メタネーションと蓄電とを比較する。
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蓄電の推奨
前項では「重油の改質」を推奨した。これが最も効率的で低コストだからだ。
とはいえ、これは暫定的なものだ。当面はこれでいいとしても、いつまでもこれに頼るわけには行かない。「重油の改質」は、半分ぐらいは水素を使うとしても、半分ぐらいは炭素を使うので、炭素削減策としては中途半端だからだ。
これは暫定的なものだから、当分の間はこれでいいとしても、将来はこれでは済まなくなる。では、将来はどうか?
2030年以後になれば、太陽光発電や風力発電が低コストで大量に電力を供給するようになるだろう。そのときには、水素も安価に供給されるようになるだろう。では、そのとき、主役の座につくのは何だろうか? メタネーションと水素のどちらとなるだろうか?
その問いに答えよう。主役になるのは、メタネーションと水素のどちらでもない。私のお薦めは、蓄電だ。
蓄電ですべてが解決するというわけではないのだが、とりあえずは基本として導入するのは、メタネーションでも水素でもなく、蓄電にしたい。理由は、エネルギーの変換効率だ。
蓄電のエネルギー効率は非常に高い。充電してから放電しても、効率は 90% 以上を実現している。(リチウムイオン電池の場合。)
一方、水素は水の電気分解の時点で、かなりのエネルギー損失が生じる。さらに、液化や圧縮の際に多大なエネルギー消費があるので、そこでも無駄が生じる。
メタネーションだと、液化や圧縮の際のエネルギー消費を低減できる。そのかわり、水素をいちいち添加するための化学反応の過程があるので、そこでエネルギー変換効率が低下する。
さらに、メタネーションや水素だと、つくったメタンや水素から電気を取り出すときにも、ロスが生じて、エネルギー変換効率が低下する。たとえば、次のデータがある。(再掲)
エネルギー変換効率は、大雑把に、次のようになる。[ググるとわかる]
・ 充電池 …… 90%以上
・ 燃料電池 …… 80%以上(熱 + 発電)
・ 燃料電池 …… 50%以下(発電のみ)
・ LNG発電 …… 60%以下
・ 水素発電 …… 50%以下(?)
( → 石炭混焼の論理ペテン: Open ブログ )
これらは化学的に熱と電気を変換する。だから、どうしても効率が低くなる。一方、蓄電ならば、電力のまま、充電してから放電するだけだ。こちらの方がずっと効率が高い。
だから、基本的には、メタネーションや水素よりも、蓄電を優先するべきなのだ。
さらには、別の理由もある。「蓄電はコストがゼロで済む」ということだ。
メタネーションや水素では、それらを利用するときにコストがかかる。多大な工場設備の投資コストや、設備稼働の運転コストに、莫大な費用がかかる。
一方、蓄電は違う。コストがゼロで済む。なぜなら、EV の蓄電池をそのまま転用するだけでいいからだ。莫大な量の EV が普及したなら、その EV の蓄電池を借用するだけで、自動的に蓄電ができる。ことさら新規の設備投資などは必要ないのだ。
また、運転コストもゼロで済む。たとえば、電力需要の減る休日の電力料金を下げれば、EV の所有者は平日でなく休日に電力を蓄電するようになる。この場合は、電力料金を1割か2割ほど値下げするだけで、余剰な電力を EV に蓄電するという効果が生じる。ここで蓄電された電力は、そのまま EV で消費してもいいし、あとで家庭や系統電力に戻してもいい。( V2H だ。) ともあれ、このようにすれば、電力需要の平準化はなされる。(高速道路の料金変動で需要を平準化する、というアイデアに似ている。)
なお、次の心配もあるだろう。
「値下げしたら、値下げの分だけ、減収になるから、コスト負担が増えるだろう」
と。だが、その心配は必要ない。そうはならないのだ。値下げは、コスト負担ではないからだ。値下げをすると、電力会社は損をするが、その分、消費者は得をする。ここでは、損得があるが、一方が損して、他方が得するだけだ。これは富の移転を意味するだけだ。コストが増える(純然たる損)とは違う。いわば、右手で増えて、左手で減るだけだ。双方の合計では増えも減りもしていない。だから、国民全体で見れば、値下げは特に問題ないのだ。
「でも電力会社が損するなら、電力会社が嫌がるだろ」
と思うかもしれない。だが、大丈夫。その対策もできる。休日料金を下げたなら、その分、平日料金を上げればいいのだ。そうして曜日全体でチャラにすればいい。国民は損も得もしないし、電力会社も同様だ。単に料金制度の変更があって、それによって国民が EV に電力を蓄電する曜日が変わるだけだ。
結局、以上のようにすれば、特に新たな設備投資をすることもなく、ただの制度変更だけで、1円もかけずに莫大な電力を蓄電できるようになる。これぞ頭のいい方法だろう。
(困ったときの Openブログ)
蓄電の限界
ただし、蓄電という方法ですべてが解決するわけでもない。蓄電という方法には、限界があるのだ。
限界とは? 蓄電できる量の限界だ。その量は決して無限大ではない。
具体的に言おう。国全体の EV のバッテリーを使えば、日本の電力の使用量の全体の数日分ぐらいを蓄電できる。これは、「再生エネ電力の短期的変動を吸収する」という点では、十分だろう。
たとえば、将来、夏や冬にも日本の電力量のすべてを再生可能エネでまかなえるようになったとしよう。そのときの数日間の電力変動を、EV のバッテリーだけで吸収することもできる。その意味で、再生可能エネの電力変動を吸収するという主目的のためには、「蓄電」だけで足りると言える。
しかし、それとは別の問題が生じる。数日間の短期的な変動を吸収するだけなら問題ないのだが、数カ月間にわたる長期的な電力変動を吸収するには「蓄電」だけでは力不足となる。
その問題が起こるのは、春と秋だ。春と秋には、冷房も暖房も必要ないので、電力の需要は大幅に減っている。なのに電力の供給は、夏と冬を基準にしているので、多大な電力供給がなされる。だから、電力が余ってしまう。
電力が余っても、電力を絞ることもできない。火力発電ならば発電量を絞ることができるが、再生可能エネ(太陽光・風力)では発電量を絞ることができない。どうしても固定量が発電されてしまう。需要が減ったときには、どうしても電力が余剰となる。
この余剰な電力をどうするか? 下手に系統電力に流そうとすると、系統電量に異常状態が生じるので、系統電力がブラックアウトになってしまう。これはやばい。かといって、うまく問題を回避する方法も見つかりにくい。
これに対する対策として、前に次の方法を提案した。
「原発は、電力の需給が逼迫する夏と冬だけに稼働する。それ以外の時期(電力の需給が逼迫しない春と秋)には稼働しない」
→ 原発を春秋に休止しよう: Open ブログ
なるほど、これも有効な方法だ。だが、この方法で万全だとは言えない。この方法だと、細かな融通が利かないからだ。「時間では数カ月単位」「容量では 100万kW 単位」というふうになるので、もっと細かな変動に対応するには力不足となる。
では、どうしたらいいのか?
蓄電以外の方法
この問題を解決するには、この場合の特殊な事情に着目するといい。それは、こうだ。
「再生可能エネ電力が余剰になっているときには、電力料金が値下げされていて、電力価格がゼロになっている。あるいは、マイナスになることもある」
( ※ 価格がマイナスになるというのは、電力を使えば使うほどお金をもらえる、ということだ。電力が過剰になりすぎて、ブラックアウトになりそうなときには、この方法が有効だ。)
電力価格がゼロになる。これは特殊な状況である。このような特殊な状況を前提とすれば、次のことが成立する。
「価格がゼロになった電力を利用して、電力から水素を生産する」(★)
これは画期的な発想だ。ちなみに、従来の標準的な発想はこうだった。
「太陽光電力の発電コストの低い砂漠地帯で水素を生産して、それを需要国まで運搬する」
これが標準的な発想だった。しかしこの方法は、「水素を液化する」という方法をともなうので、水素の液化のために莫大なエネルギーを消費してしまうという難点があった。もちろん、コストも上がる。水素生産のコストは低くとも、水素の液化のためにかかるコストが多額になるのだ。(もちろん効率も低下する。)
一方、上記の新方式(★)ならば、需要国の国内においてコストゼロの電力を使うことができる。しかも、水素を液化しないで、高圧水素のまま運ぶことができるので、水素の液化にかかるエネルギーの無駄を避けることができるし、コストも下げることができる。
だから、この新方式によって、長期的な需要の変動を吸収することができるのだ。具体的には、こうだ。
「春や秋には、冷暖房の需要が減るので、国全体の電力の総需要が大幅に減る。そのせいで、(夏や冬に対応した)再生可能エネの電力が大幅に余ってしまう。そこで、その余った電力を使って、水素を生産すればいい。その水素は、長期的に貯蔵できるので、1年間をかけて少しずつ消費すればいい」
結論
結局、ここまでの話のすべてをまとめれば、こうなる。
・ 数日間の短期的な変動は、蓄電で対応する。(高効率)
・ 半年間の長期的な変動は、コストゼロの水素生産で対応する。
なお、この場合は、電力料金は二本立てとなる。
・ 一年を通じて消費する、家庭電力や産業用電力
・ 春と秋だけ限定して消費する、水素生産電力
前者の価格は従来通りだが、後者の価格は春と秋だけにゼロ(またはゼロ同然の格安)となる。
このような二本立て料金とともに、電力の利用構造を制度設計する必要がある。そうしてこそ、再生可能エネ電力の変動と、国の電力需要の変動との、ギャップを埋めることができるようになる。
逆に言えば、このようにしてギャップを埋めない限りは、「再生可能エネ電力だけで電力需要のすべてをまかなう」ということはできない。その場合、いつまでたっても、火力発電に電力変動の調整役を果たしてもらい続ける必要がある。そうなると、炭酸ガス大幅削減という目標も、達成できなくなる。
人々は「水素社会が来る」というふうに漠然と信じているが、その水素社会というものがどういうものか、具体的には構想できていない。
「そこでは価格ゼロの電力を利用して、水素を生産すること。それによって電力の余剰を吸収すること」
そういう制度が必要なのだが、そのような制度を設計することすら考えていない。頭が空っぽのまま、「水素社会」とお題目を唱えているだけだ。
「水素社会」とか「メタネーション」とか、そういう言葉を口にする前に、まずはそれを実現するための具体的な制度を設計する必要があるのだ。
なのに、それも理解しないまま、「水素が天から降ってくる」とばかり思っている、タナボタ式の発想をする人が多い。そんなことでは、あまりにも、お調子者すぎる。
[ 付記1 ]
お調子者とは誰か? その話をしよう。
製鉄会社のJFEが、高炉を休止して、跡地に水素供給拠点をつくるそうだ。
JFEホールディングス(HD)は16日、傘下のJFEスチール東日本製鉄所京浜地区(川崎市)に残る高炉を休止。 国内需要が減るなかで「過剰設備」を削り、生き残りを図る。
東京ドーム約47個分もの 222ヘクタールの跡地は脱炭素社会の新エネルギーとして注目される水素の供給拠点として整備。川崎市などと連携し、2050年には「空飛ぶクルマ」などを体験できる場所もつくる計画だ。
( → 製鉄所、生き残りへスリム化 JFEの高炉休止、450億円コスト削減 跡地に水素供給拠点:朝日新聞 )
「空飛ぶクルマ」などとアホなことを言っているが、「水素の供給拠点」というのが、どうしようもない馬鹿らしさだ。その水素はどうやって作るつもりなのか? 無から有を生み出すことはできない。再生可能エネで水素を生産するつもりなのかもしれないが、現状のように高コストの電力ではまったく商売にならないだろう。
そもそも、先の新方式で「電力価格がゼロ」の電力を入手できるのは、「日本の電力需要のすべてを再生可能エネでまかなえる」ということが成立した後のことだ。つまりは、どんなに早くても、2040年以後のことだ。そのときまでは、「日本の電力需要のすべてを再生可能エネでまかなえる」ということが成立しない。つまり、再生可能エネの電力の余剰は発生しない。(電力の総需要の方が上回る。)だから、そのときまでは、価格ゼロが実現することはないし、国内で水素生産が商業的に成立することもないのだ。
そんな状況で、水素供給の拠点を作っても、莫大な赤字を発生させるだけだ。頭がイカレているとしか思えない。
頭が空っぽのまま、「水素生産」というお題目だけを唱えていると、こういうふうに馬鹿げた方向に進むことになる。
豊田章男は、「水素生産」と唱えたあとで実質引退したが、製鉄会社の社長は、「水素生産」と唱えたあとで
[ 付記2 ]
水素の生産は、難しくない。水の電気分解は、構造が簡単なので、複雑な設備は不要だ。こうしたことから、初期投資が少なくて済む。このことは大切だ。
水素の生産のあと、貯蔵装置だけが必要だ。これは、液化するよりは、高圧ガスの方がコストは少なくて済みそうだ。
メタンならば、LNG のガスタンクを使えそうだ。問題はメタネーションの設備だ。それができるかどうかは、技術的な進展しだいだろう。
水素は、そのままでは消費しにくいが、メタンにすれば都市ガスとして消費できる。この点では、メタネーションが有利だ。一方、エネルギー変換効率では水素が有利だ。両者は一長一短なので、使い分けることになりそうだ。
とはいえ、これらのことが現実化するのは、再生可能エネ電力が余剰になる 2040年以後のことだ。それまでは、重油改質の方が有効性が高いだろう。どうせ水素を使うにしても、コスト的にはずっと有利だからだ。
[ 付記3 ]
水素生産の産業だけに「コストゼロ」の電力使用を認めると、他の人々から苦情が出るかもしれない。
「あいつらだけがコストゼロの電力を使うのは、ずるい。おれたちの電力料金も、春と秋にはゼロにしろ!」
と。
それに対しては、簡単に返事ができる。
「いいですよ。あなたの家の電力も、春と秋にはコストゼロにしてあげます。だけどそのかわり、夏と冬には、電力供給を停止します。冷暖房のために電力を使いたくても、電力使用は禁止。テレビやパソコンや照明のための電力も使用禁止。それでもいいですね?」
これに対して、強がって、「いいよ」と返事をしたら、契約書を突きつけられる。
「最低使用量は月間××万 kW です。最低でも月間 10億円の支払いとなります。では、来月から、月間 10億円以上を頂戴します。ありがとうございます」
- ※ 「電力価格はゼロになるんじゃないの?」と疑問に思うかもしれないが、ゼロというのは、ゼロ同然という意味であって、実際には1円ぐらいの金は取られる。完全なゼロではありません。使用量が滅茶苦茶に多ければ、月間 10億円ぐらいにはなる。
※ 次項に続きます。
化学会関係では1970年代にかなり研究されていました。いろいろな国家プロジェクトも立ち上げられましたが、これといった成果がないまま終わりました。しいて言えば光と水から直接水素を出す研究くらいです。そのころにもうやりつくされた感じがあって、現在ではむしろ下火です。
植物はかなりの高効率で光合成をやっています。その分子機構も最近明確になっているので、あとはそれをお手本にして、化学システムを作るだけなのです。そんな研究に惜しみなく補助金を出してほしいです。
> → 水素の製造、輸送・貯蔵について 資源エネルギー庁(2014年)
https://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/energy/suiso_nenryodenchi/suiso_nenryodenchi_wg/pdf/005_02_00.pdf