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朝日新聞の連載コラム。本人談。(2023年6月6日)
工場排水を共同で処理する最新鋭施設とのふれこみで1960年代半ば、浮間処理場(当時)が東京都内にできました。でも、私たちが調査すると、水銀、鉛、銅、クロムなどの有害な重金属の多くが処理されずに川に流れ出ていました。大量の排水を集めたことで有害物質の濃度が薄まったものの、肝心の物質が除去されなかったのです。
調査結果をまとめた記事(通称・浮間レポート)を出すと、教授や学界、行政の圧力にさらされました。
教授は私に直接、記事を取り下げるように求めました。多くの関係者が大学に現れ、「なぜ言うことを聞かせられないのか」と教授に迫ったといいます。私の研究を手伝う学生たちの就職も妨害されましたが、私たちは屈しませんでした。
私の研究グループに対する学内外からの圧力は10年以上続きました。肩書は20年以上、東大助手のままでした。
私たちの主張は、学会や専門誌での発表の機会を得にくく、たびたび一般向けの雑誌に記事を書きました。
( → (語る 人生の贈りもの)中西準子:7 圧力10年、不屈の主張で国動かす:朝日新聞 )
不屈の精神で戦い抜いたあと、数年後には浮間処理場は廃止され、下水道法改正にも至った。その後も圧力は続いて、10年以上も圧力が続いたそうだ。政府が誤りを認めたのは5年後ぐらいだが、学界が誤りを認めるには 10年以上もかかった。その間、孤軍奮闘してきたわけだ。
不屈の精神。孤軍奮闘。すごいね。尊敬する。これほどにも立派な人は、滅多にいない。この人のおかげで、日本の環境は保全された、とも言える。それ以前の日本は公害だらけだったことを思えば、今の安全な環境に生きている人々は、みんな彼女に感謝してもいいくらいだ。
彼女がいなければ、自民党と学界がつるんで、東京などの大都市は環境汚染だらけだったことだろう。
- ※ 助教授になれたのは 20年以上もあとだ。1990年。52歳。それまで学界は彼女を認めなかった。ひどい話。
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後日談もある。
なぜ国の政策をひっくり返すことができたのか。私なりに振り返ればまず理屈が分かりやすかった。調査も質量ともに他にないものでした。図を用いて説明するとメディア関係者がいち早く理解し、地域住民や行政に浸透しました。教え子の就職事情も改善し、行政側の味方も増えました。
( → (語る 人生の贈りもの)中西準子:9 米留学、待遇改善の先達と出会う:朝日新聞 )
国も学界も理解してくれなかったが、メディアが理解してくれたようだ。このころの先進的なメディアというのが、岩波書店と朝日新聞だった。この二社が、日本の環境政策に寄与した影響力は、きわめて大きい。自分自身で解明したわけではないが、中西準子のような学者の解明した事実を、世間に告げる場を提供した。
【 追記 】
大事な話を書き落としていた。
調査すると、水銀、鉛、銅、クロムなどの有害な重金属の多くが処理されずに川に流れ出ていました。大量の排水を集めたことで有害物質の濃度が薄まったものの、肝心の物質が除去されなかったのです。
と文中にあるが、これはつまり、次のことを意味する。
“ 工場排水を共同で処理する最新鋭施設という触れ込みだったが、実は、処理されずに、水で薄めたことで、濃度を下げただけだった。「 **ppm から **ppm に下がりました」というふうに、ppm の数値だけは下げたが、実際の排出量は少しも減らしていなかった。つまり、ペテンだった。”
東京都は公害対策の最新鋭設備を標榜していた。しかし実際には、それは水で薄めて濃度を下げるだけのペテンをしていただけだった。そこで中西準子が叫んだのだ。「王様は裸だ!」と。
※ これは「味噌汁を薄めると減塩になる」というのと同様だ。
先日も、この話題で述べたばかりだ。
→ 味噌汁を薄めると減塩になる?: Open ブログ
現在の福島原発の汚染水問題も全く同じです。あれだけ地下水で薄めてしまうと海に流すしかありません。低塩味噌汁を大量に飲むとどうなるのでしょうか。韓国の調査団の報告がまだ出てきませんね。黒潮の流れを考えると韓国への影響は少ないのですが。