2024年01月30日

◆ ドラマの原作改変の騒動

 テレビドラマで原作を改変したことによる騒動があり、痛ましい結果に至った。その根源を考える。

 ──

 「原作を改変しない」という条件で契約したのに、原作を大幅に改変されてしまったので、契約違反だ……と訴えた原作者(漫画家)が、ネットで話題になった。そのあと、あちこちで騒動が巻き起こったすえに、痛ましい結果になった。

 最初の投稿はこれだ。
  → 芦原妃名子 ブログ

 ここには、こうある。
ドラマ化にあたって、
・ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。
漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して大変失礼な条件だということは理解していましたので、「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

 こうして「原作に忠実に」という条件で、ドラマの企画がスタートした。

 ところが、この条件はまったく守られなかった。その経緯は、上記記事に記してある。かくて、トラブルになった。そのあと、顛末について、上記記事で公開されたわけだ。
 一方、脚本家の方は、最後に脚本家の立場を引きずりおろされたことに、不満の意を表明した。(現在は記事は削除されたが、ここで読める。 → 過去記事
 
 このあとで、痛ましい結果になったのを知って、業界の他社が表明をした。
 東映や東宝など各社社長がコメントした。
 松竹の高橋敏弘社長は「原作のすばらしさを生かすことが大前提。今後もそのようなことがないように我々も気をつけることが原則だ」との考えを強調した。
 東宝の松岡宏泰社長も「原作者の意向を尊重していかに映像化するか、その考え方がぶれることはない。原作者と方向性が違う場合は、コミュニケーションをとって互いにできる限り了解すること、それ以外で乗り越える方法は思いつかない」との考えを示した。
 また、東映の吉村文雄社長も「原作があってそれを映像化する場合は、コミュニケーションやどういう方向で映像化を進めていくかがより今後大切になると改めて感じている」とコメント。
( → 「セクシー田中さん」原作者の死去受け、映画会社4社長が会見でコメント「原作生かすことが大前提」 : スポーツ報知

 これらの見解では、
  ・ 原作を尊重する
  ・ コミュニケーションを取る

 という二点が強調されている。
 これを受けて、「妥当だ」と好意的に評価する見解も見られる。
 では、それで話は済むのだろうか? 

 ──

 以下では、私の見解を言おう。


 (1) コミュニケーション

 コミュニケーション(意思疎通や連絡)に着目したのは、妥当である。元の原作者記事にも、こうあった。
 この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係を再確認し、文章の内容も小学館と確認して書いています。

ただ、私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることはありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。

 このように、コミュニケーションがまったく成立しない、という状況があった。このことは、次のツイートでも指摘されている。


 ここで「ライツ」というのは何のことかと思ったが、「出版社のなかの権利担当部門」のことであるようだ。あくまで出版社の内部にあって、外部にあるテレビ局と交渉する部門、ということらしい。
  → ライツ事業部ってなにやるところ?(集英社)

 となると、問題は、そこから先だ。つまり、「制作 or プロデューサー」だ。これが決定的に大きな影響を及ぼす。(ほとんどすべてと言ってもいいくらいだ。)


 (2) 組織の問題

 各社の社長の見解では、「コミュニケーションを取りましょう」ということになっている。だが、現実にはコミュニケーションが取れていない。そして、そうなっているのは、なぜか? 
 「原作者と脚本家がちゃんとコミュニケーションを取ってくれ」ということのようだが、そういう問題ではない。原作者本人が描いているように、原作者は脚本家に会わせてもらえない。なぜなら、「制作 or プロデューサー」が、両者を会わせようとしないからだ。
 つまり、ここでは「コミュニケーションを取らせまい」というシステムができている。そういう組織的な構造があるのだ。これは組織的な問題だ。なのに、その組織的な問題を放置して、「原作者と脚本家がちゃんとコミュニケーションを取ってくれ」というのは、話の筋がむちゃくちゃだろう。
 
  経営方針:原作者と脚本家は会うな
  記者会見:原作者と脚本家はコミュニケーションを取ってくれ

 これでは自己矛盾というものだ。自己矛盾をしている社長というのは、滅茶苦茶すぎる。自分で自分の言っていることを理解できていないようだ。狂気の沙汰だと言える。
 「コミュニケーションを取れ」と部下に命じる前に、「コミュニケーションを取る」という組織を構築するべきだ。なのに、現実には、その組織ができていない。そういう組織的な問題があるのだ。


 (3) 経営上の問題

 では、どうするべきか? 組織の方針を改めるべきだ。次のように。
 「原作者と脚本家は会うべきだ。意見をすりあわせるべきだ」
 たしかに、これは理想だ。これができれば、問題は解決するだろう。

 しかるに、現実には、それはできない。なぜか? 
 実は、昔はそれができていた。昭和の時代には、そうしていたのだ。「昔はそうしていたのだから、今もそうするべきだ」というふうに思う人も多い。
  → 原作者と脚本家が一緒に飯を食い 亀裂起これば白紙になる昭和のやり方が今こそ必要 - Togetter
 たしかに、そうすれば、問題は解決する。

 ところが、その後、この方針は撤廃された。つまり、「原作者と脚本家は会ってはならない」というふうに改定された。なぜか? こうだ。
 「亀裂が起これば白紙になるのでは、経営上のリスクが生じる。どんなことが起こっても白紙にはならないように、あらかじめ契約で決めておく。つまり、原作者が判を押した状態では、もはや原作者が口出しする権利を奪う」

 こういうふうに「原作者が口出しをする権利を奪う」ということを条件に、映画化やドラマ化やアニメ化が進むようになった。
 かくて、「原作者の権利を一切無視する」というシステムが成立したのだ。
 このシステムを守るために、「原作者と脚本家はコミュニケーションを取らない」というふうに仕向けているのである。だからプロデューサーは、あえて原作者と脚本家を遮断しているのだ。
  ※ 原作者が注文を付けて、ドラマの進行が遅れるのを嫌がるからだ。
  ※ そのことゆえに、脚本家はいくらでも好き勝手できる権利を得る。


 (4) 改変の問題

 ではなぜ、脚本家や制作者は、そんなに原作を改変したがるのか? それほどにも何もかも改変したいのであれば、最初から自分で作ればいいのに、どうしてわざわざ他人の作品を使って、それを改変しようとするのか? 

 それは、改変することで、自己流の世界観で脚本を書けるので、簡単に脚本を書けるからだ。
 原作通りに書くと、原作の世界観で物語が進むので、手間がかかって、しんどい。
 改変すれば、いつもの自己流の世界観で物語が進むので、いつも通りで、手間がかからなくて、簡単だ。
 要するに、労働の手間の問題で、「お手軽に簡単に大量生産をする」という目的のために、自己流の(書き慣れた)話の展開にするのである。

 そして、その根源は、次のことだ。
 「脚本料が安すぎるので、まともに時間をかけて書くわけには行かない」

 脚本家の脚本料は安すぎる。手早く大量に書くことでしか、稼ぐことはできない。品質よりは、量なのだ。だから、量をこなすために、ありふれた(書き慣れた)展開にするしかないのだ。
 今の脚本家は、女性の脚本家が圧倒的に多い。それというのも、男が脚本家となると、食っていけないことが多いからだ。超売れっ子ならば食っていけるが、超売れっ子になっている時期はかなり短い。また、超売れっ子になっていてさえ、たいして高収入にはならない。売れている時期は別として、生涯所得で言えば、テレビ局の社員よりもずっと少ない生涯所得しか得られない脚本家が多い。脚本家というのは、「主婦のアルバイト」みたいな位置づけなのだ。
 こういう状況だから、脚本家がまともに原作者とコミュニケーションを取る手間をかけるわけがないのだ。


 (5) 原作料

 原作者も同様だ。原作者の原作料は、タダ同然の安さである。ドラマの「海猿」の原作者が、それで頭に来て、ドラマ化を止めたことがある。(他の問題もあったが。)
 「鬼滅の刃」だって、世界的に莫大な売上げを得たが、その放送で原作者に入った金は、スズメの涙程度だ。
 これはどうしてかというと、日本文藝家協会というのが、そういうメチャクチャな制度を決めているからだ。「ドラマ化などの原作料は格安にします」という制度を、自ら構築しているのだ。(嘘みたいだが、本当だ。調べれば、すぐにわかる。)
 「映画の興収が58億円だったのに、(私が受け取った)原作使用料は約100万円」
( → 200万〜400万円は妥当か、映画原作料のお値段 - 日本経済新聞



 (6) 理屈と詭弁

 なぜ、原作者はこれほど虐待されるか? 次のことが理由だ。
 映画化で原作者は金銭面でのリスクは負わない。安かったとしても原作使用料は支払われ、本は売れるし、作品の認知度も上がる。映画化がなければ発生しない利益を、ゼロリスクで享受できる立場なのだ。
( → 200万〜400万円は妥当か、映画原作料のお値段 - 日本経済新聞

 映画はヒットしないこともある。ヒットしないで赤字を出した場合のリスクは、出資者が全面的に負う。原作者はびた一文もリスクを負わない。だから、リスクを負う出資者だけが利益を独占して、原作者には利益を還元しない。それが資本のリスクとして当然だ。出資者のみが還元を受けるのが株式資本主義というものだ。……という理屈である。

 こういう理屈を聞いて、「はいそうですね」と頷いてしまうから、原作者は利益を還元されないことになる。
 しかし、上の理屈は詭弁だ。なぜか? 正しくは、こうだからだ。
 「原作者は出資しないわけではない。原作という物を出すことで、現物で出資している。したがって、その現物の評価額にふさわしい額で出資したと見なすべきだ」

 具体的に言えば、次のいずれかだ。
 (i) 原作の価値を1千万円と見なして、1千万円の出資に相当する額のリターンを得る。(黒字ならばリターンが5千万円になり、赤字ならばリターンは大幅減)
 (ii)原作の価値を1千万円と見なして、固定額の1千万だけを受け取る。

 この二通りのいずれかを(好きに)選べるようにする。これならば、特に問題あるまい。
 今回の作者も、原作料として1千万円をもらえたなら、「これだけ多額をもらえるのなら、文句は言わん。好き勝手に改変してくれ」と思っただろう。
 現実には、スズメの涙のような原作料( 10万円ぐらい?)しかもらえないから、「これじゃ割が合わない。原作の売上げが増えるようにしなくては」と思って、原作との一致度を高めようとしたのだろう。

 すべての根源は、原作料が安すぎることなのだ。


 (7) コストダウン

 原作料は安すぎる。では、どうして、そうなのか? 
 実は、安いのは、原作料だけではない。ドラマの制作費のうち、人件費となるものは、すべてが安い。脚本代も安いし、監督の契約料も安いし、俳優の出演料も安い。主演俳優の出演料だけは高いが、それ以外の俳優の出演料は激安だ。
 だから、「相棒」の六角精児は、相棒に出演しなくなった。「出演料が安すぎるからだ」と本人が言っている。
  → 六角精児「相棒」出演やめた理由 デイリースポーツ

 他に、上白石萌音や橋本環奈が、テレビに出る時間を削って、舞台にばかり出ているのも、舞台に出る方がずっと高給をもらえるからだろう。

 なお、特に安いのは(テレビでなく)映画の出演料で、とんでもなく安い出演料であるらしい。テレビに比べて格段に安いようだ。

 こういうふうに、人件費は滅茶苦茶に安い。それに輪をかけて、拘束時間が滅茶苦茶に長い。出演時間は数分間でも、朝から晩までずっと拘束されることがある。
 また、俳優は同じ場面を何度も何度も撮影されて(演技して)、滅茶苦茶に時間を食うことが多い。アメリカのドラマや映画ならば、「リハーサル1回、本番1回」の計2回で済むところを、日本ではその何倍もの手間をかけることが多い。その分、時給は何分1かに激減する。

 かくて、俳優も含めて、何もかもコストダウンが要求されるのだ。
 ちなみに、ゴジラの最新版の制作費は、米国の普通の映画に比べて、圧倒的に少額であるそうだ。コストを徹底的に削っているのである。

 こういう「コストカット」こそが、日本の産業における「諸悪の根源」とも言えるだろう。

 ※ ちなみにダイハツの不正も、こういう「コストカット最優先」の土壌から生じた。その一方で、不正をしたダイハツは、政府からほとんど処罰されないで済んでいる。消費者は詐欺でだまされて大損をしたのに、ダイハツはお咎めなしで、トヨタもお咎めなしだ。悪徳企業に大甘なのが、日本政府だ。……日本というのは、そういう国なのだ。

 なお、このようにしてコストカットをしたあとで、それで儲けた金はどこへ行くかというと、もちろん、資本家の懐に入る。
 要するに、資本家の懐を豊かにするために、現場では徹底的に「人件費のカット」が推進されるのだ。
 で、そのせいで、脚本家や原作者が犠牲になる。あげく、命を奪われることも出てくる。

 要するに、こうだ。
 「偉いのは資本家だ。資本家の利益を増やすために、あらゆる人間は奉仕せよ。原作者も、脚本家も、俳優も、監督も、誰もかもがみんな、身を削って奉仕せよ。低賃金で働いて、朝から晩まで汗水を流せ。さらには、血を流せ。おまえたちが汗と血を流せば、その分、俺たち資本家が金を湯水のように浴びることができるんだ」
 そういうシステムができているのだ。今回の結果は、その一環であるにすぎない。


money-moke.png





 [ 付記1 ]
 こういう現状を、何とか変えられないか? 困ったときの Openブログで、何とかならないか? そこで、うまい案を出そう。 
 そもそも、低コストで作品を作ろうというのは、低品質で粗製濫造になってもいいから低コストを優先する、ということだ。で、その結果がこれだ。
 ならば、それを解決するには、低コストという原則を改めればいい。そのためには、制作費を大幅に増やせばいい。では、そのためには? ここで、名案がある。こうだ。
 「 CM 料金を大幅に上げる。現状の2倍ぐらいの CM 料金を取る」
 では、どうやって? こうだ。
 「放送局が協定で決めている CM 時間の枠を、半減する。各社の放送する CM 時間を、半分にする」
 こうして、CM の放送時間の総量を半分にしてしまえば、需要と供給の関係から、CM の単価を大幅に引き上げることができる。倍増だ。
 そして、こうなると、放送局としては、「高視聴率の番組で CM 量を稼ぐ」という方針を取らざるを得ない。つまり、「低コストで低品質で低視聴率」という方針を改めて、「高コストで高品質で高視聴率」という方針に転じざるを得ない。かくて、テレビドラマの制作費は高くなり、さまざまな人件費が一挙に上昇するので、脚本家や原作者もちゃんとしたお金をもらえるようになり、今みたいにガツガツしないで済むようになる。
 かくて、あらゆる問題が解決する。困ったときの Openブログ。

 [ 付記2 ]
 実は、芸能界では、やたらと搾取体質がはびこっている。ジャニーズも、松本人志も、紳助も、能年玲奈も、宝塚自殺も、みんなそうだ。原作改変問題も、その一環であり、やたらと搾取しようという芸能界の体質が根源だと言える。
 ちなみに、ジャニーズは利益率が滅茶苦茶に高くて、ものすごいボロ儲けをしていたようだ。その一方で、俳優のギャラは激安だったらしい。吉本も、同様だ。
 このあたりの業界は、みんなヤクザ体質だ、と思った方が良さそうだ。脚本家も、原作者も、ヤクザにむしり取られているのである。そう理解すれば、物事の本質がわかるだろう。
 
 [ 付記3 ]
 さらに言えば、今の日本は、社会全体がそういうシステムになっている。おおかたの産業で、労働者は薄給で虐待され、資本家ばかりが利益を収奪するシステムになっている。実際、今年度の賃上げ率は物価上昇率以下であったが、一方で、企業利益は最高益となり、株価は最高値となる。
 そういう「ご主人様が奴隷の利益を吸い取る」というシステムが構築されている。そのなかで、典型的な例が、芸能界で起こったわけだ。芸能界のひどさは、決して他人事ではなく、ただの典型であるにすぎないのだ。

 [ 付記4 ]
 先に「改善策」を示した。(困ったときの Openブログ)
 だが、現実には、この解決策はとらえないだろう。なぜなら、日本の企業と資本家は、強欲だからだ。「自分の取り分を増やそう」ということばかりを考えているので、「そのせいでみんなが損をする」と言うことになっても、構わないのだ。あくまで強欲に目先の富を追う。
 すると、どうなるか? 原作者は呆れて、日本企業には原作を提供したがらなくなるだろう。そうなると、残るのは日本企業以外となる。それは何か? Netflix だ。
 最近では、Netflix のドラマが人気を呼んでいる。そのうち、この傾向がどんどん強まるだろう。秀作はすべて Netflix が担当するようになり、日本の会社によるドラマや映画は愚作ばかりになるだろう。かくて、日本のテレビ局と映画会社はみんなつぶれて、Netflix だけが残るようになる。そのとき、原作者や脚本家や出演者は、まともな待遇を得られるようになって、誰もがハッピーになる。視聴者も優れた作品を見ることができて、ハッピーになる。
 将来いつか、日本のテレビ局と映画会社はみんなつぶれて、Netflix だけが残るようになれば、そのときこそ、問題はすべて解決して、誰もがハッピーになるのだ。その日を待つしかあるまい。
( ※ 日本のテレビ局と映画会社が将来的に、おのれの過ちに気づくのは、つぶれたあとのことだろう。)



 [ 補足 ]
 現状では、脚本は途中まで完成しないまま、原作者と契約を結ぶのが普通だ。しかし、脚本は、最後まで完成した脚本を使うべきだ。
 つまり、先に完成脚本を見せて、原作者の許可を得ればいい。こうすれば、「原作と食い違う」という問題が、途中で生じることもなくなるはずだ。
 現実には、そうなっていないのは、例によって、コストカット主義のせいだ。何もかも余裕がないから、どこもかも余裕のないガツガツ状態になる。



 【 関連項目 】

 日本企業のコストカット方針。
  → 日本の生産性低迷の理由: Open ブログ
  → ゴーン主義の悪影響: Open ブログ
 
posted by 管理人 at 22:59 | Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 原作を尊重しているので素晴らしい、と好評のドラマもある。以下、引用。

 ──

> ドラマの『推しが上司になりまして』の1話で笑って泣いて「推しは虹みたいなものなの」という言葉に、こんなに推しへの解像度が高いなんて、と感動していたら蛭田さん脚本で納得でした。蛭田さんが原作への熱い思いがあって書いていることは十分伝わりました。これからも応援しています。

 https://twitter.com/karura_bankt/status/1752829179933196761

 ──

 ドラマ案内

 https://www.tv-tokyo.co.jp/oshijyoushi/

 このドラマは全部見たけど、すごく面白かった。ヒロイン(鈴木愛理)が滅茶苦茶に可愛かった。演技も良かった。

 脚本もとても良かった。ただし、調べてみたら、脚本家は各話ごとに異なる複数担当制だった。
  https://x.gd/gY7zy
Posted by 管理人 at 2024年02月01日 17:52
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