2024年01月18日

◆ 土砂崩れは復旧できるか?

 能登では、土砂崩れで道路が寸断している箇所が多い。これらの箇所は復旧できるか? 「できる」と思い込んでいる人が多いが。

 ──

 いきなり結論を言えば、「復旧はできない」と言えるだろう。それが私の判断だ。道路が寸断しても、すぐに元通りになると思い込んでいる人が多いが、土砂崩れの場合は違う。そう簡単に元通りにはならないのだ。











 画像を見ればわかるように、途方もない規模だ。これは「穴があいた」というような規模ではない。穴があいたのなら、穴を埋めればいい。しかし、土砂崩れは違う。土砂崩れが襲ったら、土砂崩れの土砂を撤去すればいい、という具合には行かないのだ。土砂の量があまりにも巨大だからだ。
 これはもはや人間の左右できる能力を越えた規模だとも言える。

 ここまでかろうじてなしてきたのは、内陸部の「啓開」だった。これは、土砂で埋まった道路のうち、とりあえずは片側車線だけで土砂を撤去して、片側車線だけは通行できるようにする、というものだ。


noto-kouji.jpg
出典:国土交通省


 このような「復旧」は、内陸部では可能だった。土砂崩れの規模も小さかったからだ。そのおかげで、最近では道路交通はかなり通れるようになってきた。(大型車が通れるほどだ。)


 次々と開通は進んでいるが、あくまで片側車線だけであることが多い。また、場所は内陸部だけであることが多い。
 一方、海岸線における大規模な崩落箇所は、手つかずのところが多い。手を付けようにも、手の付けようがないところが多い。
 内陸部ならば、「道路の一部分が土砂で埋まった」というぐらいのところが多いので、土砂を撤去すれば何とかなることもある。だが、海沿いの土砂崩れでは、ものすごく大量の土砂が道路を埋め尽くしている箇所もある。そこでは土砂を撤去することは困難だ。また、仮に土砂を撤去すれば、撤去したあとの空白地帯に、新たに土砂崩れが襲いかねない。(特に雨が降れば、新たな土砂崩れが起こりかねない。)また、土砂崩れが起こったあとの「法面」(のりめん)が新たに崩壊する危険もある。このような箇所は、容易に復旧しがたい。
 さらには、道路の全体が「底抜け」したように崩落してしまった箇所もある。





《 スクショ 》(静止画)

noto-dosha.jpg


 道路の上に土砂がかぶさっただけなら、何とかなることもある。
  ・ 土砂を撤去する  (off)
  ・ 土砂を残して、トンネルを掘る (through)
  ・ 土砂の上を乗り越える道を作る (over)

 これらの方法で何とかなることもある。
 しかし、道路の下側が「底抜けした」という場合は、大変だ。とりあえずは、「底抜けして寸断した部分に、橋を架ける」という方法で、寸断箇所を修復することはできるかもしれない。しかし、その方法だと、橋の前後がいつまた(地盤ごと)崩落するか、わかったものではない。とても危険度が高い。

 ──

 現実問題として、これらの巨大な土砂崩れを復旧することは、非常に困難である。100億円ぐらいの金でできるかどうかも不明だ。1000億円ぐらいかかるかもしれない。また、時間も5年以上かかるかもしれない。しかも、それを利用する人は 100人ぐらいしかいない、というようなありさまだ。
  → 被災地を復興するべきか?: Open ブログ

 となると、このような海際の土砂崩れは、もはや復旧を諦めた方がいい、と言えるだろう。
 国交省は必死に修復を試みているようだが、金を湯水のごとく投入しても、ただの無駄になるのではないか? 
 「8年かけてやっと開通しました。しかし残る村人はもういません」
 というふうになりかねない。陸前高田の空地区画の造成のように。

 陸前高田では、5000億円以上の金を投入して、人のいないゴーストタウンを造成した。それと同様の無駄を、ふたたび能登でやるつもりなのだろうか? それが善行だと信じながら?
 しかるに、5000億円もの金を投入するくらいなら、4万人弱の被災者に1人 1000万円ずつ配る方がマシなのである。4人家族なら、4000万円になる。その金をもらって、どこかで新生活を始める方が、よほどマシだろう。……誰も通らない無人道路を作るよりは。
    ※ 計算を間違えました。被災者数は、能登半島全体の4万人ではなく、僻地の 1000人ぐらいです。これに 5000億円を分配すると、1人5億円です。一家4人なら、一家 20億円をもらえます。

 ── 

 まあ、それでも、地盤が固まるのを見計らって、5年ぐらい先には、道路を開通させることはできるかもしれない。
 しかし、能登半島の全体にわたって、あちこちの土砂崩れをすべて復旧させるというのは、1年ぐらいではとうてい無理だろう。
 今やるべきことは、内陸部の道路をなるべく早く復旧することだ。それは可能だし、重要度も高い。
 一方、海際の大規模な土砂崩れについては、優先度を引き下げて、じっくり調査してから、長期的な計画を練る方がいい。その上で、復旧を放棄する(または超長期にする)選択も考慮するべきだ。

 大事なのは、「計画性」や「工程表」なのである。やみくもに工事を進めればいいというものではないのだ。(今のままでは無理な工事のために莫大な金を浪費しかねない。)

  ※ 工程表の必要性については、前項の最後を参照。
    → 復興には都市計画を: Open ブログ
 


 [ 付記 ]
 話の前提として、「地震の再発はあり得る」ということに留意しよう。
 「今回の地震はこれで打ち止めだ」と思っている人が多いようだが、それは正しくない。
 そもそも、この地域では1〜2年前から震度5〜6クラスの地震が頻発しており、今回の地震は「シリーズのうちの一つ」であるにすぎない。シリーズがこれで終わった保証はないのだ。
 さらには、地殻構造の調べから、今回の地震では歪みが解消しきっていない、と判明している。中央部および西側の歪みは開放されたが、東側の歪みはまだ残っている。とすれば、珠洲市の東方で、再度の大地震が起こる可能性はある。( → 出典記事

 そして、そうなったら、(地盤がもろい場所では)修復中の道路が崩壊する危険もある。修復しないで放置すれば、被害はゼロなのだが、修復して道路を使用すれば、次の地震で大惨事が起こる危険もある。工事をしたせいで、かえって被害が増えてしまうわけだ。被害を増やすために工事をするようなものだ。
 人殺しを目的とする工事。そのために数千億円を投入する。……狂気の沙汰だ。

 しかしまあ、阿呆というものは、そういうものだ。自分が何をしているかもわからないまま、馬鹿のひとつ覚えを実行する。
 「フッキュー、フッキュー」と言いながら、不急の仕事をやるのだ。どうせなら、「フキュー、フキュー」と言えばいいものを。
posted by 管理人 at 23:11 | Comment(1) |  震災(東北・熊本) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お説の通りと思います。マスコミや首相の視察まで被災者に寄り添った個々の対応だけに気が向いています。それらは地域の部署に任せて、首相は大所高所から100年単位での対策を考えなければなりません。まあそのように仕向けているマスコミにも問題があります。
 食料、飲料水やトイレなどその場対策ばかりに気が向いていて、地震に強い国づくりは会議だけで前進していません。せいぜい町内に防火水槽を設置する程度です。南海トラフ地震は40年以内に90%と言われているのに。特定の地域ずつ重点的に実行することが大事です。広く浅くはだめです。でもこれが衆愚民主主義国ではむずかしいですね。
Posted by ひまなので at 2024年01月19日 10:33
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