2024年01月26日

◆ 錯誤(予定からのズレ)

 予定と結果にはズレが生じる。つまり、錯誤がある。その事例が、京アニ事件や、月面探査機の失敗だ。

 ──

 物事は予定通りには進まない。予定と結果にはズレが生じる。これを「錯誤」と呼ぶことにしよう。その事例が、京アニ事件や、月面探査機の失敗だ。

 ここで、結果として生じたことを「最初からそれを狙っていたのだ」「その結果は狙い通りのことだったのだ」と評価すると、とんでもない勘違いが生じる。
  ・ 現実 …… その結果は狙い通りではなかった (ズレがあった)
  ・ 判断 …… その結果は狙い通りだった   (ズレはなかった)

 こういうふうに、判断が現実と食い違うことがある。


 (1) 京アニ事件

 裁判所が死刑の判決を下した理由は、「計画性と悪質さの双方がある」と認定したことだった。しかし、この双方は両立しない。

 (i) 仮に計画性があるとしたら、自分が火だるまになって死にかけた結果も、計画したことになる。つまり、自分が死ぬことが予定になっていたわけだ。これは、自殺を予定していたことになる。ならばその分、悪質さが減る。(他人を殺して自分だけは生き延びようとした、という悪質さはないからだ。)

 (ii) 仮に悪質さがあるとしたら、他人を殺して自分だけは生き延びようとした、という意図があったことになる。ところが現実には、その計画通りには進まなかった。結果的には、ほとんど死にかけた。これはガソリンの威力を見誤ったからだ。計画力が弱くて、物事が計画通りに進まなかったことになる。つまり、最初から巨大な被害をもたらすつもりはなくて、最初は小さな被害をも垂らすつもりだったのに、計算違いが生じたせいで、巨大な被害が生じてしまったことになる。(これが事実だろう。)

 要するに、この犯人は、悪意はあったのだが、計画力は弱かった。ちょっとした破壊をするつもりだったのに、計算違いが生じて、巨大な被害が生じてしまった。ここには、錯誤があったことになる。


 (2) 月面探査機

 月面探査機の失敗も、同様に、錯誤があったと見なせる。倒立状態で静止しているが、これは狙ったことではなく、予定からのズレ(計算違い)があったことになるからだ。根源的には、計画そのものが失敗だった、と言える。
 

slim_90.jpg


 探査機は、ひっくり返って停止している。亀が裏返って動けないのと同じだ。みっともない。カッコ悪い。
 こんな無様な姿を見せておきながら、JAXA は恥ずかしいと思わないのだろうか?
 それどころか、「成功」だと強弁するなんて、傲慢不遜というものだ。慎み深い日本人の美徳はどこへ行ったんだ。仮に私が所長だったなら、「恥ずかしくて人前に出たくない」と思って、「申し訳ない」と頭を剃っていたところだ。逆に、「成功だ」と威張るなんて、論外である。

 そもそも、この手のミスは、事前にテストしておけば、簡単に防げたはずだ。あるいは、思考実験するだけでもいい。

slim-fall.jpg

 この図を見れば、回転モーメントが生じて、探査機が回転するのは、自明だろう。サイコロのようにゴロゴロと回転してもおかしくないくらいだ。
 回転が生じないためには、ほぼ垂直に落下する必要がある。ほぼ垂直に落下して、下降のエネルギーを全体で受け止めて吸収したあとで、わずかに左右のバランスが崩れるという形で、片方に傾く。……これが理論的に妥当だ。
 なのに、最初から左右のバランスが大きく異なるように落下すれば、巨大な回転モーメントが生じるから、落下後にゴロゴロと転がるのが当然だ。
 また、思考実験だけでなく、小さなオモチャのようなモデルで実験するだけでも、簡単にわかったはずなのに。小学生の夏休みの実験みたいなものでさえ、簡単にわかっただろう。なのに、それもできなかったのだろうか? あまりにも ずさんというものだ。

 ともあれ、以上のように、月面探査機では「予定から大幅にズレる」という結果になった。そういう意味で、錯誤があったことになる。
 
 このことは、当事者も告白している。
 責任者の坂井真一郎教授は25日の記者会見で、小型探査ロボット「LEV―2」が撮影したSLIMの画像を「見た瞬間、腰が抜けそうになった」と話した。
 着陸直後に受信したデータから予測していたものの、「よくあの形でとどまってくれたな、と正直思った。太陽電池が地面を向いてしまったら、太陽光が当たる可能性がほとんどなくなってしまう」と説明した。
( → 「腰抜けそうに」 逆立ち姿勢画像でJAXA教授―所長評価「3点加算」に・月面着陸:時事ドットコム

 かくも、予定とのズレが大きかったのだ。まったく予想もできていなかったことになる。




 ともあれ、予定と結果にはズレが生じる。つまり、錯誤がある。その事例として、京アニ事件と、月面探査機の失敗を、それぞれ例示した。
 このように錯誤は起こるものだ。ならば、錯誤が起こるということを、きちんと認識するべきだ。

 京アニの裁判所は、その錯誤を認識しなかった。すべては「犯人が計画したことであり、計画通りに物事は進んだ」と思い込んだ。そのせいで、「犯人が自分自身を火だるまにした」ということも計画性のうちに入るということになって、「犯人は自殺を意図していた」という論理的結果に導かれて、自己矛盾に陥った。裁判所の判決は、論理的に破綻した。

 裁判所の認識の方法に従うなら、月面探査機の失敗もまた、「意図した通りで、予想通りの結果だった」ということになる。つまり、わざと計画的に失敗した、ということになる。つまり、失敗したからには、故意の失敗だということになる。だったら、裁判所の判断基準に従って、JAXA の所長は死刑になってもいいはずだ。(京アニの犯人のように。結果責任で。)
 で、JAXA の所長は死刑になりたくないから、「失敗でなく成功だ」と強弁しているのだろう。かくて、ひっくり返った亀のようながぞを見せながら、「成功だ」と言い張るという、恥知らずな状況となるわけだ。

 ──

 では、いったいどうすればいいのか? 裁判所も JAXA も馬鹿丸出しの恥知らずの傲慢野郎だとしたら、正しい人間は何をすればいいのか? 人はどうふるまえばいいのだろうか? 

 その答えを言おう。こうだ。
 「人は錯誤することがある。その錯誤を認定せよ」

 過ちて改めず。これを過ちという。
 逆に言えば、過ちて改めれば、それは過ちではないのだ。換言すれば、過ちを直視して、過ちを過ちとして理解すればいいのだ。
 では、そのためには? 繰り返そう。こうだ。
 「人は錯誤することがある。その錯誤を認定せよ」

 では、錯誤とは何か? それは、こうだ。
 「人は、間違いやすいところでは間違える」

 たとえば、京アニの犯人は、放火の仕方を間違えた。「こうすればちょっとした放火ができて、仕返しができて、警告ができるぞ」と思ったが、その手法を間違えた。かくて、ちょっと火を付けたつもりで、大火事を招いて、大惨事をもたらした。あげく、自分自身も死にかけた。……つまり、間違いやすいところで間違えた。

 月面探査機も同様だ。探査機の着地の仕方を間違えた。「こうすれば着地して、横たわって、うまく静止する」と思ったが、その手法を間違えた。かくて、ちょっと機体を傾けたつもりで、大回転を招いて、機体の倒立もたらした。……つまり、間違いやすいところで間違えた。

 人は、間違いやすいところでは間違えるものなのだ。だから、そうならないために、「人は間違えやすい」と常に自覚しておくべきなのだ。

 そして、そのためには、間違いの事例を集めて理解しておっことが役に立つ。特に、「錯覚」ともたらすような事例が重要だ。
 その事例としては、次のようなものがある。
  ・ 手品
  ・ 推理小説

 これらは人の心理的な思い込みを利用するものだ。また、次のようなものもある。
  ・ 錯視
  ・ 両義解釈の絵(だまし絵)

 後者の例としては、次の画像が有名だ。


damasie.jpg


 また、下記のページの画像がある。
  → だまし絵
 他にも似た例がある。
  → https://x.gd/9FxKf

 なお、こういうことを悪用して金儲けをする犯罪者が、詐欺師である。
 
 そして、それらのインチキを解明して指弾するのが、名探偵である。


tantei_small.gif





 名探偵がいつも口にする、口ぐせの言葉は? こうだ。
 「困ったときの Openブログ」


  ※ 「じっちゃんの名にかけて」ではありません。

 


 【 関連項目 】
 ともあれ、失敗したなら失敗したと認めるべきだ。敗北したなら敗北したと認めるべきだ。認めなければ、失敗と敗北を繰り返す。

 過ちて改めず。これを過ちという。
( → 月面探査機は失敗だ .1: Open ブログ


posted by 管理人 at 22:42 | Comment(0) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
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