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DNA 発見から 70周年となった。そこで朝日新聞が回顧記事を書いている。
1953年4月25日、生命科学が飛躍的に発展する礎となる成果が英科学誌ネイチャーに発表された。ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、DNAは、2本の鎖がより合わさったらせん階段のような構造だと提唱したのだ。
当時、親の形質を子に伝える「遺伝物質」の正体はDNAに絞りこまれつつあったが、複雑な遺伝情報をどう伝えているのかはまったく謎だった。
英ケンブリッジ大のワトソンは厚紙を切り抜いてDNAの部品を作り、パズルのように組み合わせていくうちに基本構造を思いついたという。
DNAの二重らせんは、らせん階段の踏み台にあたるところで4種類の「塩基」が対になっており、対になる相手は決まっている。細胞分裂の際に、ファスナーが開くようにほどけ、それぞれの鎖が鋳型となって、まったく同じものが複製されると暗示した。
「単純で美しい。構造を見れば、二重らせんが遺伝情報の保存装置であり、複製する仕組みも直感的にわかる。最大の発見は遺伝情報が4種類の文字からなるデジタルだと明らかにしたこと。デジタルだから正確に複製でき、何度複製しても劣化しない」
模型で暗示されたことが実験で確認され、物理学者も参入して「遺伝暗号」を解く研究が始まった。4種類の塩基が3文字並んで、たんぱく質を作る20種類のアミノ酸の一つを指定するとわかった。
( → (科学とみらい)二重らせん、発表から70年:上 DNAの構造解明、飛躍するバイオ技術:朝日新聞 )
ここでは、「20世紀生物学の最大の成果」と表現するほどで、業績を大々的に持ち上げている。
出典:英語版 Wikipedia
一方、本サイトでも、この業績を取り上げたことがあったが、光の面だけでなく陰の面も指摘した。
該当箇所を転載しよう。
ここで思い浮かぶのが、DNA の発見だ。ワトソンとクリックは、「 遺伝子とは何か? その分子構造は?」という最も有望な分野に進出して、見事に成功を収めた。
ワトソンとクリックが成功したのは、有望な分野に進出したからでもないし、彼らに才能があったからでもない。他人の業績を盗んだ(盗み見た)からだ。前に述べた。
→ ノーベル賞を取る方法(STAP細胞の教訓)
ここでは、「才能のない人がノーベル賞を取る方法」というのを示している。その方法は、一言でいえば、
「(ノーベル賞級の)他人の業績を盗むこと」
である。そして、それに見事に成功したのが、ワトソンとクリックなのだ。彼らは、業績を盗むことで、ノーベル賞を獲得し、さらには、「 DNA の発見者」という名誉を受けた。
( → 有望な研究はやるな: Open ブログ )
簡単に言えば、ワトソンとクリックの成果は、他人の業績を盗むことによって、なし遂げられたのだ。では、どういうふうに? それは、一言では示せないので、長い説明が必要となる。その説明は、引用文中にリンクで示してある。つまり、下記だ。
→ ノーベル賞を取る方法(STAP細胞の教訓)
詳細はここに書いてある。
なお、特に該当箇所を示せば、こうだ。
過去の歴史を思い出すといい。それは、DNA の発見だ。
DNA の発見は、「ワトソンとクリックが発見という業績をなした」と思われているが、本当はそうではない。実際には、ロザリンド・フランクリンが大きな貢献をしていた。その貢献を、ワトソンとクリックはこっそり盗み見ていた。それを隠したまま、すべては自分たちの業績であるかのように偽って、DNA の発見の栄誉をワトソンとクリックの二人が独占した。
この点は、詳しくは、下記の書籍に記されている。
→ 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
→ ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実
→ ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光
ワトソンとクリックは、こすからい方法で、DNA 発見の栄誉を独占した。その真相が判明したあとでも、いまだにこの二人ばかりが称賛されて、ロザリンド・フランクリンの方はほとんど話題にもならない。
要するに、ノーベル賞を取るコツは、詐欺師かペテン師のようにふるまうことなのだ。
( → ノーベル賞を取る方法(STAP細胞の教訓): Open ブログ )
[ 余談 ]
朝日新聞の記事は、3回連載だという。
二重らせんが社会に与えたインパクトや人類が向き合っている課題を、3回にわたって専門家に聞いた。
なのに、1回目が4月21日に掲載されたあと、22、23、24日の新聞には続報が掲載されない。そのまま 25日になってしまった。どうなっているんでしょうね。「出し遅れ」で出すつもりなのかな? 該当日を過ぎてしまうようでは、間抜けぶりがひどい。