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邦人が無傷で 50人以上、退避した。これは作戦成功と言えそうなので、自衛隊を称賛しよう……と思った。
だが、よく調べると、とんでもない。うまく行ったのはたまたまの結果だった。作戦成功は、ただの結果論にすぎない。実は、自衛隊の取った手順そのものは大失敗だったと言えそうだ。
なぜか? ポイントは、「日本政府(自衛隊)の防護があったか否か」だ。この点で考察しよう。
当初は、飛行機を飛ばしたので、空からの脱出を狙っているようだった。だが、「投入する部隊もないし、空港を制圧できないのに、空港に着陸できるのか?」と疑問に思っていた。アメリカなら、軍で首都の空港を制圧して、安全を保った。だが、日本はそんなことはできない。ならば、空路でなく、陸路を取るしかあるまい。……そう思っていた。
ところが実際には、国内を陸路で走って、海岸近くの空港まで到達して、そこから先だけを飛行機で空輸した。なるほど。これならば何とかなる。
だが、問題は陸路だ。陸路で安全性を保つには、装甲車(または最低でも武装した乗用車・トラック)による防護が必要だ。なのに、自衛隊はそれがない。軍事支援なしの丸腰だ。そんなことで、陸路の安全性が保てるのか? そこがポイントだ。
そう思って、疑問に感じていた。しかし結果的には、武装による防護を得ることができた。それは、ちょっとチート(ズル)をしたのだ。つまり、自前ではなく他人に頼る、という方法を取ったのだ。
邦人と家族計45人が、「国連主導」と「アラブ首長国連邦(UAE)・韓国主導」の二つのグループの車列に参加することになった。
二つのグループがめざしたのは、ハルツームから800キロ以上離れたスーダン北東部のポートスーダン。目的地は同じだったが、「北ルート」と「南ルート」で別々の陸路を進んだ。日韓の政府関係者によると、韓国が用意した車に同乗した日本人も数人いたという。
( → スーダン邦人脱出、二つの車列で別ルートへ 緊迫の作戦に韓国も協力:朝日新聞 )
こうして、(他者である)二つの軍事支援を得た。自衛隊の不足していたことが、これで補われたわけだ。かくて、邦人の防護は担保された。一安心、と言える。日本は力不足で助けを受けたので、そのことで相手に感謝するべきだ……と思っていた。
だが、報道を見たらとんでもないことが判明した。日本は力不足だったのではない。力はあったのだが、わざとサボっていたのだ。故意に邦人を見捨てたのだ。(何とまあ!)
詳しくはこうだ。
政府は自衛隊部隊がスーダン内の空港などに在留邦人を車両で運ぶ「陸上輸送」を検討した。実施されれば、13年の自衛隊法改正で陸上輸送が認められて以来、初めてだったが、危険を伴うため見送られた。政府高官は「輸送の最中に戦闘の流れ弾にでも当たって亡くなったりしたら、大変なことになる」と難しさを漏らす。
( → スーダン邦人脱出、二つの車列で別ルートへ 緊迫の作戦に韓国も協力:朝日新聞 )
自衛隊は部隊派遣を意図的に見送った。その理由は、「輸送の最中に戦闘の流れ弾にでも当たって亡くなったりしたら、大変なことになる」ということだった。
本気でこれを言っているのか? もしそうであれば、邦人の車列は、国連・UAE・韓国の車列に加わるべきではあるまい。そこは軍事力で防護されているので、交戦の可能性があるからだ。交戦の可能性を危険視するのならば、丸腰のまま民間の車だけで隊列を組むべきだった。自衛隊の主張に従うなら、そうなる。(ただちに降伏する、という方針だからだ。降伏の場合は、捕虜または虐殺になり、脱出作戦は失敗となる。)
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もちろん、自衛隊の方針はダメだ。では、正しくはどうするべきだったか? 実は、軍事的には正解がある。それは、こうだ。
「車列の最初と最後に、戦闘用車両を配置する。敵から襲撃を受けたら、戦闘用車両が交戦することで、相手の攻撃をすべて引き寄せる。相手は、銃弾を発する自衛隊車両を攻撃することに専念することになるので、結果的に、民間車両はうまく逃げ出すことが可能となる」
※ 最後尾の武装車両が、敵を引き止めて交戦している間に、無防備の民間車両は、すたこらさっさと逃げ出すわけだ。
このような発想を「援護射撃」という。
「援護射撃」の意味を、よく理解していない人が多いが、その目的は、敵を撃滅することではない。敵の攻撃を(自分が)一手に引き受けることだ。そのために銃撃をするのだ。だから、特に弾が敵に当たらなくてもいい。こちらの発射した弾が敵に当たることが目的ではない。味方(仲間)が敵の弾に当たらないことが目的なのだ。
このような援護射撃をするために、自衛隊の部隊はある。相手を倒すためにあるのではではなく、味方を救うためにあるのだ。自分を犠牲にすることで。(救出作戦においては。)
しかし、今の自衛隊には、そういう発想がない。「流れ弾に当たって亡くなる」というような、偶然的な不幸の心配だけをしている。これでは、「本気で戦う気があるのか」と疑いたくなる。交戦の戦術のイロハ(上記)さえ、まともに理解できていないようだ。
※ 自衛隊は、「流れ弾でなく直撃弾を浴びて死ぬならば構わない」と言っているのも同然だ。あるいは、「襲撃されて、全滅するか、拉致されるのならば、構わない」と言っているのも同然だ。だから、邦人を守るという任務を放棄するわけだ。
自衛隊は、「戦場で民間人を逃がす」という、ごく簡単な任務さえ実行できない。任務を実行して失敗したのならまだしもだが、最初から任務を放棄して、味方を守ることすら、やる気がない。自分たちは危険な地域には出向かず、安全な領域で飛行機を飛ばすことしかできない。
呆れるほどの無能さだ。無能というより、臆病だ。平和ボケしているとしか言えない。現地に武装車両を送った(そして日本人を守ってくれた)韓国軍のレベルとは、天と地ほどにも離れている。
[ 付記 ]
もっとひどい点もある。それは「集団的自衛権」だ。これは、「米軍を守るためならば、自衛隊を派遣する」というものだ。
つまり、米軍を守るためならば自衛隊を派遣するが、自国民を守るためならば自衛隊を派遣しない。そういうわけだ。
呆れるね。自衛隊は米軍を守るためにある。自衛隊は米軍の奴隷だ。そういうふうに公式に表明したのも同然だ。そういうわけだから、日本人を守るためには何も任務を果たせないのだろう。というか、日本人を守ることは、最初から任務に入っていないわけだ。……それが今回の派遣からわかったことだ。