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浅間山は今年の3月にも火山活動で警戒された。
2009年には噴煙が 2000メートルも上がったことがある。
歴史的には、1783年の大噴火が有名だ。ともあれ、浅間山は、噴火の続いている危険地帯である。
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一方、避暑地で有名な軽井沢は、浅間山の麓にある。
ではなぜ、浅間山の麓に、名高い避暑地ができたのだろうか? こんな危険な土地に、わざわざ有名な避暑地を作らなくてもよさそうなものだが。
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その謎を説明する記事が見つかった。
→ (はじまりを歩く)火山観測 長野県小諸市、軽井沢町 火口から2キロ、浅間山を警戒:朝日新聞
実は、軽井沢が避暑地になったのは、浅間山が噴火しているおかげだったのだ。仮に浅間山が噴火していなかったなら、軽井沢は避暑地にはなっていなかった。かわりに、米軍の演習地になっていたはずだった。
( ※ 軽井沢は戦前から避暑地として有名で、「風立ちぬ」の舞台にもなったが、米軍にとっては、そんなことはお構いなし。軍事用の演習地に役立つならば、軽井沢なんて あっさりひねりつぶしてしまうつもりだった。ちょうど、京都に原爆を落とすように。)
京都の原爆投下を阻止したのは、米軍高官の新婚旅行だった。
では、軽井沢を軍事用の演習地にするのを阻止したのは、何だったか? 浅間山の噴火だった。
浅間山は日本の火山研究の最重要地点だった。そこには多数の観測器も設置されていた。しかるに、米軍が軍事用の演習地を設置すると、爆発などの振動が火山の観測器に影響して、火山研究ができなくなってしまう。国家の一大事だ。それはまずい。だから、浅間山の噴火研究を守るために、米軍の演習地を設置することを免れた。おかげで、軽井沢も助かったのだ。本来ならば、目と鼻の先に軍事用の演習地ができるせいで、とうてい避暑地の役割を失うはずだったのだが。(浅間山 様々のおかげで助かったわけだ。)
記事から抜粋しよう。
浅間山の火山観測に危機がおとずれたのは、戦後間もなくのことだ。
53(昭和28)年、米軍から浅間山を演習地に指定したいと申し出があった。朝鮮戦争の山岳戦の訓練場所に妙義山と浅間山を使いたいという。
演習地ができれば、振動などで火山観測にも影響する。地震研究所は反対の意見書を関係省庁に提出、学界にも反対の動きが広まった。
結局、米軍は浅間山を演習地とすることを断念した。
軽井沢町長の土屋三千夫さん(65)は「演習地ができていれば、保養地としての今はなかった」と話す。
浅間山が大噴火したおかげで、軽井沢は避暑地の座を保つことができたのだ。本来ならば、米軍の演習地の隣接地として、人の近づけない危険地帯になっていたはずなのだが。
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