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「何を馬鹿なことを」と思う人が多いだろうが、これをまともな顔で言っているのが、非武装主義の朝日新聞だ。「武器輸出に反対する」という方針で、朝日新聞が論じている。
「ウクライナへの武器輸出に反対する。ウクライナ人が死んだあとで、(死後に)金を恵んでやればいい」
という趣旨だ。以下に引用しよう。
《 (社説)武器輸出緩和 殺傷兵器は容認できぬ: 》
国際紛争を助長する武器の輸出国にはならない。この誓いは、憲法で平和主義を掲げる国の根幹である。殺傷能力のある武器の提供に道を開くことは、長年守ってきた原則に背くものであり、容認できない。
自民党は昨年4月の安保提言の中で、ウクライナを例に挙げ、「国際法違反の侵略を受けている国」に「幅広い分野の装備」を渡せるよう政府に検討を求めた。ウクライナには防弾チョッキやヘルメットなどを送っているが、殺傷能力のある武器を念頭に置いたものだ。
抑止のためではなく、戦場でただちに使われることを前提にした武器の供与は、三原則の精神とは相いれない。岸田首相はウクライナ訪問の際、「日本ならではの支援」を続けると表明した。復興や民生の分野で力を尽くすべきだ。
殺傷能力のある武器が解禁されれば、その影響は広範に及ぶことも踏まえねばならない。
( → 朝日新聞 2023-04-30 )
ここでは、論点は二つある。
(1) 金を出す
「復興や民生の分野で力を尽くすべきだ」
というのが、朝日の提唱だ。これはつまり、「戦後に金を出す」ということだ。平和主義の朝日としては、いかにももっともらしい。
しかし戦後というのは、「もはや戦死者が死んでしまったあと」のことだ。戦死者に対して、「死んでから金を上げますよ」と言えば、戦死者は喜ぶだろう……と思っているのだろうか? 頭がイカレているとしか思えない。死んでから金をもらっても意味がないだろう。死ぬ前にまさしく生きるすべが欲しいのだ。そして、それは、「身を守るための武器」ということだ。
なのに、「武器を与えずに金を与える」という朝日の提案は、あまりにも馬鹿げている。
朝日新聞は「正当防衛」という概念をきちんと理解するべきだろう。攻撃者から身を守るためであれば、「正当防衛」という概念が成立する。この基本概念を理解できないようでは、もはや頭がお花畑になっているとしか言いようがない。
※ そもそも、「戦後の復興で金を出す」ということからしておかしい。そこではウクライナが勝利することが前提となっているが、ウクライナが敗北して、ロシアの一部になる可能性も十分にあるのだ。その場合には、ウクライナの復興資金を出すべきはロシアである。「ロシアの一部になったウクライナに日本が金を出す」というのは、「ロシアに金を出す」というのと同じことだ。頭が狂っているとしか思えない。
※ ウクライナが敗北して、ロシアの一部になるとしたら、それは、日本が武器を送らなかったからである。日本のせいでウクライナ敗北をもたらしておきながら、平気の平左の顔をしているなんて、呆れるしかない。
(2) 殺傷能力
「殺傷能力のある武器」ということに、ひどくこだわっているようだ。(文中に2箇所ある。)
だが、「殺傷能力のある武器」の殺傷対象は、民間人ではない。自分を殺そうとする敵兵だ。具体的に言えば、ウクライナ人を殺そうとするロシア兵だ。
これに対しては、次の3通りがある。
・ こちらも殺傷能力のある武器を用いて、対抗する。
・ 無抵抗で殺される。
・ 竹槍や包丁で対抗する。
朝日新聞の場合は、「無抵抗で殺されればいい」と言っているのではないから、必然的に3番目となる。つまり、「竹槍や包丁で対抗する」ということだ。「殺傷能力のある武器を禁じる」というのは、そういう意味だ。
しかし、日々にロシア兵の兵器で殺されている人々に、「竹槍や包丁で対抗しろ」というのは、あまりにも馬鹿げている。軍事力というものをまったく理解できない脳天気だ。
朝日新聞は自分が何をしているか、理解するべきだ。「自分はウクライナ人を見殺しにしているのだ」と。「自分の愚かな無抵抗主義や敗北主義に準じるために、ウクライナ人を見殺しにしようとしているのだ」と。その自覚を持つべきだ。
戦争の現実は、決して竹槍や包丁で対抗できるようなものではないのだ。