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これは有名な言葉だが、本当にそうだろうか?
後半の「不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」というのは、まさしくそうだろう。不幸な状況は、人それぞれだ。(不幸の原因が多種多彩だからだ。何かが欠けるとして、欠けることのある箇所は多様にある。)
一方、前半の「幸福な家庭はどれもよく似たものである」というのが問題だ。これは本当だろうか? 幸福な家庭はみんなそっくりなのか? もしかしたら、それぞれは別の形で幸福なのかもしれない。ちょうど、それぞれの夫や妻の顔かたちが家庭ごとにすべて異なるように。あるいは、夫や妻の性格が家庭ごとにすべて異なるように。
本当はどうなのだろう?
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それを調査するデータが得られた。まずは、次の文章を読んでほしい。
→ 夫が好きだという話:はてな匿名ダイアリー
これは一つの家庭(夫婦)の実例だ。とても幸福な夫婦の実例だが、一読して、「まあ、そういうこともあるだろう」という感想が出るだろう。
ところが、それだけではなかった。これを読んだ感想として、「私もそうだ」「うちもそうだ」「自分のことかと思った」「私が書いたのかと思った」という声が続出した。
→ はてなブックマーク
molmolmine 私が書いたのかと思うくらい共感しかない。
facegard_torico 私が書いたのかと思った。
kagecage わかる…わかる…。
mkzsdisk 結婚12年目だけど同じですね。
jabberokkie 俺の事書いてんのかと思ったわ。
i_ko10mi いつの間にか寝ぼけて私が書いたのかと思った
funifunix 私も同じ。
goodbadnotevil-syamo 私が描いたのかと思ったけど、コメントにも私がいっぱいいた。
kurataikutu 私もやで。
(以下略。ここまで2分の1)
こういうふうに同感の意見が多い。
これはどういうことか? 単に「うちも同様に幸福だ」というだけでなくて、その幸福の状態があまりにもそっくりだということになる。
つまり、冒頭の言葉は、正しいのだ。それも、過剰と言えるほどにも、ぴったりと当てはまるのだ。あまりにもそっくりだと言える。
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幸福の本質は何だろう? それを考えよう。
幸福の本質。それは、何かを得ることではない。仮に、何かを得るのであれば、得るものは多種多彩になるだろう。たとえば、金であることもあるし、名誉であることもあるし、知力であることもあるし、体力であることもあるし、美貌であることもある。そういうふうに、得るものは多様になる。だが、いくら何かを得たとしても、それで幸福になるとは限らない。
幸福な夫婦が共通して得ているものは何だろう? それは、愛だ。その愛は、どうやってもたらされたか? そこが問題だ。
彼らは美貌のおかげで、モテモテになったのか? あるいは、財産や才能のおかげで、モテモテになったのか? 違う。彼らは多数の人々に愛されたのではない。ただ一人、自分の愛する人に愛されたのだ。では、どうやって? そこが問題だ。
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ここで私見を言おう。私の考えでは、こうだ。
「先の紹介記事の例で、妻は夫に優しくしてもらえることで、幸福感を感じている。そして、妻が夫に優しくしてもらえることには、わけがある。妻自身が、優しい人であることだ。夫婦は似た者同士になることが多い。夫が優しい人であり、妻も優しい人だから、たがいに惹かれあって、くっついたのだ」
夫はもともと優しいので、同じように優しい女性を選ぼうとして、この女性を選んだ。この女性は、たまたまラッキーだったから優しい男性と結婚できたのではなく、もともと優しい女性だからこそ、優しい男性に選ばれたのだ。
では、その意味は? ここでは、「優しい人」というのは、単に気立てや性格が優しいという意味ではない。相手のために奉仕しようという方針がある。「好きな妻のために奉仕しよう」「好きな夫のために奉仕しよう」という方針がある。それが「優しさ」だ。その優しさは、生来的なものではなく、「この人のために生きよう」という意図的なものだ。それは「愛すること」だとも言える。
そして、その気持ちを受け取った方は、「優しくしてもらえた」ときに「愛されている」ことを感じる。そして、それは、一方的に愛されたことの喜びではない。自分が愛して、自分が奉仕する、まさしくその相手から、同じように愛してもらえることの喜びだ。
ここまで見て取れば、幸福の本質がわかる。それは、「愛されること」ではない。「愛する相手から愛されること」つまり「愛しあうこと」である。
そして、そのことがどの夫婦にも共通するからこそ、どの夫婦でも幸福の状態が同じになるのだ。「愛しあうことの幸福」という形で。

幸福というものは、一方的に愛することや愛されることによってもたらされるのではない。愛する相手から愛されることによってもたらされる。愛しあうことによってもたらされる。
そして、そのための秘訣は、「自分の方から愛そう・奉仕しよう」とすることだ。そういう気持ちを持つ夫婦が組み合わさったときに、夫婦はともに幸福になれる。そしてどの夫婦も同じように満たされる。
以上の話と似たことは、前にも別項で記したことがある。抜粋しよう。
「情けは人のためならず」
という言葉を思い出すがいい。これがまさしくぴたりと当てはまる。
親切にするというのは、優しくするということだ。こちらが優しくすれば、相手も優しくしてくれる。たがいに思いやりのある人間同士で、優しさの交換ができる。これこそが愛情の醍醐味だ。
デートといっても、おしゃべりしているだけでもいいが、いっしょに遊園地で遊んだりすると、とても楽しい。そのとき、相手の顔がどうのこうのというより、相手の生き生きとした雰囲気がとても魅力的だ。これを味わうことが恋愛の醍醐味だ。
そして、そういう体験が素晴らしいのは、たがいに「相手のことを思いやる」「相手のことを見つめる」という心があるからだ。親切で心の優しい人間が、自分のことをひたすら見つめてくれる、という体験だ。そういう体験を得られるのは、自分もまた親切で心の優しい人間となって相手を見つめるからだ。
とても素敵な人柄の女性に愛されるためには、自分もまたとても素敵な人柄の男性となって愛する必要がある。
ここまで言えば、「情けは人のためならず」ということの意味もわかるだろう。
人に深く愛されるためには、人を深く愛することが必要だ。そして、そのためには、恋愛相手だけでなく、すべての人を愛するような人柄となることが必要だ。
( → モテるためには親切になれ: Open ブログ )
「他人に優しくしよう」という優しい心を持つことが何よりも大切となる。
身近なところでは、次のような例がある。
・ 電車では、老人や妊婦に席を譲る。
・ 駅では、重い荷物を持った老人を助ける。
・ 道に迷っている人がいたら、親切に教える。
こういうふうに優しい行動を取るといい。というか、常に「困っている人がいたら助けよう」という気持ちを働かせているといい。
こういうことは、「他人への奉仕」となるので、ただの「利他的行動」に思えるかもしれない。「自分は損するばかり」と思えるかもしれない。しかしせいぜい、手間と時間がかかるだけだ。金銭的にはまったく損しない。それでいて、相手が得る恩恵は大きい。(だから感謝される。)……そして、こういうことをすることで、自分自身が「優しい人間」になれるのだ。優しい行動を繰り返すことで、自分自身が「優しい人間」になれる。他人のために損してばかりいると思ったら、自分自身が人間的に成長できる。
ここでは、「情けは人のためならず」(自分のためになる)ということが成立しているのだ。
( → コミュ障を克服するには?: Open ブログ )
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なお、はてなブックマークには、次のコメントもあった。
前世で功徳でも積んだんでしょうか。
優しい夫を得た妻は、前世で功徳を積んだから、優しい夫を得ることができたのだろうか? いや、違う。前世でなく現世で功徳を積んだのだ。「優しい人間になろう」として、長い人生でずっと功徳を積んだのだ。
優しい人間というのは、生まれながらにして優しい性格を持っているのではない。「優しい人間でありたい」と望み、「優しくふるまおう」と決めて、日々に優しくふるまおうと努めているのだ。
たとえば、電車で老人に席を譲る人は、そういうふうにしたいと望んでいるからそうするのではない。優しくふるまおうと決めて、日々に意識的に努めているから、まさしくそうするのだ。それは生来の性格ではなく、日々の努力の結果なのである。それがつまり、現世で功徳を積むということだ。
そして、そういうことをする人は、決して損をするわけではない。他人に多くのものを与える人は、優しい人間になるので、最終的には、「愛し愛される」という最高の幸福を得られるのだ。
「情けは人のためならず」という言葉が、まさしく成立するわけだ。
[ 付記 ]
逆に言えば、「他人のために奉仕しよう」という心を持たなければ、愛されることもないし、幸福になることもない。「多くの富を得れば得るほど、かえって幸福から遠ざかる」という逆説が成立することもある。
ビッグモーターの社長の息子の行跡を見ると、「こんなに恵まれているのに、どうしてこうなった」と訝る人もいるだろう。
富は幸福をもたらすわけではないのだ。
【 関連項目 】
→ (続)何のために勉強するの?: Open ブログ
本項と似た話題。人の生き方をめぐる話。
【 関連サイト 】
「藤井聡太に愛されたいから他人に優しくする」という不純な動機で、まわりの人に優しくしたら、意外にも誰からもモテモテになってしまった……という事例。
藤井聡太と結婚するチャンスを掴むため自分が思いつく限りのことは全てやった。
・絶対に人の悪口を言わない、いつも笑顔でいる、交友関係を広げ職場でもプライベートでも視野を広げ周りをしっかり見て、何か困っている人がいたら自分ができることはやるようにした(誰かが藤井聡太の知り合いの知り合いとかかもしれないしそこから紹介してくれるかもしれないから)
その結果
・前とは比べられないほどモテるようになりとても素敵な人との結婚が決まった。
( → 藤井聡太と結婚したいと思った女の末路 )
夫婦なら自分が何かを得られるかよりも自分が何を与えられるか、に幸福があると言います。
その通りだと思います。無私の愛、なかなか難しいですが幸福はここにあるように思います。