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「劣悪な環境の避難所を離れて、旅館やホテルなどの二次避難所に移ったら、環境が大幅に改善されて、極楽だ」
と喜ぶ人は多い。その一方で、
「劣悪な環境であろうとも、避難所に留まりたい。二次避難所には、絶対に移りたくない」
と頑強に拒む人も多い。何度も報道されている。
2次避難の進み方は鈍い。15日現在で2次避難した人は1083人(県内外26施設)。前日より303人増えたものの、避難者全体(1万8064人)に占める割合は6%に過ぎない。9割を超える1万6742人は今も被災地の避難所に身を寄せている。道路の寸断によって移動が難しいことに加え、古里を離れることへの住民の不安も背景にあるとみられる。
( → 2次避難、わずか6% 古里離れる不安、被災地に9割 能登地震 | 毎日新聞 )
2次避難するよう呼びかけているが、住み慣れた地を離れたくないと願う人も多い。
珠洲市三崎町の集会所で家族と一緒に避難している漁師の蟹谷博樹さん(60)。まだ、地元を離れる決心がつかない。
津波で漁船を流されたうえ、自宅は1階部分がぐちゃぐちゃになったが、同じ場所に家を再建したいと願う。
漁師を40年以上続けており、「今さら別の仕事をしろと言われても無理。若い子ならいいかもしれないが」と語る。
( → 避難か残るか、ジレンマ 「命守る」「地域存続」住民も行政も 能登地震被災地:朝日新聞 )
避難所で話を聞くと、みなさん口をそろえて「まだ先々のことは分からない」と話します。
「2次避難ができない」あるいは「したくない」という人に話を聞くと、「ここが地元で一度も出たことがないので、外での生活が想像できない」「持病を持ちで30年以上この町にある病院や接骨院に通っている」さらには「市内で妻が働いているので、なかなか難しい」などと話していました。
こちらの避難所も高齢者が多いです。さらに気持ちの整理がついていない人もたくさんいます。ですから、現時点では金沢市内あるいは県外などでの2次避難は想像が難しいと思われます。
( → “2次避難”進まない理由は?専門家「先を見通す情報足りず」災害関連死が増える恐れも )
最後の記事では、続いてこう記す。
「2次避難が進まない状況が続くと災害関連死が増える恐れがある」とも指摘します。
過去の事例ですが、「避難中の車内で疲労による心疾患で亡くなった」「慣れない避難所生活から肺炎状態となり入院先の病院で亡くなった」「地震による栄養障害および持病の悪化などで亡くなった」などのケースが「災害関連死」として認定されています。
健在な自宅に残る人の場合はまだしも、集団で避難所に暮らす人の場合には、劣悪な環境で健康が悪化する人も多い。にもかかわらず、二次避難が進まないのだ。
では、その理由は何か? なぜ二次避難が進まないのか?
以上の記事を読むと、次のようにまとめることができる。
(1) 2次避難所について情報の不足
2次避難所がどのようなものか、理解されていない。したがって2次避難所について十分な情報を明示するべきだ。次のように。
・ 十分な居室(ほぼ家族ごとに1室)
・ 十分な食事
・ 大きな温泉風呂
・ テレビやマッサージ機
・ スマホやパソコンの無償貸与
・ 医療や薬剤の無償提供
・ 近所の人々となるべく同じ場所を確約
特に、初日か二日目には、豪華な料理を出すべきだ。そのカラー写真を掲示して、「こんなに豪華な食事を食べられますよ」と、見せびらかす。

出典:一休
こういう豪華な食事の写真を見ると、「いいなあ。おいしそうだなあ。食べたいなあ」と思って、思わず、ヨダレを垂らしそうになる。そうなったら、しめたもの。「どうぞ、いらっしゃい。無料ですよ」と誘えばいい。
こうして、二次避難所について十分な情報を出すことで、人々の不安を打ち消すことができる。
逆に言えば、そのような情報が不足しているから、人々は不安を感じて、現在、二次避難所に移りたがらないのだ。
※ ただし、この趣旨(情報が不足)は、ごく普通だ。テレ朝の番組でも、ほぼ同趣旨の話が示されている。いちいち指摘するまでもないかも。
(2) 現地についての楽観(錯覚)
人々は二次避難所については、悲観的な想像を働かせて、不安になる。
一方で、現地(被災地・一次避難所)については、楽観的な想像を働かせる。次のように。
・ もうすぐ仮設住宅が全員に提供される。
・ 仮設住宅では幸福な生活ができる。
・ 仮設住宅から自宅に通って修繕できる。
・ 道路や水道や電気は遠からず復旧する。
・ 街並みは遠からず再建される。
・ 仕事は従来通りに可能である。
・ 仕事をすれば、客が来て買ってくれる。
・ 住民はみんな戻ってくるので、人口は減らない。
・ 政府がすべて元通りに復旧してくれる。
こういう楽観が蔓延している。
だが、上のような楽観は、すべて妄想である。このような楽観や期待は、とうてい実現しないからだ。次のように。
・ 仮設住宅がすぐに全員に提供されることはありえない。
・ 仮設住宅は(断熱性がひどくて)幸福な生活はできない。
・ 仮設住宅がないので、避難所から自宅に通うハメになる。
・ 水道の復旧は時間が長くかかる。周辺部では電気の復旧も遅れる。
・ 街並みは再建されがたい。建物の再建は容易でない。
・ 仕事は従来通りに可能でない。半分戻るかどうか。
・ 自分が仕事をできても、客が来てくれない。
・ 住民はすぐには戻ってこない。人口は大幅に減る。
・ 政府がすべて元通りに復旧してくれるわけがない。
上に述べたことが現実だ。ところが、人々はこの現実を直視しない。かわりに、「いつか元通りになるさ」と勝手に楽観している。つまり、妄想をもつ。……妄想。これこそが、人々が劣悪状態から避難したがらない真因だろう。
ただし、これは被災者のせいだとは言えない。被災者が勝手に楽観しているのではなく、政府がその楽観をもたせているのだ。「きっと復旧できますよ。そのために政府は全力で努力しますよ」と。
首相は災害関連死を防ぐため、2次避難を促す考えを改めて強調。「住み慣れた土地に戻ってこられるという安心がなければ、なかなか2次避難を決断することはできない」と語り、インフラの復旧や仮設住宅の建設時期の見通しを示すことも指示した。
( → 能登、2次避難まだ7% 住宅被害、2万棟超える:朝日新聞 )
政府だけではない。マスコミも、人道派のフリをした人々が、甘い夢を振りまく。
「できない理由」は、あるのが当然である。だが、そこを乗り越えないと、社会は良くならず、日本は停滞を続けてしまうのではないか。
もうひとつ印象的なのは、過疎地のインフラ再建に税金を使う余裕はないから復興を断念すべきだ、という議論が広がったことだ。
地方を見捨てるという議論の盛り上がりは、高齢者の医療費を削り若者に税金を使うべきだ、という論調の延長線上にある。「できない理由」を探すことと合わせ、衰退と貧困の時代のメンタリティーを感じる。
( → (藤田直哉のネット方面見聞録)災害対応、「できない理由」探すより:朝日新聞 )
「被災地で復興ができない」ことの理由を、「地方を見捨てる」ことと同様だと見なして、「高齢者の医療費を削る」という若者のエゴと同様だと見なす。……あまりにも単純な善悪二元論だと言える。これが人道派を自称するマスコミ人の発想だ。
彼らには錯覚がある。
・ 政府の出せる金は無尽蔵である。(いくらでも金は湯水のごとく出てくる。打ち出の小槌のように。)
・ 人間の工事力は無尽蔵である。(自然の巨大な力が、大地をズタズタに破壊したとしても、人間の機械的な工事力によって大自然の破壊を簡単に修復できる。ガンダムのように。)
・ 人間の寿命は無限である。(被災地の修復にどれほど長い時間がかかろうとも、人間は不老不死のまま待つことができる。エルフのように。)
・ 人間の我慢力は無限である。(避難所で劣悪な環境にさらされて、奴隷状態の扱いを受けても、ずっと我慢できる。イエス・キリストのように。)
あまりにも馬鹿げた認識だ。だが、馬鹿げた認識がまかり通る。
多くの人々は、巨大な危機に直面しても、危機の規模を理解できない。だから「現地に留まっていても大丈夫さ」と思い込む。
ゴジラが東京を襲ったとき、住民が蟻のように踏みつぶされるのを見て、観客は不思議に思った。「これらの住民は、ゴジラが来るとわかっているのに、どうして逃げなかったのか?」と。だが、人間というものは、巨大な危機に直面しても、危機の規模を理解できないのだ。だからゴジラの足に踏みつぶされる。
東日本大震災のときも、同様だ。「津波が来るぞ」と思っても、「巨大防波堤があるから大丈夫さ」と思って、現地に留まった。だから、津波が巨大防波堤を崩壊させたあとで、津波に呑み込まれて溺れた。
能登地震でも同様だ。地震が巨大な土砂崩れを起こしても、地震が地下の水道管をズタズタにしても、「こんなのは簡単に直せるさ」と思って、現地に留まろうとする。根本的に錯覚しているのだ。
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さらに、別の理由もある。都会の人々は、本心では、田舎者を見下げているのである。その心の根底にあるのは、次の発想だ。
「田舎者はしょせん田舎者だ。田舎者は田舎に留まっていろ。田舎者はあくまでも田舎者としてふるまえ。田舎でゴキブリのような生活をしているのが最善だ。都会に出てくるな。おまえたちは田舎で最底辺の原始的な生活をしているのがお似合いなんだよ。間違っても都会で文明的な生活をしようと思うな」
こういう発想を持つ人々が、人道的な善人のフリをして、「被災者は被災地に留まっていろ。それが幸福なんだ」と唱える。
そして、それを信じた無知な被災者が、「そうだべ。汚い貧しいおらたちは、汚い貧しい被災地にいるのが幸福なんだべ」と思い込む。詐欺師の口車に洗脳されたカモとして。
だからこそ、被災者はあえて劣悪な避難所に留まりたがるのだ。「すぐに改善される」と甘い夢を見ながら。……いわば(善人の仮面をかぶった)悪魔にだまされるように。

※ そして、それを正すのが、私だ。「詐欺師の口上にだまされるな」と、毎度毎度、警告するわけだ。地獄から救い出すために。
※ では、どうやって? 悪魔の嘘を暴露して、真実を明かすことによってだ。ちょうど、名探偵のように。

比べれば、並みのインフルエンザと、世界規模のコロナぐらいの差。最新技術の mRNAワクチン でかろうじて抑制したが、それでも死者 500万人。コロナは並みのインフルエンザとは違う。
「日本人の力を舐めてはいけません」なんて楽観していたから、GoTo イートという愚策をわざわざとって、莫大な死者を発生させたんです。
敗北を認めないと、莫大な死者が発生する。原爆みたいにね。
なお、神戸は人口が圧倒的に多い。同じく 100億円を投入するにしても、10万人を救うのと、100人を救うのでは、効果がまったく異なる。
100人を救うのなら、1人1億円のコスト。10万人を救うなら、1人10万円のコスト。コスパが全然違うでしょ。
コスパという概念がわかりますか?
それとも管理人様は中国人か韓国人なのでしょうか?
アメリカが勝利したから罪に問われることは無いが。
GHQによって捻じ曲げられた戦後の日本の教育では一切教わることはありませんでしたが。
地元での復興のために(田舎民からその1億円を奪って)自分たち土建業が金を全部使ってしまおう、という自民党は、実に心優しいですね。
とりあえず、あなたの現金を全部奪ってしまって、あなたの金であなたの地元の土木建設業者に仕事を与えてはいかが? あなたが現金を奪われて一文なしになれば、あなたは泣いて感謝するでしょう。「現金を奪ってくれてありがとう」と。
次項では、被災者は「1300万円をもらうことができる」と提案しています。こんなに多額の現金をプレゼントしよう、という提案者は、私だけですよ。まるでサンタクロースだ。
被災者にこんなに多額のプレゼントをするなんて、ホントに薄情者ですね。
しかも、このことで、復興費用は大幅に節約できる。「1人1億円」という現行の予算を削減して、「1人1300万円」にまで減額するからだ。
そのおかげで、国民は大幅に減税となる。(増税を免れる。)
国民の大幅増税を回避して、国民に多額の現金をプレゼントするなんて、私はすごい薄情者ですね。
むしろ、あなたの提案に従って、国民に大幅増税するべきかもね。とりあえず、国民1人あたり 1000万円の大幅増税にする。巨額増税だ。そうすれば、あなたは大喜びでしょう。「国民を一文無しにしてくれて、ありがとう。これこそ能登の民衆を救う方法だ。能登の民衆を救うためには、国民を一文無しにするべきだ」と。
能登の被災者には 1300万円の現金をプレゼントするが、神戸の被災者には 10万円の工事で復興するだけにする。……これが「田舎者を差別する」ということになるのなら、私の提案をやめて、「能登の被災者にも、1人あたり 10万円分の復興をする」というふうにすればいいでしょう。それがあなたの提案なのだから。
で、「1人あたり 10万円分の復興」で、何ができるか? それは、あなたが考えるといいでしょう。
「地震に敗北した」という現実を直視できずに、「地震に勝利できる」と妄想する。
妄想している人には、何を言っても無駄でしょう。京アニに火を付けた人と同様だ。現実を理解できない。
その意味では、県知事も首相も同様だが。