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これに疑問を出した話が話題となった。
→ 『なぜ輪島に人がそんなに住んでるの?』日本海側の海路の要衝と土地の歴史「陸路の方がイレギュラー」 - Togetter
このページのリンク先に、正しい回答が記してある。
→ のとねっと ◇能登半島北前船ものがたり 1


北前船というものがあった。江戸時代の初期に、新たな船が開発されたことで、日本海に商業航路ができた。日本海側は、陸路が険しくて、道路ができなかったので、航路ができると、海運が発達した。すると、山陰と新潟を結ぶ航路の途中にある能登半島は、途中の経由地として大いに発達した。特に(旧)福浦は賑わったそうだ。
→ のとねっと ◇能登半島北前船ものがたり 4
一方で、輪島は、地元産品を提供することでも栄えたそうだ。
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ところが、その繁栄も、やがて衰えることになった。なぜなら、陸路が開通したからだ。全国津々浦々に自動車道が開くようになると、物流の中心は海路から陸路に移るようになった。すると、海路の中継地点としての能登半島も衰退するようになった。……これが現状だ。
とすれば、能登半島は今後も衰退する一方だ、と言えるだろう。実際、人口は年々、急速に減少しつつある。ざっと、5年間で1割ぐらいの人口減少率であるようだ。残る人口も高齢者がほとんどで、高齢者の死亡とともに人口は急減していくことが推定される。
輪島市は、現在人口が 2.4万人なので、今すぐ消滅することはないだろうが、このあと長い時間をかけて、どんどん人口が急減していくことは避けられないだろう。
[ 付記 ]
「田中角栄とトンネル」という話題がある。
→ 米山隆一の廃村論「雪下ろしが必要な田舎が危険なら、除雪のいらない都会のマンションに移住を」 - Togetter
60人しかいない集落のために 12億円を投入してトンネルを作った。このトンネルは、子々孫々、ずっと有効に使われるのだから、決して無駄ではない、と言い張った。
しかし 20年後に地震が起こり、住戸は 19戸にまで減った。利用者はこれほどにも激減した。
※ 思うに、同じ金額を住民にプレゼントして、移住させて上げれば、どれほど住民は幸福になれたことだろう。地震で住民が死ぬこともなかったはずだ。無駄にトンネルを作ったせいで、納税者も損したし、住民も不幸になった。得をしたのは、土建業で利権を持つ田中角栄だけだった。……これがいつの時代も、自民党が公共事業を続ける理由だ。(このことに気づかない人々が、だまされて、自民党に金を貢ぐ。)


【 追記 】
北陸ではもともと陸路が発達していなかった。これはどうしてかと思って調べると、地形の点で、道路があちこちで寸断されているからだ。海沿いに道はあるのだが、ところどころで険しい山が立ちはだかって、道をつなげてくれない。
これを克服するには、トンネルを建設する必要がある。実際、今では多くのトンネルが建設済みであり、陸路はつながっている。
では、そのトンネルはどんなものか? ストリートビューで見ると、かなり古いトンネルが多い。
これらの国道トンネルの建設時期はいつか? Wikipedia によると、1975〜1985年ごろらしい。となると、田中角栄が栄華を誇った時代だ。(前半には自分が総理大臣となり、後半には影の首相として君臨した。)
つまり、北陸の陸路を発展させたのは、田中角栄だった。そのおかげで、新潟や北陸の都市は「道路が開通して発展した」と喜んだ。
その一方で、能登半島は( 陸路発展の逆効果で )衰退していった。
能登半島がどんどん衰退していくのは、田中角栄の効果なのだ。
- 【 オマケ 】
ただし、上のストリートビューで示したトンネルに限って言えば、このトンネルの固有名詞が(画像で)判明したことから、建築年代が別だと判明した。このトンネルの建設時期は 1915年だ。田中角栄よりも古い。
能登半島と田中角栄の関係。