚効果賞にもノミネートされたほか、興行収入も日本円にして約81億円を叩き出し、北米の実写外国映画興行収入ランキングで歴代第3位を記録している。
( → 日本で賛否両論の『ゴジラ-1.0』が海外で圧倒的な熱狂を呼んだ「意外なワケ」(むくろ 幽介) | マネー現代 | 講談社 )
※ ちなみに、実写映画でランキング入りしているのは、本作だけだ。シン・ゴジラは、海外では大コケした。他はヒットの候補にもならない。強いて言えば、ずっと昔の「Shall we ダンス?」ぐらいかな。……アニメなら、日本の作品は圧倒的に強いが、実写は全然弱いのだ。
→ 海外で売れた日本映画(邦画)世界興行収入ランキング
対面の重視
制度的な改革は別として、当面の解決策としては、「原作者と脚本家が対面すること」が、何よりも重要である。このことは、先に述べたとおり。
→ 原作改変・総括 .2(対策): Open ブログ
原作料や法的な面は代理人に任せてもいい。だが、脚本を制作するという、制作の場では、脚本家自身が口出しすることが必要だ。そのために、顔合わせすることが必要だ。
「一方的に語ればいい」と思う人もいるだろうが、それでは駄目だ。コミュニケーションというものは、必ず、相互的なものであることが必要だからだ。「言いっ放し」では駄目なのだ。そんなことでは共同作業はできないのだ。必ず、対面することが必要となる。
対面の重要性を理解するべきだ。
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ちなみに、脚本とは別の分野だが、次の事例が参考になる。
日本の自動車会社とフランスのタイヤの会社が共同開発した。ここで、日本の自動車会社の技術者に対して、フランス人が問題点の改善策を提案したところ、日本の技術者(顧客)は激怒した。「こちらの欠点をあからさまに指摘するなんて無礼だ」と怒ってカンカンになった。かくて交渉途絶となった。
その後、日本の顧客との関係修復のためにそのエンジニアをヨーロッパ本社の開発センターに招待。……1週間ほど一緒に過ごす機会を設けた。
この間、昼間の活動だけでなく、夜は各地の料理や酒を楽しみながら人間関係を深めていった。これによってお互いに「本音」で話ができるようになり、わだかまりは解消できた。
( → 日本の会社から「出禁」になったフランス人の発言 外国人が日本人と会議をするときの「あるある」 )
業務外の時間に、夜に酒を飲み交わす「飲みニケーション」なんて、ただの無駄だ……と思う若手も多い。しかし現実には、上記のように、わだかまりをほぐす効果もあるようだ。
「飲みニケーション」という方法をとるかどうかは別として、対面してコミュニケーションを取ることはとても大切なのだ。
それができなかったから、今回は人命に影響が及ぶほどの結果となったのだろう。
※ 原作者も、プロデューサーも、脚本家も、今回は全員が女性ばかりだった。そのせいで、飲みニケーションを取ることはできなかったようだ。「セクシー田中さん」の舞台の場は、酒場であるのに、肝心のスタッフは、誰一人として酒場に向かわない。何とも皮肉なことである。脚本家と原作者とプロデューサーが飲みニケーションを取っていれば、今回の問題も起こらなかったのだが。