──
自民党が議論しようとしている。
自由民主党(自民党)のデジタル社会推進本部は3月22日、AI関連の政策提言をまとめる「AIホワイトペーパー」の骨子を公開した。「ChatGPT」の登場で「AIをめぐる社会状況は一変した」としたうえで、新たなAI国家戦略の策定などを提言する。
提言では、大規模言語モデル(LLM)の独自開発に乗り出した英国を引き合いに、ChatGPTに匹敵する国産AIモデルの検討を含め、国内のAI開発基盤の育成・強化支援などについて盛り込む。
「LLMモデルを自前で作るには膨大な計算資源や人材が必要。どれくらいの時間軸になるのかも含めて検討する必要がある」
「海外のAIを使ったほうが早いのではないか、あるいは日本のAI産業を支える人材が無くなっても良いのかという議論もある。提言には短期と中長期、両方の視点を盛り込む」
( → 日本のAI政策、「和製ChatGPT」の開発にこだわるべきか否か--自民党が提言へ - CNET Japan )
議論すること自体はいいが、最終結論はどうするべきか? すぐに思い浮かぶのは、次の二点だ。
・ (肯定)最先端の技術には、国費を投入して促進するべきだ。
・ (否定)国が国費を投入した事業で、近年は成功したためしがない。MRJ とか。
上の二点があるので、私も賛否両面をいろいろと考えてみた。
そのすえに、私の結論は以下の通り。
──
現時点で、各社とも英語版の GPT に比べて、日本語版の GPT は性能が劣るようだ。BingAI では、「質問を英語に直してから、回答を英語にして、それを日本語に戻す」という遠回りな仕方をしている。日本語文献ですら、いちいち英訳を経由しているようだ。面倒ですね。
だったら最初から日本語文献だけ調査すればいい……という気もするが、事実についての情報なら、日本国内の情報よりも世界レベルの情報が必要となるので、「日本語文献だけを漁っていればいい」とはならない。やはり、たとえ日本語 GPT を作成するにしても、その知識ベースとなる文献調査は、英語文献調査が不可欠だ。その意味で、たとえ国産 GPT を作るにしても、英語版もきちんと作る必要がある。
しかし、それだったら、すでにある既存の(または将来のライバルの)GPT の日本語版を使うのであっても、同様だ、とも言えるだろう。ならば、いちいち開発する必要はなさそうだ。
とはいえ、各社はもともと日本語版をかなり手抜きしていて、日本語版の性能は低い。この状況を放置していると、「低レベルの GPT しか使えない日本全体の競争力が低下してしまう」という問題が起こる。GPT 産業自体では、無駄な出費をしないで、節約できるのだが、その結果、高度なツールを使えないせいで、日本全体の能率が低下してしまう、というありさまだ。
これはちょうど、富士通などのIT企業がわざわざポンコツパソコンを使うのと同様だ。Windows10 時代に、「メモリは4GB がないと使い物にならないのに、2GB しかないので、パソコンがまともに使えない状態だ」という苦情がいっぱい出ていた。メモリ代を2〜3万円ぐらい節約しようとして、仕事の能率を大幅に低下させていたわけだ。馬鹿丸出しとしか言いようがない。その馬鹿さ加減が、ネット上ではさんざん嘲笑されていた。
そして、それと同様のことが、GPT でも起こりかねない。「国産 GPT の開発費用を出すことをやめたので、開発費の数千億円を節約できたが、日本全体の GPT 利用状況が低レベル化したせいで、国全体ではその十倍以上の損失をこうむった」というふうになりかねない。
以上のことから、結論はこうなる。
日本は国産 GPT の開発をするべきである。ただし、それは、ライバルに勝利するためではない。ライバルに勝利することは難しいし、たぶんライバルに敗北するだろう。しかし、敗北することは失敗ではない。
日本が国産 GPT を開発すれば、日本における GPT 市場を失うまいとして、ライバルは日本語版の開発に大金を投入するだろう。マイクロソフトや Google も、自社の GPT の日本語版の性能を引き上げようとして、大金を投入するだろう。そのことで、日本政府が投入した開発費の数倍もの投資効果が(世界全体では)起こることになる。
それだけではない。そのような開発競争を通じて、日本語版 GPT は(各社の競争を通じて)大幅にレベルアップするだろう。英語版よりも大きく性能が劣るという状況は改善されるだろう。そのことで日本全体に莫大な能率アップの効果をもたらすだろう。そして、それこそが、最終的な狙いなのである。
簡単に言えば、次の対比だ。
(誤) 国産 GPT の開発 → 国産 GPT の向上 → 日本の GPT 利用環境の向上
(正) 国産 GPT の開発 → ライバル GPT の向上 → 日本の GPT 利用環境の向上
つまり、国産 GPT を開発するのは、国産 GPT の性能に期待しているからではない。ライバルを叱咤する(鞭打つ)ための当て馬にするだけだ。その役割さえ果たしてくれれば、それで十分なのである。(国産 GPT そのものには、あまり期待はできないが。)
[ 付記 ]
かつて TRON という国産 OS の開発プロジェクトがあった。これは 1984年に開始したもので、当時の主流だった DOS/V や PC-9800 をはるかに超えるアーキテクチャーがあった。マイクロソフトはこれに危機感を抱き、TRON をつぶそうと大騒ぎした。だが、同時に、マイクロソフトは Windows3.0 や Windows3.1 の開発を進め、そのあと Windows95 の開発に結実させた。これ以後、パソコンは劇的に普及することとなった。
その意味で、TRON は Windows95 の当て馬としての役割を十分に果たしたと言える。TRON そのものは普及しなかったが、Windows95 の開発を促す効果はあったと言える。当て馬は当て馬なりに、十分に役割を果たしたのである。その意味では、Windows によるパソコン時代の隆盛のために、坂村健は大いに貢献したと言えるだろう。( MS-DOS の大成功で鼻高々なって威張っていたビル・ゲイツに、鞭打って必死にさせる効果があった。)