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政府は花粉症対策に本腰を入れると決めた。
「国民病」とも言われる花粉症の対策に政府が本腰を入れる。14日に初めて開いた関係閣僚会議で岸田文雄首相は、例年6月の「骨太の方針」の策定までに、花粉症対策の全体像を取りまとめるよう指示した。
花粉症に悩む人は年々増えている。国内の専門医らの学会の調査では、2019年時点で花粉症にかかっている人の割合は42.5%で、1998年の19.6%から22.9ポイント増加。10〜19歳のスギ花粉症に限ると49.5%に達し、花粉症で「勉強に集中できない」など、日々の暮らしへの影響も大きい。
スギの伐採は進んでいない。林野庁によると、人工林全体の4割強にあたる約440万ヘクタールがスギで、そのうち半分以上を伐採期を迎えた樹齢50年超が占めている。
この日の会議で首相は、官民でスギの伐採促進に取り組み、国産材の需要を増やす方策も検討するよう指示。花粉の少ないスギへの植え替えも求めた。ただ、花粉の少ないスギへの植え替えはまだ全体の1%未満で、効果が出るには時間がかかる。
( → 花粉症対策に本腰、効果は? スギ伐採促進.AI飛散予測.治療環境整備 6月までに全体像:朝日新聞 )
「スギの伐採促進」「花粉の少ないスギへの植え替え」が対策として上げられているが、あまり効果が上がるとは思えない。
それより別の問題がある。杉の多い地域(日光の杉並木のあたり)では、杉だらけだから花粉症が多いかというと、そうでもないのだ。つまり、花粉症の原因を杉だけだと見なすのは妥当ではない。
そもそも花粉症は、花粉アレルギーである。そして、アレルギーは一般的に、アレルギー物質そのものに問題があるのではなく、アレルギーに過敏になっている人間の側に大きな問題がある。卵アレルギーや牛乳アレルギーがあるからといって、卵や牛乳をこの世から廃止すればいいのではない。なるべくなら、アレルギーが起こらないように体質を改善するのが好ましい。
では、花粉症ではどうか? この件では、次の重要な事実が判明している。
「花粉症はディーゼル微粒子でアレルギーの症状が悪化する」
この件は、先に説明した。
(1) 症状の緩和
2003年(平成15)年からディーゼルの排ガス規制が進んだのにともなって、このころから花粉症の被害が減っていった。2009年の記事では、「症状が緩和しつつある」と記述した。
花粉症の症状が近年緩和しつつある。なぜか?
私が思うに、これは、「ディーゼル規制が進んだため」であろう。ディーゼル粒子が疑わしいということは、かなり前から言われていたからだ。
( → 花粉症(ディーゼル,無花粉杉): Open ブログ )
実際、私は2005年ごろまで、ひどい花粉症に悩んでいたが、2009年以降には、症状が大幅に軽減した。わずかに鼻がぐずるのだが、甜茶を飲むと、その症状も抑制できた。日常生活には何の支障もない。(甜茶を飲む手間が増えただけだ。)
(2) ディーゼル微粒子の悪影響
ディーゼル微粒子が生理的に悪影響をもたらすということは、前に引用・転載する形で説明した。そこから一部抜粋しよう。
黒鉛は出なくなったが、かわりに目に見えない粒子径 0.1マイクロメートル以下の微小(ナノ)粒子の数が数万倍以上に増えている。粒子が目に見えなくなっただけなのだ。
数マイクロメートルのPMは呼吸器に入り、ぜんそくなどを引き起こすことが知られていたが、ナノ粒子は呼吸器を介して血管の中に入り込み、心臓を初めとする循環器系、脳・神経系や生殖器にまで侵入することが、最近の動物実験で証明されてきた。
( → ディーゼルの環境汚染: Open ブログ )
もっと詳しい話は、上記リンク先を読んでほしい。
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結論。
花粉症はアレルギーである。この病気を解決したいのであれば、「杉をすべて伐採しよう」というような方針を取るべきではない。それは「卵アレルギーをなくすために、卵をすべてなくしてしまえ」というような発想だ。
そもそも、杉があるから花粉症になるのではない。ディーゼル微粒子があるから花粉症になるのだ。実際、ディーゼル排ガスを規制したら、花粉症の症状が緩和するという傾向が見られた。
ならば、なすべきことは、ディーゼルの排ガス規制をいっそう強めることだ。特に、ディーゼル微粒子の規制を強めることだ。
しかるに現実には、(黒煙の規制は進んでも、)ディーゼル微粒子の規制は進んでいない。それどころか、ディーゼル微粒子を多く出す方式(コモンレール方式)は、「黒煙を出さないのでクリーンだ」という理由で、「低汚染車」と認定されて、減税となる始末だ。
→ 検索:クリーンディーゼル
これではまるで、悪魔が天使と見なされるようなものだ。
要するに、政府がやっていることは、花粉症を減らすための努力ではなく、花粉症を増やすための努力なのである。そのためにせっせと減税措置をして、花粉症を増やしているのだ。そのあとで、「杉を伐採してしまえばいい」という見当違いの方策を取ろうとしているのである。
スギたるは及ばざるがごとし。 (ダジャレ)