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同性婚と結婚との対比ばかりが話題になる。そこで、結婚というのは、「異性愛者だけに認められた特権」と思われがちだ。特に、同性愛者から見ると、そうだろう。
だが、異性愛者ならば結婚ができるかというと、そうではない。異性愛者であっても、独身者は(自分一人では)結婚ができない。相手の欄を空欄にした結婚届を出しても、受理は拒否される。
「何を当たり前のことを」と言われそうだが、ここには重大なポイントがある。結婚はあくまで「独身から夫婦へ」という移行を公認する制度だ。そして、その公認にともなって、さまざまな特権が付与される。ではなぜ、特権が付されるのか?
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一方、最近、次のことが話題になっている。
「少子化対策としては、児童手当をいくら増額しても無効である。少子化対策に必要なのは、結婚率の上昇だ。未婚のままでは、独身者同士が子供を生むことは期待されない。結婚を促すことで、少子化対策となる」
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以上で、二つの話題を紹介した。この二つを照合すると、次の結論が得られる。
「結婚することで政府が特権を与えるのは、結婚によって出産を推奨するためである」
図式的に言えば、こうだ。
結婚制度 = 出産の奨励
こういうふうにして出産を奨励することで、一国の人口を維持しようとする。そのために、結婚制度を整えて、さまざまな特権を付与するわけだ。
そして、この特権は、ただのプレゼントではない。「出産・子育て」という社会的な奉仕活動をしてくれたことに対する対価だ。何もしない人に好意で巨大な特権をプレゼントするわけではない。「1人の人間を、産んで、20年ほども育てる」という巨大な奉仕活動をしてくれたこと(しかも1〜3人ぐらいの人数で)に対する対価なのだ。
たとえば、相続税の配偶者控除というものがある。1億6000万円までが無税となる。それによって免除される相続税は 6000万円ぐらいにもなる。これほどにも多額の免税が得られる。
では、なぜ? それは、この妻が「異性婚をしたから」ではない。「出産・子育て」という社会的な奉仕活動をしてくれたからだ。例外的に、子育てをしなかった(子供が産まれなかった)夫婦もあるが、ほとんどの夫婦は「出産・子育て」という社会的な奉仕活動をしてくれた。だからその対価として、大きな控除を得ることができる。
こういうことはすべて、「児童手当を出す」というのと同様で、出産奨励策なのである。それが「結婚」ということの意味だ。

では、同性愛者はどうか? 二人が出産することはありえない。子供ができないまま、異性婚の子供を、よそからもらって育てることはできるが、そんなことをしても、新たに生まれる子供は1人もいない。だから、人口増加の効果は皆無である。つまり、少子化解消の効果は皆無である。
というわけで、同性婚者は、「出産・子育て」のうちの「出産」という社会的な奉仕活動をしてくれることはない。それゆえ、「出産・子育て」という社会的な奉仕活動をしてくれたことへの対価はない。だから、相続税の配偶者控除という巨額のプレゼントをする必要はない。
逆に言えば、「出産・子育て」という社会的な奉仕活動をしないのに、その特権だけを得ようとするのは、同性愛者の驕りである。やるべきことをやらないで、その対価だけをもらおうというのは、給料泥棒も同然だ。また、独身者はもらえないのに、同性愛者だけはもらえるというのは、独身者に対する差別だ。そんなことは認められるわけがない。
要するに、同性愛者が「相続税の配偶者控除を認めてほしい」というのは、「同性愛者には特権的な権利を認めよ」というものであり、異性愛者に対する一方的な差別だ。そんな差別など、許されるはずがない。
というわけで、同性愛者が「相続税の配偶者控除を認めてほしい」というのは、認められない。
そして、そうである以上は、同性愛者に認められる権利は、「同性家族制度」で十分だ。
※ ただし、そのような「同性家族制度」(相続税の配偶者控除はない)というものを、「同性婚」と勝手に呼ぶことは、許されるかもしれない。少なくとも、(社会でなく)本人たち二人だけの間であれば、その関係を「同性婚」と呼ぶことは自由だろう。法律的には「同性家族制度」であっても、二人だけが結婚式を挙げることは、個人の自由だろう。……そういうふうに、呼び方の問題としては、同性婚を認めてもいい。(相続税の配偶者控除はないが。)
※ そもそも、結婚というものは、もともと「男女の結婚」を意味していた。なのに、その言葉を使って、異性同士の結婚の真似事をしようというのが、筋が悪い。同性愛者は同性愛をすればいいのであって、異性愛の真似事をする必要はないのだ。その意味で「結婚」という形式の真似事を取る必要もない。だから、「同性家族制度」で十分だ。(これなら反対も少ないので、実現性が高まる。)
《 加筆 》
※ なお、「同性婚をあえて認めてほしい」ということの背景にあるのは、「同性愛者が同性でセックスしたい」ということによるのだろう。それならば「結婚」という異性愛の真似事をしたいという理由もわかる。……ただし、その場合、それを政府が推奨するということは、「同性愛者がセックスしたら、特権を与える」ということに等しい。セックス奨励策だ。しかし、異性愛者にセックス奨励策をとるのはわかるが、同性愛者にセックス奨励策をとるのはナンセンスだ。(出産しないからだ。)……この件は、前にも述べたことがある。
→ 同性婚を否定せよ (逆説的に): Open ブログ
[ 補足 ]
LGBT法案 が委員会で可決されたので、数日後には成立する見込みらしい。
→ LGBT法案、来週にも成立 自民が維新案丸のみ―衆院委で修正案可決:時事
曲がりなりにも法案が成立したことになるが、これ、実効性は、あるのかね? 同性婚 or 同性家族制度の成立については、何も言っていない。何かしようという方向性さえない。裁判所の判決は次々と出ているのに、政府や自民党は何ら対処策をとろうとしない。「違憲状態を無視する」という、法治国家にあるまじき状態を取り続ける。
マスコミも、法案の成立については詳細に論じるが、「これで同性婚が成立する方向にはならないので、この法案は実質的には何の意味もない」という点を、指摘することはないようだ。
[ 付記 ]
所得税の「配偶者控除」というものもある。これは「年収 48万円以下の配偶者を、所得税の控除対象とする」というものだ。簡単に言えば、「専業主婦控除」を意味する。
同性愛の場合は、「配偶者控除」という特権は認められるべきではない。理由は上記の理由と同様だ。……とはいえ、そもそも、「配偶者控除」の必要性そのものが少ない。同性愛者の場合には、男女のように「一方だけが専業主婦になる」ということは、少ないはずだ。だから、「専業主婦控除」を考慮する意義は少ないのだ。
※ 一方、そもそもの話だが、「配偶者控除は廃止されるべきだ」という議論がある。今日では、夫婦は共働き(2馬力)のことが多いので、配偶者控除は廃止されるのが自然だろう。かわりに、病弱で働けないような配偶者に対してのみ、「病人控除」みたいなものを認めればいいだろう。
※ 配偶者控除が有効なのは、高所得者の場合だ。高所得者だと、妻は専業主婦になっていることが多いので、配偶者控除は意義を持つ。しかも、控除による減税効果が大きい。高所得であればあるほど、高率の免税がある。……その意味でも、こんなものは廃止した方がいい、と言えるだろう。
【 関連項目 】
本項は、下記項目の続きである。そちらも参照。(話の内容は、本項と似た趣旨。)
→ 同性婚を否定するべき根拠: Open ブログ
https://kenpokaisei.jimdofree.com/規範力の復元/同性婚訴訟-東京地裁判決の分析/
https://is.gd/gcMaq5