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生産中止の記事はこちら。
ホンダが同社初の量産型EVとして発売した「ホンダe」が2024年1月をもって生産終了となることを同社Webサイト上で正式に発表した。この生産分が売り切れとなり次第、販売終了となる。
当初のホンダeの年間販売目標台数は日本で年間1000台、欧州で1万台としていたが、累計販売台数では日本で1800台弱、欧州で約1万2000台と販売的には苦戦しており、すでに欧州では販売終了となっていた。
( → 「ホンダe」 )
どうして売れなかったかと言うと、性能に比べて価格が高すぎたからだ。同じぐらいの性能の他社と比べて、約 100万円も高い。しかもメーカーの話によると、これでも1台あたり 100万円ぐらいの赤字になるそうだ。つまり、他社に比べて製造コストが 200万円ぐらい高い。ということは、製造技術が他社に比べて圧倒的に劣っていることになる。
どうして劣っているのか? その理由は明らかだ。これまで EV 開発をサボってきたからだ。
ではなぜサボったか? これまでは EV のかわりに、水素自動車・燃料電池車の開発に注力してきたからだ。
どうせなら、EV と 燃料電池車に半々で注力しておけばよかった。金を賭けるなら、勝ちそうな馬に半々で賭けておけばよかった。しかるに、ホンダはそうしなかった。「燃料電池車こそ勝ち馬だ」と信じて、そこに有り金全部を賭けた。しかしその結果は、ハズレだった。賭け金の全部をスってしまった。残った金は何もない。……それが現在の「スッカラカン」という状況である。ひどいものだ。
※ 仕方ないので、GM と協力して、GM の EV 技術を与えてもらう予定だったが、その GM の EV もひどい状況だと判明したので、アテがすっかりハズレてしまった。もはやどうにもならない。どん詰まりというありさまだ。哀れ。
ここまでは、すでに知られた事実だ。ただの事実なので、特に論じるまでもない。
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さて。問題は、次のことだ。
「ホンダは負け馬(燃料電池車)に、有り金すべてを賭けた。それはどうしてか? どうしてそういう馬鹿げた選択を決めたのか?」
賭けの結果が「ハズレだ」と判明してから、「ハズレる方に賭けなければよかったのに」と批判するのは、後出しジャンケンのようなものだろう。ちょっと不公正ではある。
とはいえ、その当時、のちにハズレる方(間違いとなる方)を、あえて選んだことには、何らかの理由があったはずだ。その理由は何か? ……そう考察することは、無意味ではない。
ではいったい、その理由は何だったのか? あえてハズレの方を選んだ理由は?
その理由を教えよう。それは、次のことだ。
「ホンダは方針を会議で決めたからだ。会議において多数決で決めた。そこでは共同責任は無責任となったので、無責任な形で、正解よりも誤答を選んだ」
※ 前項で述べた「共同責任は無責任」に対応する。
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では、会議で決めると誤答を選ぶようになるというのは、どうしてか? それは、次のことによる。
「当時は日本政府の国策で、燃料電池車を大々的に推進していた。ハイブリッド車の次に来るのは燃料電池車だと信じて、次世代の環境自動車として、政府が国策で燃料電池車を推進した。1990年代には通産省が推進し、2001年からは経産省が推進した。こうして国策で燃料電池車が大々的に推進されたので、お上べったりの自動車会社は、燃料電池車に注力した。特に、トヨタとホンダがそうだった」
政府が大々的に燃料電池車を推奨した。だから、たいていの人は燃料電池車こそ次世代の車だと信じようになった。
そこで多数決を取れば、票の多数は燃料電池車に集まるに決まっている。かくて、
「会議をすると、(烏合の衆の)多数決によって、燃料電池車が選ばれる」
という結果になった。
これと似た例は、他にもあった。
「会議で票決すると、MRJ の開発には賛成票が圧倒的に多かったので、MRJ の開発が会社の方針として決まった」
このときも同様だ。政府(経産省)が「 MRJ の開発を推進するべきだ」という方針を取った。だから、政府の方針に従って、三菱重工の重役会議は MRJ の開発を決めた。
「会議で多数決で決める」
という方針を取れば、そうなるのが自然なのだ。(お上の方針に従うわけだ。)
一方、会議とは別の理屈で、自社の方針を決めた会社もあった。次の二つだ。
・ テスラ (イーロン・マスク社長)
・ 日産自動車 (ゴーン社長)
この2社だけは、「 EV こそが次世代の自動車だ」と信じて、EV 開発に注力した。だから、燃料電池車を選ばなかった。
この2社は「政府の方針に従う」という方針を取らなかった。政府の方針に従うかわりに、社長が自ら EV 開発の道を選択した。
イーロン・マスクは、自分自身の技術的判断で、「 EV こそ次世代自動車だ」と確信したようだ。だからテスラ社に個人で多額の資金を投じた。
ゴーン社長は、自分自身は技術判断力はないので、他人の意見を聞いた上で、自社の方針を決めたようだ。そこで最も大きな要因となったのは、「日本人の意見を聞くかわりに、欧米人の意見を聞いた」という点だろう。その場合は当然、経産省の方針には従属しなかっただろう。純粋に技術的判断だけで、燃料電池車と EV とを比較しただろう。そうなると、「燃料電池車よりも EV を選択する」というのは、自然なことだ。まともに考えれば、燃料電池車よりも EV の方が優勢だったからだ。(日本以外の世界レベルでは。)
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実は、当時、私もまた同様の見解を持っていた。先に述べたとおりだ。
その間、私はずっと「燃料電池車は駄目だ」と批判し続けてきた。
本サイトの前身に当たる「泉の波立ち」では、2002年以来、たびたび論じてきた。その一覧は下記。
→ 燃料電池車の過去記事: Open ブログ
また、本サイト内の項目でも、たびたび論じてきた。(日付順・降順)
→ 燃料電池の死: Open ブログ(一覧)
→ 燃料電池車: Open ブログ(一覧)
特に最近では、次の記事がある。
→ 政府の産業政策の失敗: Open ブログ
( → 燃料電池車を朝日が批判: Open ブログ )
このように 、2002年以来、何度も述べてきた。だから、2002年の段階ですでにして、燃料電池車の敗北は明らかになりつつあったのだ。2005年ごろになると、もっとはっきりしてきた。2010ごろになると、燃料電池車の失敗は歴然としてきた。2015年ごろには、EV が圧勝するのは世界の常識となっていた。(新聞でも何度も報道されてきた。)……なのに、2018年ごろになっても、いまだに燃料電池車にこだわり続けてきたのが、トヨタとホンダだったのだ。馬鹿丸出しというしかない。
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「燃料電池車は敗北する」ということについては、私は 2002年以来、何度も指摘してきた。(すぐ上で示した通りだ。)
だが、そのことで、「私に先見の明があった」と自慢したいわけではない。話は逆だ。私でなく政府に、先見の明がなかった、と言いたいのだ。
要するに、政府の産業政策は失敗ばかりである。政府の産業政策で成功したのは、明治維新のときの富岡製糸場と八幡製鉄所だけだ。この当時は、日本には工業というものが成立していなかった。だから、富岡製糸場と八幡製鉄所は国策として推進されて、見事に成功した。(ライバルがない状態だけら当然だが。)
一方、現在では、民間に産業が発達している。こういう状況で政府が産業政策を始めても、民間以上に見事にできるはずがないのだ。特に、まともに専門知識のない、文系の事務屋である経産省の役人が、理系の最先端の分野で技術的知識をもっているはずがない。
それでいて、こういう文系の役人が、勝手に産業政策を決める。だから、燃料電池車という馬鹿げた方針が取られたのだ。
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ホンダe の失敗を見ると、「ただの一つの失敗例」と見えなくもない。だが、それは氷山の一角にすぎない。その背後には、「経産省の産業政策」という巨大なものがひそんでいるのだ。それが日本の産業全体の方向を誤らせてしまうのである。
かくて、ホンダもトヨタも、日本政府のせいで道を誤って、とんでもない方向に進んでいった。日本の経産省は、日本の民間会社の進行方向を誤らせて、日本経済を破壊しつつあるのだ。
もちろん、経産省には、「国を滅ぼそう」という悪意があったわけではない。むしろ「国を繁栄させよう」という善意があった。
しかしながら、利口の善意は有益だが、阿呆の善意は有害無益である。阿呆が「こちらが正しい方向です」と教えれば教えるほど、それに従った人々は奈落の底に落ちることになる。
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実は、このことは、前にも述べたことがある。次のように。
トヨタやホンダはどうして世界的な EV の潮流に乗り遅れたか? その理由は政府の産業政策の失敗だろう。
トヨタやホンダはどうして世界的な EV の潮流に乗り遅れたか? その理由をいろいろ考えたすえ、私が下した結論は、こうだ。
「トヨタやホンダは、世界的に見て特別に馬鹿だったのではない。彼らが独自に判断を間違えたのではなく、日本政府が彼らの判断を間違わせたのだ。それは政府による、次世代技術の開発方針である。そこでは、電気自動車ではなく、燃料電池車こそが次世代技術だ、と見なされた。そこで、政府の方針に則って、トヨタとホンダは全力で燃料電池車の開発に没頭した。
……
こうなったすべての原因は、政府が間違った道を示したことによる。つまり、政府が間違った産業政策を取ったことによる。」
( → 政府の産業政策の失敗: Open ブログ )

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なお、話はこれで終わらない。同じような事例は、他にもあるからだ。列挙しよう。
・ 燃料電池車を推進せよ
・ MRJ を推進せよ
・ 太陽光発電を推進せよ (FIT)
・ ユーグレナを推進せよ (出典)
・ 半導体産業を推進せよ (ラピダス)
・ 石炭アンモニア混焼を推進せよ
そのすべては失敗してきたか、失敗するはずであるか、失敗しそうである。まともなものはひとつもない。こういう馬鹿げた状況にあるのだ。
なぜか? ろくに技術のことも知らない文系の役人が、技術とは無関係の興味によって、勝手に企画案を作文するからだ。
頭のない GPT が、既存の文章だけをこねまわして作文をするように、頭のない文系の役人は、既存の文章だけをこねまわして企画案を作る。かくて作文としての産業政策が作られる。
そういう素人の駄文に従って自社の方針を決めてきたのが、これまでの日本企業だった。燃料電池車のトヨタやホンダしかり。MRJ の三菱重工しかり。エルピーダや、ジャパンディスプレイも、似たようなものだ。
こうして日本は、国の亡国政策に従って、どんどん亡国への道を進んでいくのである。集団自殺をするレミングのように。

レミングの集団自殺(想像図)
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最後に一つ、オマケを述べておこう。
政府の産業政策は、たいてい失敗する。では、どうしてか? 実は、理由がある。政府の役人が産業政策を決めるときには、たいていは自分のアイデアで決めるのではなく、マスコミのアイデアに従う。マスコミのアイデアとは? 朝日新聞のアイデアだ。
朝日新聞の社の方針は「環境保護」だ。そのために、新技術を紹介することに熱中する。何か新しい技術があって環境改善に役立つという話を聞くと、それをあっさりと信じて、大々的に紹介して、キャンペーンを張る。これまでも何度もやって来た。
・ 第五世代コンピュータ
・ TRON(坂村健)
・ 燃料電池車
・ 太陽光発電の固定買い取り(FIT)
・ エコキャップ
・ フェアトレード
こういうものを取り上げて、ことさら大々的に「推奨せよ」というキャンペーンを張った。
しかしながらその大半は、詐欺も同然だった。以上の事例のうち、曲がりなりにも成功したのは、TRON の一部( CTRON )ぐらいである。他のほとんどは、失敗(ゼロ)か、社会悪(マイナス)となって終わった。
では、どうしてそうなったか? 話は簡単だ。朝日の記者は、理系の知識が皆無だったからだ。それでいて、環境保護という理念だけは炎のように燃えていた。要するに、文学部出身の技術音痴が、理念だけは高いまま、環境保護推進に血道を上げてキャンペーンを張って、結果的に詐欺師の片棒をかつぐ(旗を振る)ことになった。
そして、その朝日新聞の旗を信じて、まんまとトンチンカンな産業政策を作文したのが、経産省の役人だったのだ。
かくて日本の国策はトンチンカンな道を進むこととなった。……そのすべての根源は、技術音痴の文学部記者による、「環境保護の理想主義」だったのである。現実の技術に依存して足元を固めるのでなく、ありもしない夢想としての理想を目指して、一挙に高々と飛翔しようとした。……その結果が、奈落の底に落ちることになるのは、当然のことなのだ。
馬鹿は死ななきゃ治らない、ともいう。技術音痴が勇んで技術の旗を振れば、こうなるのは必然だ。ハンドルとブレーキのこわれた車を運転して、アクセルをふかしながら、山間の峠道を進めば、いつかは谷底に落ちるのは、当たり前のことだ。
それが日本だ。
【 関連項目 】
→ リサイクル詐欺(エコキャップ): Open ブログ(2008年09月08日)
※ 「ペットボトルのキャップを集めて環境保護」という詐欺。朝日が推奨。
→ 太陽光発電と補助金2: Open ブログ(2008年07月27日)
※ 太陽光発電の固定買い取り(FIT)で、市場価格の数倍という超高額の設定。朝日が推奨。
→ 太陽光発電の嘘(朝日1): Open ブログ(2009年02月20日)
※ 2009年に、「3〜5年で太陽光発電の発電コストが半分になる」という朝日の予想を「嘘だ」と断じる。
→ 10年後の太陽光発電: Open ブログ(2011年08月23日)
※ 太陽光発電の普及に補助金を出すなら、価格が高い 2011年の時点よりも、価格が低下した 2021年以後に補助金を出す方がいい、と提案する。
→ ユーグレナは詐欺か?: Open ブログ(2016年09月22日)
※ ユーグレナでバイオエネルギーというのは荒唐無稽な話なので詐欺だ、と批判する。
→ 石炭混焼の論理ペテン: Open ブログ
※ 石炭とアンモニアの混焼で環境改善、という政府の方針はペテンだ、と断じる。
※ 同方向の批判は、本日の朝日新聞・社説にもある。
→ (社説)COP28閉幕 化石燃料脱却を確実に:朝日新聞
→ 日本企業はなぜ敗北したか: Open ブログ
※ ラピダスのような半導体会社を支援するのは馬鹿げている。
→ GPT を推進せよ(半導体よりも): Open ブログ
※ ラピダスなんかよりも、GPT の分野で若い芽を育てるべきだ。

一方、現在では、民間に産業が発達している。こういう状況で政府が産業政策を始めても、民間以上に見事にできるはずがないのだ。特に、まともに専門知識のない、文系の事務屋である経産省の役人が、理系の最先端の分野で技術的知識をもっているはずがない。
それでいて、こういう文系の役人が、勝手に産業政策を決める。だから、燃料電池車という馬鹿げた方針が取られたのだ。
傾斜生産方式
超LSI技術研究組合
はどうでしょうか。
Open ブログ様独特の解釈を聞きたいです。
感覚的な話ですが、傾斜生産方式も超LSI技術研究組合も東芝が主要が主要登場人物ですね。
私が生まれる前のことなので、よくわかりません。特殊状況下の話なので、今の産業政策とは違う。
> 超LSI技術研究組合
ゼロから企業や事業を立ち上げたのではなく、既存の企業の事業を束ねただけなので、本項の話とは趣旨が違います。
超LSI も、ただの次世代製品というだけで、まったくの新技術ではなかった。夢や妄想とは無縁。
ただの統合ということで、似た例だと、メガバンクをいくつも統合させたケースがある。
自分の金ではなく他人の金・税金で
適当に博打を打つところ。
他人の金だから無くなったって痛くもかゆくもない。
「盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちる」