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平和主義を唱えるリベラルな人々がいる。朝日新聞の記者にはそういう人が多い。たとえば、前項で紹介した記事の記者は、「護憲」の立場から、「専守防衛」「最小限度の軍備」を唱える。
この発想の基礎にあるのは、次の二点だ。
・ 太平洋戦争の開戦は、日本の軍国主義の結果である。
・ 敗戦のせいで、軍国主義から民主主義になった。敗戦万歳。
しかしこれは、米国にだまされた結果である。以下で説明しよう。
開戦
「太平洋戦争の開戦は、日本の軍国主義の結果である」
という俗信がある。だが、これは誤りだ。日本は戦争をすれば負けるとわかっていた。だから、戦争なんかしたくなかった。だが、戦争をしたくもないのに、無理やり戦争をするように追い込まれた。
なぜか? 米国がドイツと開戦するためである。ドイツはすでにフランスをも陥落させており、イギリスも陥落間近だった。このままでは「ドイツ + フランス + イギリス + 他の欧州諸国」がすべてドイツの支配下になる。その全体と戦えば、米国は負けそうだ。米国はヒトラーに支配されそうだ。それは絶対に避けがたい。何とかして、今のうちに開戦したい。しかし米国国民は、ドイツとの開戦に反対する。(平和主義のリンドバークのせいだ。)……このままでは、何もしないうちにナチス・ドイツがどんどん強大化して、とんでもないことになる。
そこで一案。どうせ開戦するにしても、米国がドイツに宣戦布告するかわりに、日本が米国に宣戦布告するように仕向けた。日本をムチで何度もぶんなぐって追い込むことで。(いじめ の一種だ。)……これが、開戦の真相である。
詳しい話は、下記で示した。
→ 正しい戦争と第二次大戦: Open ブログ
→ 日米戦争開始の分岐点: Open ブログ
→ ルーズベルト vsリンドバーグ: Open ブログ
開戦の真相はこの通りだが、朝日新聞は、史実を逆にとらえている。かくて、「日本の軍国主義のせいで開戦となった」と信じ込んでいる。つまり、だまされている。
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ついでだが、東京裁判も重要だ。東京裁判では、「東条英機などの戦犯が処刑される」という形で、日本の軍国主義が断罪された。だが、これは典型的な「勝者による一方的な断罪」だった。なぜなら、最悪の戦犯が免罪されたからだ。
・ 東京大空襲で市民を無差別虐殺を決めたカーチス・ルメイ
・ 広島と長崎への原爆投下を決めたトルーマン
この二人は人類史上でもまれに見る極悪人だった。ヒトラー以上のとんでもない戦犯だと言える。なのに、この二人は「英雄」として称賛された。前者に至っては日本政府から勲章で叙勲されているほどだ。
東京大空襲より77年。米軍の無差別爆撃で10万人以上の民間人が犠牲に。明白な戦争犯罪行為である。戦後、日本政府は総指揮官カーチス・ルメイに空自創設の件で最高勲章を与え、昭和天皇の御宸襟を悩ませた。ルメイ自身も「敗けていれば戦犯だった」と認めていたが英雄に。
( → (1) 一水会さんTwitter )
“I suppose if I had lost the war, I would have been tried as a war criminal,” LeMay reflected years later.
( → 'Bombs Away' LeMay: America's Unapologetic Champion of Waging Total War )
このような悪魔のごとき人物の国を、「民主主義の素晴らしい国」と信じているのだから、当時の米国を賛美するようなリベラルな人々は、だまされていると言える。
敗戦
「敗戦のせいで、軍国主義から民主主義になった」
という俗信がある。また、
「民主主義の米国のおかげで、日本はいろいろと恵まれた」
という俗信もある。かくて、
「軍国主義に代わる民主主義は素晴らしい。敗戦したことで、かえってよくなった。戦争をして死者を多数出すくらいなら、最初から戦わないで負けた方が良かった」
という敗北主義(即時降伏主義)まで出てくるに至った。このような敗北主義が、素朴に「平和主義」と呼ばれることが多い。
だが、敗北主義がうまく行ったのは、米国に支配された日本ぐらいのものだ。ロシアに支配された東欧諸国は、領土や資源を奪われ、悲惨な状況になった。人間をシベリアに送られた国も多い。また、日本兵士の捕虜も、シベリアでは悲惨な境遇に置かれた。私の親族も、戦後にシベリアに送られて、命を失った。あまりにもひどい目に遭った。
そして、今現在も、ロシアに支配されたウクライナ人は悲惨な目に遭っている。なのに、朝日新聞のようにおめでたい人々は、「武器輸出に反対」と唱えて、ウクライナ人を見殺しにしている。「自分は正しいことをしている」と信じながら、善良なる人々が死んでいくことを意図的に放置している。平和主義者とは、傍観主義者であり、指をくわえて見守るだけの人々だ。

傍観する彼らは、人の死を阻止するために立ち上がる勇気はないのだ。
( ※ せいぜい、防弾チョッキやヘルメットを送って、「ウクライナに協力している」と自己弁護するぐらいだ。ひどい勘違い。そんなもので爆弾やミサイルを防げるわけがないのだが、理解できないようだ。)
ここで問題だ。
それでは、なぜ日本は例外的に、敗戦によって幸福になれたか? それは米国が素晴らしい人々であったからか?
いや。そうとは限らない。ここでは、例外的な事情が二つあった。
(1) 対ソ戦略
米国にとって当面の最大の敵は、ソ連だった。ソ連に対抗するには、味方陣営を強化する必要があった。その最大の拠点が、ドイツと日本だ。これらの国の工業力を高めて、ソ連陣営に対抗することが、最大の目的となった。だからこそ、自らを守るために、ドイツや日本を復興させる必要があった。米国は別に博愛精神で日本に援助したのではない。ソ連の脅威から自分を守るために、仲間を強化しようとしたのだ。すべては軍事的な自己都合だったのだ。(それを博愛主義のおかげだと思ったリベラルな人々は、だまされてしまったのである。)
(2) リベラルな若手
日本に来た占領軍の担当者は、きわめてリベラルな気質を持つ若手が多かった。彼らが「リベラル主義の実現」を願って、理想主義的な国家建設を試みた。ベアテ・シロタ・ゴードンや、ルース・ベネディクト などがいる。
なお、これらの人々は、大統領である保守主義のトルーマンとは正反対の気質だ。対日占領政策が、トルーマンの方針ではなかったらしいことは、日本にとって幸運なことだった。
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すぐ上のことから、わかることがある。
日本国憲法がリベラルな性質を帯びているのは、ほんの偶然によることだ。もうちょっと歴史がズレていたら、トルーマンの意向で、日本国憲法は保守的なものとなっていただろう。
・ 男女平等の排除
・ 人権の優先の排除
・ 男尊女卑の保守主義の維持
・ 強い軍国主義
こうなっていた可能性は高い。その場合にも、朝日は「護憲」を唱えて、保守主義に従うのだろうか? それはほとんど自己矛盾になるのだが。
朝日新聞のように、単に「護憲」だけを唱えて、その背景を知らないと、歴史の真実を見失う。「護憲」を唱えるのならば、なぜその憲法ができたのかを考えるといい。憲法は決して金科玉条ではないし、不磨の大典でもない。そのことを理解できないと、前項のように、ひどい勘違いを犯すことになる。
→ 敵基地攻撃能力と憲法: Open ブログ (前項)
【 関連項目 】
だましてばかりのペテン師、という点では、マッカーサーが最大だ。前に特別に説明した。
→ マッカーサーはペテン師: Open ブログ