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今日では信じがたいことだが、「私立銀行が独自の紙幣を発行していた」という時代があった。明治初期の8年間だけだが。(明治6〜明治 14)
このころの歴史は次の通り。(国立印刷局による。)

当初は粗悪な政府紙幣が発行されたが、偽造が多発したので、ドイツ製の新札が導入された。
それでも不充分なので、米国製の高度な紙幣が導入された。同時に、金本位制に基づく(金と交換可能な)兌換紙幣を、私立銀行が発行するようになった。私立銀行は、名前は「国立銀行」(National bank )という名前が使われた。誤訳のようなものだ。
こうして私立銀行の紙幣が乱立したが、のちには(兌換紙幣でない)不換紙幣の発行も認められるようになると、紙幣が大量に発行されて、インフレを招いた。(当然だが。)
そこで、たったの8年間で、私立銀行の紙幣の発行は取りやめとなり、以後は政府自身による日本銀行の紙幣だけが発行されるようになった。(従来の紙幣もしばらくは流通したが、その後は禁止。)
詳細は下記。
→ 独立行政法人 国立印刷局 - お札の歴史
→ 国立銀行 (明治) - Wikipedia
→ 国立銀行紙幣 - Wikipedia
当時の紙幣の一例

[ 付記 ]
明治4年までは、江戸時代の各藩の「藩札」も流通していた。
→ 藩札 - Wikipedia
【 関連サイト 】
明治初期の銀行事情。長文記事。
→ (はじまりを歩く)銀行 東京都中央区 新貨円の誕生、渋沢栄一奔走:朝日新聞