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問題は簡単だ。1行だけで済む。
「夏の高校野球(甲子園大会)の試合日程を最適化するには、どうすればいいか?」
これだけだ。
現状では、炎天下で何日も試合があるので、大変だ。この問題を解決するにはどうすればいいか、ということだ。
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これに対して、簡単な案なら、すぐに思い浮かぶだろう。だが、少し改善するのではなく、徹底的に改善するには、どうすればいいか?
そのためには、適当にアイデアを出して、それで終わり、というわけには行かない。いくつかのアイデアを次々と出してから、それぞれのアイデアを上手に組み合わせる必要がある。さまざまなケースを考えながら、最適のピースを最適な形で組み合わせる必要がある。
具体的に言うと、出場校数は 49校だが、この 49校のトーナメント表を、どのように構成するか? そこには(天文学的な数とまでは言えないが)ものすごく多数の組み合わせがある。そのなかで最善の組み合わせは、どんなものか?
そこではパズルを解くような、組み合わせの発想が必要だ。その際、パズルを解くのと同じような数学的な発想をする必要がある。だから、この問題を解くのは、一種のパズルなのだ。
※ 似た例を言うと、次のような例がある。
・ 電車の時刻表をどう決めればいいか?
・ さまざまな家族の、ホテルの部屋割りは?
いずれも、パズルふうに、組み合わせを考える必要がある。

しかも、今回のパズルの回答はすごく長くなる。問題文は上の1行だけだが、回答の方はすごく長くなる。
私が考えたら、何と原稿用紙 50枚分ぐらいの回答になった。つまり、このパズルはパズルでも、簡単なパズルではなくて、超難解なパズルと言える。
とすれば、パズルがあるからといって、読者が延々と正解を考えるのは現実的ではない。一通り考えてみるのはいいが、ちょっと短い回答を思い浮かべるだけでいい。
で、そのあとは? 正解となる回答を、延々と読み続ければいい。考えるのではなく、長たらしい回答を(たっぷりと時間をかけて)延々と読み続ければいい。考えるかわりに、読むわけだ。
その長い回答は、次項と次々項と次々々項で示す。(計3回)
→ 次項