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この事件が起こった背景については、下記に詳しい解説がある。
→ (「政治とカネ」を問う 柿沢議員逮捕:上)「柿色」の政争 東京15区、党支部長めざし…:朝日新聞
柿沢議員はもともとは野党系の議員だったが、保守化して、自民党への鞍替えを狙った。ところが地元の大物は保守系なので、野党からの鞍替えをしたがる外様を排除しようとした。やがて、その大物がいなくなった。そのあとで、柿沢議員は自民党の公認を得ようとして、よそから新人候補者を連れてきて、地元の区長選挙に立たせた。その新人候補者が、大物の側の広報車を破って、当選した。ところが事後、新人候補者と柿沢議員の違反(買収、有料ネット広告)がバレてしまった……というわけだ。
みっともない話である。
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ところが、記事の解説では、話は簡単ではない。これが違法であるかどうかは判然としないらしい。
選挙区内の支持基盤を強化する行為は「地盤培養行為」と呼ばれ、政治家間の資金提供は一定の制限の中で「政治活動」として認められている。一方、特定の候補者を当選させる目的があれば「選挙運動」となり、買収罪にあたり得る。
一方、資金の趣旨が複数あり、「区長選のため」という目的が一部でも含まれれば、全て買収資金とみなされる可能性がある。
政治活動か選挙運動か――。河井元法相の事件でも争点になったが、特捜部OBの弁護士は「峻別は難しい」という。
統一地方選などで複数の選挙が重なる場合、「『陣中見舞い』の趣旨が多義的なのは普通」と指摘。その上で「地盤培養か買収かがグレーな場合、検察は抑制的にやるべきだ。選挙で得た何万人の信任を覆すことになるわけだから」という。
特捜部の大型事件で被告の弁護経験がある弁護士も「授受の双方がどんな趣旨だと理解したかで犯罪の成否が分かれる、非常に不安定な解釈が取られている」と話す。
( → 「柿沢からのお届け物」は選挙買収?政治活動? 曖昧な線引き:朝日新聞 )
《 政治家間の資金提供は一定の制限の中で「政治活動」として認められている 》
と文中にある。このことがあるがゆえに、議員方の議員に金を与えても、「正当な政治活動だ」と見なされて、「買収ではない」と言い張る余地があるわけだ。
かくて、今回の柿沢議員の摘発は、「無罪である」と見なされる可能性が十分にある。
これをどう評価するべきか?
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実は、これと同様の問題については、前にも論じたことがある。広島の河井夫妻の買収事件のときの項目だ。そこから転載しよう。
国会議員の河井夫妻が、選挙の買収の容疑で、逮捕された。しかしながら、買収は合法だと見なせる。
そんな馬鹿な! と思う人が多いだろうが、同時に、その理屈を知りたがる人が多いだろう。そこで、説明しよう。
今回の買収は、一般人を対象とした買収ではなく、政治家を対象とした買収だ。そして、政治家を対象として金を与えることは、「政治献金だ」と言い逃れをする余地があるのだ。
責められるべきは、「政治家個人から政治家個人への献金を容認する」という現行制度そのものだ。
要するに、買収の大好きな自民党が、「買収してもいい」という法制度を作ったのが、諸悪の根源である。ここでは、河井夫妻を責めるよりは、こんな馬鹿げた法律を制定している自民党を批判するべきなのだ。
( → 選挙の買収は合法だ: Open ブログ )
合法かどうかは、物事の善悪によるのではなく、法制度による。どんな悪であっても、それを合法とする法制度があれば、合法となる。
「法の恣意的な運用」を避けるのであれば、前例にならって、今回の買収については「合法」と見なすのが妥当だろう。
先の話を再掲しよう。
要するに、買収の大好きな自民党が、「買収してもいい」という法制度を作ったのが、諸悪の根源である。ここでは、河井夫妻を責めるよりは、こんな馬鹿げた法律を制定している自民党を批判するべきなのだ。
これが実状だ。どんな悪であっても、それを合法とする法制度があれば、合法となる。
では、どうすればいいか? 悪が合法化されているのだから、悪を非合法にするように、法制度を改正するべきだ。
( → 選挙の買収は合法だ 2: Open ブログ )
先にこう記した。
《 政治家間の資金提供は一定の制限の中で「政治活動」として認められている 》
これがそもそもの問題なのだ。政治家の政治活動とは、政治家の理念を選挙民に唱えて票を得てから、その理念を実現する活動のことだ。
一方、その理念を実現できるような権力を獲得するために、仲間となる議員の支持を得ようとして、仲間となる議員に金を贈ること(仲間を買収すること)は、政治活動ではない。それは、政治活動そのものではなくて、ただの私利私欲としての権力欲をみたすための活動であるにすぎない。そんなことは選挙民の望んだことではない。
とすれば、そんなことを「政治活動」とみなして合法化するべきではないのだ。むしろ、違法行為として、全面的に禁止するべきだ。
《 政治家間の資金提供は一切禁止する 》
というふうに。これは、現行制度とは正反対の方針だ。
このような方針こそ、正しい方針(理想的な方針)である。
ところが、どこをどうトチ狂ったか、現行制度は「政治家同士の買収を容認する」という制度となっている。もともと買収を容認している制度なのだ。……ここには、構造的な不正がある。
とすれば、なすべきことは、このような「構造的な不正」を認識した上で、法制度を改革することだ。
《 政治家間の資金提供は一切禁止する 》
というふうに。
そして、そういうことができていないのであれば、広島の議員も、今回の柿沢議員も、無罪になってしかるべきなのである。「政治家間の買収は合法的である」というのが、現行制度であるからだ。
ここに手を入れず、裁判所だけに頼って、法制度以上に厳しい形で買収を処罰するのは、もはや法治国家として体をなしていない、と言えるだろう。
※ 広島の河井夫妻は、最高裁で有罪が確定した。まあ、裁判所がそうしたくなる気持ちはわかる。だが、ザル法を放置した上で、ザル法の拡大解釈によって悪人を処罰するというのは、法的正義にはかなうとしても、法治国家としては滅茶苦茶である。