2024年02月06日

◆ 原作改変・総括 .1(問題)

 ドラマの原作改変の騒動について、総括する。まずは、問題がどこにあったかを考える。

 ──

 問題点の根源は、原作料が安すぎることだ。これは先に述べたとおり。
  → ドラマの原作改変の騒動: Open ブログ

 すべての問題は、ここから発生する。ここを解決しない限り、どうしようもない。
 

 海猿の原作料


 漫画「海猿」が映画化されたときの原作料を、作者が論じている。
 原作使用料は確か200万円弱でした。
 
 僕が頑として映像化を許諾しないので、いよいよ直接対面となった次第です。
「どうしたら許諾してくれるのだ」と言うので、「著作権使用料を100倍にしてくれたら許諾する」と言ったら「無理だ」と。
「10倍ならいけるかも」「50倍でいいや」みたいなやり取りをしました。
( → 死ぬほど嫌でした|佐藤秀峰

 「10倍ならいけるかも」ということから、最大限でも 2000万円になるかもしれない、という程度だ。ヒットが確実であっても、この程度だ。ちなみに前作の売上高はこうだ。
 映画2作目『LIMIT OF LOVE 海猿』は興収71億円の大ヒット、3作目『THE LAST MESSAGE 海猿』は80億円を突破し、12年公開の4作目『BRAVE HEARTS 海猿』も73億円とフジのドル箱コンテンツに。

 大ヒットが確実であっても、2000万円しか出さない、というケチっぷり。

 テルマエロマエの原作料


 漫画「テルマエロマエ」が映画化されたときの原作料は、前に本サイトで論じた。興収 58億円に対して、原作料は 100万円だけだ。
  → 映画の原作の料金: Open ブログ

 こういうふうに、原作料を徹底的にケチっているという点に、根源がある。

 オリジナル脚本


 現在のテレビドラマは、8割が外部の原作を脚色したものであり、オリジナルの脚本は2割ぐらいしかない。この比率を変えて、なるべくオリジナル脚本を増やせば、今回のような問題は生じなくなる……という主張がある。
  → なぜ日本テレビは「セクシー田中さん」を改変したのか…元テレ東社員が指摘

 これは、元テレビ局社員の主張だが、あまりにも馬鹿げている。今回の騒動の結論は「原作を尊重せよ」ということであるはずなのに、それとは逆に「原作を排除しろ」と主張しているからだ。原作軽視も極まれり。あまりにも方向違いと言える。

 実を言うと、「オリジナル脚本」というのは、脚本家の願いであり、どの脚本家もそう願っている。「原作つきの脚本でなく、自分のオリジナルを書きたい」と。
  → 脚本家の密談:文字起こしの改定版 1
 しかし、脚本家がいくらそうしたくても、現実にはそうはならない。なぜか? 理由は二つある。

 第1に、一部の脚本家を除いて、たいていの脚本家はその力量がない。オリジナルの脚本を書ける脚本家は、すでに書いている。オリジナル料金を含んで、かなり高い脚本料を得ている。しかしそういう脚本家は、売れっ子のトップクラスだけだ。たいていの脚本家は、その力量がない。力量がないのに「オリジナルの脚本を書きたい」というのは、プロ野球で「2軍の実力しかないけれど、1軍に出場させてくれ」と望むのと同然だ。おのれの無能を棚に上げて、高望みばかりしている。
 そんな高望みをするよりは、まずは自分の実力を上げるべきだ。実力さえ上げれば、オリジナル脚本の依頼が来る。逆に、実力もないのに、「オリジナル脚本を書きたい」といくら要望しても、そんなのは解決策にはならないのだ。
 当然だが、元テレビ局社員が「オリジナル脚本を増やせばいい」と主張しても、そんな提案はゴミ提案であるにすぎない。無能な脚本家のオリジナル作品をいくら増やしても、視聴率は取れないし、何の解決策にもならない。単にゴミ作品が増えるだけだ。
 
 第2に、コストの問題がある。オリジナルの脚本を採用しようとすれば、その脚本家は自分でアイデアをひねり出さないといけない。とすれば、アイデアを生み出すための時間が必要であるから、そのアイデア創出のための時間の分も、金を得る必要がある。
 たとえば、アイデアに 200時間、執筆に 200時間をかけたなら、通常の執筆 200時間に相当する金額の倍の金額( 400時間分)をもらわないと、職業として成立しない。
 では、会社側は2倍の金を払ってくれるか? もちろん、払わない。なぜなら、その金を払うということは、原作料の金を払うことになるからだ。それは馬鹿馬鹿しい。
 一方、漫画や小説を原作として採用すれば、原作料をタダ同然で使うことができる。脚本家に頼めば、アイデア料として 200時間分のアイデア料(原作料)を必要とするが、漫画や小説を原作として採用すれば、原作料をタダ同然( 20〜50時間分ぐらいの料金)で使うことができるのだ。ずっと安くて済む。だから、オリジナルの脚本に正当な料金を払うよりは、外部の作品のアイデアをタダ同然(格安)で使おうとするのだ。その方が安上がりだからだ。

 ──

 以上の話からもわかるだろう。
 オリジナルの脚本の採用が進まないのも、原作者の権利がないがしろにされるのも、すべては原作料が安すぎるのが原因なのだ。


 原作軽視


 原作の料金は安いから、原作者の権利はないがしろにされる。
 その結果、あえて原作者の権利をないがしろにしてやろう、と人々は思い込む。

 プロデューサーは、「原作尊重」という契約があっても、その意向を無視して、原作を改変しようとする。「視聴率アップのセオリーに従って、売れ線の方向に原作を改変するべきだ」と思い込んでいる。
 脚本家も同様で、「プロデューサーやスポンサーや事務所の意向に従って、いくらでも改変します。へいこらへいこら」と思い込んでいる。
 これらの人々は、「原作を尊重しよう」という思いは、1ミリも持っていない。原作者の権利など、完全にないがしろにしている。
 なぜか? 彼らが気にしているのは、金をくれる人だけだからだ。テレビ局やスポンサーや事務所などだけだからだ。一方、原作者は、金をくれない。だから、原作者の意向など、まったく軽んじているのだ。

 不一致か真逆か


 「ドラマ化をするなら、原作との不一致は仕方ない」
 という擁護の声もある。なるほど、それは一理ある。

 しかし、である。今回はそういう問題ではないのだ。「不一致」どころか「真逆」なのだ。このことは、先に説明したとおり。
  → セクシー田中さん・講評: Open ブログ
  → セクシー田中さん・最終回: Open ブログ

 原作のテーマは「アンチ恋愛ドラマ」であり、恋愛とは別のところで人間性を描こうとした。一方、脚本家は「恋愛ドラマ」として、素敵な恋愛を描こうとした。……つまり、めざす方向が正反対(真逆)であった。
 こうなると、できたドラマは、「原作の骨格だけを借りた、まったく別の作品」になってしまうことになる。原作のテーマとは正反対の方向に歪めて、まったく別のものに作り替えるわけだ。まったく別というより、まさしく正反対のものに作り替えるわけだ。
 これでは、原作の冒涜であり、原作レイプとも言える。とうてい「不一致」どころではない。原作者としては、とうてい容認できなくなる。
 原作軽視が行き過ぎると、こういうことになるのだ。その結果、起こったのが、今回の悲劇だ。

 ──

 ともあれ、今回の問題の本質は、「原作軽視」「原作無視」というふうに、原作をないがしろにしたことだ。その本質が生じた根源は、「原作料が安すぎること」だ。
 ここを何とかしない限り、問題の解決はあり得ない、と言えるだろう。



 [ 付記 ]
 今回の騒動では、ドラマを見ないで論じる人が多い。見当違いのことを述べている人が多い。特に、「原作を正反対のものに作り替えてしまった」という侵害行為(著作者人格権の侵害)がある、と理解できていない人が多いようだ。
 こういう人が、ドラマを見ないせいで、「今回のドラマでは、脚本家が原作とは正反対のものに作り替えようとした」ということに気づかないまま、「ドラマ化では少しぐらいは改変があるのは当然だ」というふうに論じる。
 これは、比喩的に言えば、女性をレイプして自殺に追い込んだイジメ犯罪を見ても、「どうせただの軽い冗談でやっただけだろ。悪気はなかったんだよ。いちいち騒ぐほどのことじゃないんだ」と擁護するようなものだ。気色悪い。
 このドラマを見ないまま、このドラマで何が起こったかも知らないで、単に業界人だからという立場から、業界を擁護するのは、あまりにも身内擁護がひどいというものだ。
 
  → なぜ日本テレビは「セクシー田中さん」を改変したのか…元テレ東社員








posted by 管理人 at 23:58 | Comment(0) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
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