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この問題については、何度も報道されているが、次の記事が要点を押さえている。
青葉真司被告(45)の裁判は23日から、最大の争点である被告の刑事責任能力に絞った審理が始まる。裁判員らは精神鑑定の結果や医師への尋問を通して結論を導く。
青葉被告には起訴前後に2回、2人の医師が精神鑑定した。検察側は起訴前の鑑定で「刑事責任を問える」と判断。弁護側は2回目の鑑定も踏まえ、心神喪失の状態と反論している。
ただ、同じ被告でも医師の間で診断が分かれることもある。100件近い鑑定実績がある聖マリアンナ医科大の安藤久美子准教授は「精神障害はグレーゾーンがある。診断基準はあるが、未解明な部分も多い」と話す。
精神鑑定に求められるのは、障害の有無と障害が犯行に与えた影響まで。「障害があれば責任能力がないということではない。重要なのは障害が犯行にどの程度影響したか。妄想の強さなどを元に、鑑定医がどう評価したかが裁判所の判断に影響する」と指摘する。
( → 「妄想」の影響、評価焦点 京アニ被告、責任能力の集中審理へ:朝日新聞 )
これまでの被告の発言を見ると、次のことがわかる。
・ 一方的な加害行動をしたのではなく、被害への報復だった。
・ その被害はアイデアを盗まれたという点だった。
・ その点は、客観的には妄想だと判定される。
・ つまり、被害妄想ゆえの精神異常の行動だと判定される。
経歴を見ても、精神異常の傾向は明らかだ。
・ 2015年10月には「統合失調症」と診断された。 → 出典
・ 「闇の人物に狙われている」など、妄想型統合失調症の疑い → 出典
・ 家族はみな自殺 → 家族/父/兄/妹全て自殺していた!
一方で、完全な統合失調症とは言えない。行動それ自体が妄想ゆえの行動だとは言えないからだ。
被告の精神鑑定を行った精神科医が出廷し、被告には精神障害による妄想があったものの、放火時の行動そのものには直接影響していないとの見解を示した。
放火を実行した主な要因は小説を巡る現実の出来事と被告の性格傾向だとして、「障害の影響はほとんど認められない」と明言した。
( → 青葉被告の妄想、放火に直接影響せず 精神鑑定医が証言 京アニ公判 | 毎日新聞 )
精神病が直接的に犯罪行為に結びついた、とまでは言えないようだ。その意味で、典型的な「精神異常者の犯罪」とまでは言えないようだ。
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過去の判例を見ると、同じような犯罪者(軽度の精神病を罹患している犯罪者)は、責任を完全に認定されて、正常者と同じ扱いになり、同様の重い刑罰を科されているようだ。そのときの判決。
裁判長
「被告人を懲役12年に処す」
「統合失調症の影響を大きく受けていたことに疑いはない。しかし、犯行前や犯行後に合理的な行動をとっていて自分の犯行の意味は理解していた。全く責任能力を欠いていたとは言えない」
法律上、刑が軽減される限定責任能力であったことは認めつつも、なお正常な精神状態は残されていたと裁判所は判断しました。
( → 精神障害と刑罰… 「責任能力」の考え方って必要? 法律の意味・遺族の思い | 特集 | 関西テレビニュース | ニュース | 関西テレビ放送 カンテレ )
幻聴を聞いたりして、精神病(統合失調症)であったことを認めて、責任能力を欠いていたことを認めている。それでも、「全く責任能力を欠いていたとは言えない」という理由で、「責任能力は完全にある」と認めたことになる。
これを数字で言えば、「被告は数値が 0.5 である。 0.5 は、0 ではない。ゆえに、被告を 1 であると認定する。つまり、被告は完全に正常であり、責任能力が完全にある」
つまり、「0.5 は、0 ではないから、 1 である」という論理だ。滅茶苦茶の極みと言える。
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では、どうするべきか?
これは、裁判所がおかしいというより、法体系がおかしい。
「0 か 1 か、どちらかしか認めない」
「精神異常者か、正常者か、どちらかしか認めない」
という法体系が狂っているのだ。狂っているのは、被告だけでなく、法体系だ。人々は被告が狂っていると思っているが、そう思っている人々もまたみんな狂っているのである。裁判所も、検察も、弁護士も、傍聴人も、マスコミも、みんな狂っている。しかも、彼らは自分たちが狂っていることを自認できない。自分が狂っていることを自認しているのは、青葉被告だけだ。彼一人がまともであり、彼以外は自分のことを正常だと誤認している狂人だ。
そして、そう認識すれば、正しい方策もわかるこうだ。
「0 と 1 の中間状態も認める」
「精神異常者と正常者の、中間状態を認める」
つまり、軽度の精神病患者というグレーゾーンを認めるわけだ。
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その上で、新たな刑罰を導入するといい。
「懲役や禁固という刑罰と、無罪との間に、中間的な刑罰を導入する」
中間的な刑罰とは何か? こうだ。
「このような犯罪者は、自分の意思で犯罪をしたとまでは言えないので、懲罰を弱める。一方で、精神病の治療を施す。ただし、無罪にはしないで、刑務所に拘禁する」
これを「医療拘禁」と呼ぶことにしよう。これは(精神病の治療を施すこととは別に)、次の2点が重要だ。
・ 懲罰や自由剥奪は、ほとんど不要。自由行動を大幅に認める。(域内で)
・ 自由がある分、拘禁の期間は大幅に長くなる。(懲役刑の2倍)
たとえば、上の判例では、人に重症を負わせた犯人に、「傷害罪で懲役12年」という判決になった。これに対して、次の判決が可能だ。
「懲役12年に変えて、医療拘禁 24年」
こうなると、刑務所に 24年間も拘束されることになる。一方で、長く閉じ込められる分、刑務所内での処遇は快適となる。朝寝坊や昼寝や読書や運動なども、好きなときに好きなだけやることができる。パソコンやスマホも使える。懲罰としての作業は義務づけられない。一種の引きこもりの生活だ。それだけだ。
なお、このように長期的に社会から隔離されると、その分、社会はこの犯人に侵食されないで済む。だからその分、社会は安全となる。
ひるがえって、懲役 12年だと、12年後にはこの犯人が社会に復帰する。そのとき、精神病が治っていなければ、犯罪を再発する危険がある。それはまずい。
長期の医療拘禁ができれば、そういう再発の危険性は大幅に下がるのだ。
※ ついでだが、再発を防ぐには「去勢」という手もある。しかしこれは人道的な問題があるので、また別の話となる。
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ともあれ、今回の被告は、完全な精神病患者と正常者の中間状態にある。軽度の精神病患者という状況だ。そういう状況の犯罪者に、ぴったりと当てはまる法制度ができていない。そのせいで、重度の精神病患者と正常者のどちらかに分類しなくてはならないので、どっちにしても問題が生じてしまう。
こういう問題があるのだから、「白と黒」という制度のほかに、「灰色」という制度も導入するべきなのだ。それが本項の結論となる。
( 青葉被告の状況はどうか? 比喩的に言えば頭のなかに、気違いの自分と正常な自分がいる。気違いの自分一人が支配的になって行動したのではない。正常な自分が半分ぐらいいて、気違いの自分を抑止できる状態でもあった。これを見て、「正常な自分が少しでもいるのなら、正常な人間と見なして、有罪とする」というのが、現行の司法制度だ。)
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ロボトミーなんてものもありましたね。
医療拘禁には、娯楽を認めるか? 自宅監禁ならば、娯楽は認められる。政治犯や未決囚だと、そういうこともあるようだ。(自由剥奪のみ。)
一方、刑罰としての医療拘禁ならば、娯楽を認めないというのも仕方ない。刑務所は無料ホテルではないのだ。娯楽禁止は刑罰としては妥当だろう。たとえば、ゲーム、漫画、映画鑑賞、エロ鑑賞などは禁止。……こういうふうにすると、打撃が大きいので、オタク傾向の犯罪予備軍には、抑止効果がある。
「 Pixiv を見られないのは絶対に困るから、殺人をやめよう」
と思う人も出てきそうだ。