──
この二つの事件を関連付けて考えよう。
女性トイレの最高裁判決
トランス女性が女性トイレを使うことへの最高裁判決があった。トランス女性の立場を認めて、それを制限する政府の方針を否定した。
→ トランスジェンダー経産省職員 “女性トイレ使用制限”違法 最高裁 | NHK
判事五人の意見が一致して、政府の方針を否定した。逆に言えば、こんなことも自発的に是正できない政府の、時代錯誤ぶりが明らかになったと言える。世界の潮流に大きく乗り遅れている。ひどいものだ。
なお、この人の場合、女性ホルモンを注射して、見た目も女性である。顔は不明だが、体つきは女性らしくなっている。
こういう人が男性トイレに入ることの方が、他人にとって迷惑となるだろう。その意味でも、「女性扱いしない」という政府の方針の不当さが際立っている。
※ 裸になって風呂に入るわけでもないのだが、混同しているのかもね。女風呂に入るのと混同している人の意見は、チラホラと見かける。
りゅうちぇるの自殺
りゅうちぇるが自殺したのも、トランス女性の苦悩のせいだろう。
ただ、この人の場合は、ちょっとわかりにくい。というのは、元々はトランス女性ではなかったからだ。最初は男として生きていて、女性と結婚して、子供もできた。
ところが途中で、女性としての傾向が強まった。男として生きることができなくなり、離婚して、女性として生きることにした。女性ホルモンを注射して、胸も女性らしくなっていた。( → 画像 )
こういう変化があったわけだ。もともとトランス女性だったのではなく、徐々にトランス女性になったわけだ。
そして、そのような変化について、世間は大きくバッシングした。その多くは、「男として無責任だ」というものだ。
しかしトランス女性は、男ではないのだ。男ではないのに、「男として無責任だ」とそしられるのは、心中を察するにあまりある。
たとえば、本サイトの読者が男であるとして、こう批判される。
「あなたは女性であるくせに、女性としては無責任だ。もっと女親として、育児に責任をもつべきだ。それでもあなたは、母親や女としての自覚はあるのか。もっと女としての責任感をもて。身だしなみも、もっと女らしい服装にしろ」
そんなことを言われたら、「私は女ではない!」と叫びたくなるだろう。そして、それと同様の批判を世間から浴びせられたのが、りゅうちぇるだった。
その本人の苦悩を、少しでも想像してみるといいだろう。
※ 女性ホルモンを注射する人は、自殺する傾向が高まる……という統計データがあるらしい。(テストステロンの減少のせいらしい。)
まとめ
こうして見ると、日本は LGBT について無知・無関心すぎる、と言えるだろう。「そんな問題はあまり深く考えなくてもいい」と思う人が多そうだが(私もそうだったが)、実は、この問題はもっと深刻に受け止めるべきであるようだ。なぜなら、世間が無知であることは、人の命を奪うことにもなるからだ。
「無関心であることは、人殺しになる」
ということが、ここでは成立するだろう。その意味では、私もまた反省する必要があるようだ。ぺこり。

【 関連サイト 】
「いちいち反省なんかしなくてもいい」と思う人も多いだろうが、世の中には LGBT を敵視する保守的な人々も多い。特に自民党ではそうだ。右派(旧・安倍派など)には、そういう意見が多い。読売新聞の社説もそうだ。
→ 社説:トイレ制限訴訟 判決の拡大解釈避けるべきだ : 読売新聞(社説)
最高裁判決を受けて、LGBT の権利が広がるのを憂慮している。その時代錯誤ぶりには、呆れるしかない。こういう人が世間に多いから、りゅうちぇるも自殺するハメになったのかもしれない。
※ 世論調査では、LGBT に理解がある人の割合は、年々増えていて、今では 3分の2 が容認派で、3分の1が排除派だ。読売新聞は、3分の1に属する。
→ http://openblog.seesaa.net/article/491060035.html
りゅうちぇるが離婚したのは謎だ、という問題提起をして、解明しようとしている。要点は二つ。
・ これは、りゅうちぇるがトランス女性 MtF であるのが本質だ。
・ ペコは離婚で可哀想だが、文句を言う権利があるのはペコだけだ。他人は口を出す資格はない。
──
以上の二点で、私は当時、正しく指摘していたことになる。「無関心すぎる」というほどでもなかったようだ。
なお、今回は、乙武洋匡 の文章(懺悔)が話題を呼んでいる。
→ https://note.com/h_ototake/n/nc7f8f5d085b9