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広告は下記。(低解像度)
高解像度の画像は、トヨタのサイトから得られる。
→ 「未来は、みんなでつくるもの。」〜あなたが描く未来のモビリティ社会は?〜
→ 高解像度画像(3.6MB)
広告の言いたいことは、こうだ。
「全方位で考えよう。やれることは全部やろう。可能性はたくさんあるほうが、おもしろいから」
いかにもコピーライターっぽい文句だが、言いたいことはこうだ。
「 EV 開発が世界の流れだが、トヨタは EV だけでなく FCV(燃料電池車)もやるぞ。 EV 一辺倒でなく FCV との両面狙いでやるぞ。可能性のある道は諦めない。可能性を信じることは素晴らしいんだ。未来の夢を信じよう」
美辞麗句が並べられているが、これは時代錯誤の間抜け宣言だ。どこが駄目かを、解説しよう。
(1) 選択と集中
「全方位で研究開発する」というのは、基礎研究では正しい。日本の基礎科学で研究するなら、まさしくそうするべきだ。一つの分野にかかる費用はたいした額ではないのだから、少額を広い分野にばらまくのが正解だ。「当たり」がどこにあるのかわからないのだから、広い範囲で少しずつ賭けるのが利口である。
一方、基礎研究でなく、生産投資については、「選択と集中」が正しい。二つの方向に半分ずつ投資をするのでは、「あぶはち取らず」になる。
比喩的に言えば、野球のダブルヘッダーで1試合に注力すれば1勝1敗になるのに、2試合で半分ずつの力で戦力を投入すれば、どちらも僅差で負けてしまうので、2敗になる。それでは馬鹿らしい。
自動車も同様だ。EV に集中すれば、トヨタも何とか頑張れる。しかし EV と FCV に戦力を半々で投入すれば、どちらも戦力が半分になるので、どちらも負けてしまう。特に EV で負けるのが致命的に痛い。一方、FCV ではトヨタが圧勝できるだろうが、そこでは市場がもともとゼロ同然なので、そんなところで圧勝しても意味がない。(2軍のリーグで圧勝するようなものだ。ナンセンスだ。)
要するに、「全方位で開発する」というのは、経営に関する限り、最悪の方針なのである。経営でやるべきことは「選択と集中」だ。トヨタは基礎研究と経営とで、方針の違いを理解できていない。
日本政府は「全方位で研究する」べき基礎研究の分野で、「選択と集中」という方針を取って、大失敗した。トヨタは「選択と集中」という方針を取るべき経営の分野で、「全方位で開発する」という方針を取って、大失敗する。……日本政府もトヨタも、わざわざ正解とは真逆の方針を取って、大失敗する。どちらもまた、狂気の沙汰だ。というか、馬鹿丸出しだ。
※ 世界の人々はみんな正解の道を通っていくのに、日本政府とトヨタだけは、世界の人々の流れに反して、わざわざ逆の方向に進んでいく。気違いじみている。しかも、トヨタはその狂気の方針を、ことさら得意がって、元日の広告で宣伝する。自分で自分の馬鹿さ加減を宣伝する。目も当てられないね。
(2) FCV と EV
トヨタがこういう馬鹿げた方針を取るのは、なぜか? それは、技術開発における歴史的な段階を理解できていないことによる。
そもそも、トヨタは勘違いしているが、トヨタの FCV 技術はすでにほぼ完成の域に達している。これ以上、大幅に完成度を高める必要はない。「これからもどんどん開発して、FCV という未来技術を完成させます」と思っているようだが、トヨタの FCV 技術は、性能的にも、コスト的にも、すでに完成の域に達しつつある。これ以上、特別に飛躍的な技術開発は必要ない。あとは少しずつ熟成させるだけでいい。 FCV 技術の開発をさらに大幅に進める必要などはないのだ。
→ トヨタの新型「クラウンセダン」は想像以上にイイ!
ではなぜ、現実には FCV は普及しないのか? 主な理由は、FCV ステーションがないことだ。これがないので、FCV が普及しない。
では、FCV ステーションをたくさん増設すれば、FCV は普及するか? いや、普及しない。なぜか? FCV は EV に比べて、燃料コストが圧倒的に高いからだ。
EV ならば、電力を電線で運搬するだけで済む。その電線はすでに社会に広く普及している。残るのは充電所の建設ぐらいだ。それは必要最低限の設備投資であるから、十分に実現可能だ。また、電力の運搬コストは、ほとんどゼロ同然で済むから、このコスト負担も必要ない。
FCV は、そうは行かない。(液体またはボンベの)水素の運搬コストが多額にかかる。また、水素の圧縮によるコストとエネルギー・ロスが多大にかかる。どう考えても、元のエネルギーの3割程度はロスするだろう。となると、価格は5割ぐらいはアップすることになる。……とすれば設備投資で考えても、エネルギー消費量で考えても、水素を利用する方式は、EV に比べて大差で負けてしまう。(大幅に効率が悪い。)
この意味で、FCV は EV に比べて、明らかに前世代の旧式技術なのである。
歴史的にも、そうだった。FCV が有望だと見なされたのは、1990年代後半のことだった。「燃料電池車は近い将来に実現する次世代環境車だ」と見なされていた。
「燃料電池車は、排ガスを出さないし、効率も高い。しかも、技術的にはほとんど完成しているので、2005年には大々的に普及して、ガソリン車を追い払うだろう」と見なされていた。
一方、「電気自動車は、高性能だが、開発のメドが立たない」と見なされた。「電気自動車は、技術的に開発が難しいので、早くても 30年後( 2025年ごろ)にならないと、実用化しないだろう。電気自動車は、性能的には燃料電池車を大幅に上回る未来の自動車だが、技術的には困難なので、ずっと先にならないと普及しないだろう。近い将来(2005年)には燃料電池車が実現して、それからずっと先(2025年)になって電気自動車が実用化するだろう」というふうに思われていた。
ところが現実の歴史はその予想に反した。燃料電池車は、2005年に実現するはずだったのに、2023年になっても普及しない。一方で、電気自動車は、テスラ社が大幅に技術開発を進めたおかげで、どんどん普及率が高まった。当初の研究室段階では燃料電池車の方が進んでいたが、実際の販売では電気自動車が燃料電池車を大幅に追い越した。寝ているウサギを追い越す亀のように。
そして、気づいたときには、もはや手遅れだ。亀だと思われていた電気自動車は、まるで卵から孵化するように、一挙に羽ばたいてしまった。今さら燃料電池車がどれほど頑張ろうと、電気自動車ははるか先に羽ばたいてしまったのだ。もはや追いつくことは永遠に不可能なのである。(燃料電池車は、もともとのポテンシャルが古い前時代のレベルであるからだ。)
燃料電池車は、うまく行けば、2005〜2015年の花形になるはずだった。そして、一世を風靡したあとでは、2025年以後になって、花形の座を電気自動車に譲るはずだった。「以後はお任せします」というふうに。
ところが、燃料電池車は、その時機を逸した。2005〜2015年の花形にはなりそこねた。とすれば、ついぞ出番のないまま、控えの身で生涯を終えるしかないのだ。いわば、グズグズしているうちに年老いた、未婚の処女のように。
ところが、トヨタは、そのことに気づかない。「 FCV は年老いた未婚の処女だ」ということに気づかない。そのせいで、「 FCV には明るい未来が待ち構えている。時期が来れば、やがては FCV が大人気になる」と思い込んでいる。その愚かな自己陶酔には、哀れを催す。50歳のシワくしゃ女が、「自分は若くて美人だ」と自己陶酔するようなものだ。
それが今のトヨタだ。
その愚かさを世間に大々的に知らしめるのが、今回の年頭広告だ。
その哀れさには、物悲しくなるばかりだ。
[ 付記 ]
「ここの管理人は、トヨタの悪口ばかり言って、イヤミな奴だな」
と思う読者もいるだろうが、とんでもない。私はトヨタをいじめたいわけじゃない。トヨタを救いたいんだ。
豊田章男が退任したあとでは、次の社長は方針を大転換して、EV 邁進に進むと期待したのだが、そうではないことが判明した。豊田章男は隠然たる影響力を持っている。トヨタはいまだに「全方位作戦」なんかを取っていて、「 EV に集中」という「選択と集中」の方針を取れない。こんな中途半端な方針では、トヨタは EV 時代を勝ち抜けないだろう。戦う前から「全力の投入」を拒んでいるからだ。
「鬼滅の刃」でも、主人公は戦いの方針を示している。「鬼に勝つ方針はただ一つ。全集中だ」と。
ところが、トヨタはその方針をとれない。「全集中」のかわりに、「全方面」なんていう見当違いの方針を取っている。こんなことでは敗北は必至だ。それがトヨタの運命となる。
だから、私がなすべきことを教えて上げているのだ。トヨタの悪口を言うためではなく、トヨタを救うために。
私はトヨタの悪口を言っているんじゃない。豊田章男とトヨタ社長の悪口を言っているんだ。トヨタの全社員を救うために。(いわば竈門炭治郎のように。私は長男だから、頑張れるんだ。)
【 関連項目 】
→ トヨタの年頭抱負: Open ブログ( 2023年01月01日 )
※ トヨタは1年前にも、同様の広告を出した。そのときも本サイトで批判した。
【 追記 】
トヨタが特に注力するべき分野は、燃料電池車ではなく、自動運転技術だ。特に、ステレオカメラ方式の技術を磨くべきだ。世界の流れは LiDAR だが、これは「黒い物体を検知できない」という致命的な難点がある。(ステレオカメラならば、その難点はない。黒い物体も立体認知できるからだ。)
LiDARを使うのは構わないが、 LiDAR だけでは致命的な難点がある。だから、ステレオカメラ方式の技術を磨くべきなのだ。
しかるにトヨタは、自動運転技術にあまり熱心ではない。いくらかは やっているのだが、会社規模の割には、あまり熱心ではない。燃料電池車にかける情熱に比べると、圧倒的に小さい。
クチでは「全方位」と言っているくせに、実際には「燃料電池車一辺倒」という狭い方針であり、ステレオカメラによる自動運転技術はろくに磨いていないのだ。トヨタは技術軽視がひどすぎる。「技術の日産」ならぬ「技術無視のトヨタ」だ。ダイハツを見ると、「詐術のトヨタ」かもね。(この分野でなら、世界一だ。ダントツだ。ダイハツならぬダントツ。)
[ 補足 ]
「燃料電池車は水素でエネルギーを長期保存できるぞ。それは EV にはない利点だ」
という反論もありそうだ。だが、それは成立しない。なぜなら、水素でエネルギーを長期保存するためなら、水素火力発電を利用すればいいからだ。これなら1箇所で済むので、コストは最小限で済む。全国各地に水素を分散貯蔵する燃料電池車に比べて、圧倒的に低コストで済む。(無駄がない。)
※ 燃料電池が有益なのは、それで出る廃熱を利用する「家庭用の燃料電池」の場合だ。この場合には効率が大幅に向上する。一方、廃熱を利用できない燃料電池車では、燃料電池は効率が低すぎる。無駄だ。
→ 水素社会を推進するべきか? .2: Open ブログ
自動運転技術の話。
https://twitter.com/toyotatimes/status/1609203500579446784