2023年05月01日

◆ 工学部と経済成長/アフリカ問題

 大学における工学部というものは、日本で初めて作られた。工学部の拡充で、経済成長がもたらされた。これをアフリカの教訓にできる。

 ──

 大学では職業教育となるような専門的な学問を学ぶのが普通だが、歴史的にはそれは主流ではなかった。学問というのは、職業には無関係の抽象的な知識を学ぶのが主流だった。哲学や歴史学などだ。
 職業に関係する学問を学ぶ場は、大学ではなく、工科大学のような専門大学であるのが常識だった。
 ところが日本では、世界に先んじて、大学に工学部が設置された。
 古くから大学を設置していたヨーロッパなどでは例外なく総合大学とは別の教育機関で工学教育が行われており、総合大学の中に工学部を置いたのは日本が初めてであった。

 エリートの養成機関である総合大学の中に、日本が工学部を独立した学部として世界で最初に設置し、総合大学に統合したということは画期的なことである。( → 村上陽一郎)
( → 工学部 - Wikipedia

  これら2つの機関は、1886年に統合され、「帝国大学」となったが、これにより、帝国大学は、「工学部」を有する世界で初めての「大学」となった。(当時のヨーロッパでは、ほぼ例外なく、工学教育は、大学とは別個の専門教育機関において行われていた。)
( → 「科学」と「技術」、「科学技術」について

 さらに、1956年移行には、「理工系の学生の大幅増加」をもたらす政策が打ち出された。
 この時期の量的拡大では,大学の学部レベルの拡充が圧倒的な比重を占め,短大とともに高専は,量的にはマイナーな存在に追いやられる。こうして 1955 〜 75 年に理工系学生は約 5倍増加し,拡充は主に大学学部レベルでなされ,またそれは私立の積極的な新増設意欲に依存して達成された。
 1956 年 11 月,日経連は「新時代の要請に対応する技術教育に関する意見」と題された意見書を公表した(日本経営者団体連盟 1956)。それは当時のわが国の技術教育の現状への強い危機感を表明したものであった。
 この意見書は,「技術教育の振興こそ一日も遅延を許さない刻下の急務」と強い調子で訴える。そして,技術者・技能者の養成計画立案とともに,……四年制大学での理工系と法文系の比率が「著しく均衡を失し」た状態の是正のため,「計画的に法文系を圧縮して理工系(専門大学を含む) への転換を図る」こと,……小・中学校での理科教育・職業教育の徹底が提言されていた。
 
 まず 8000 人計画であるが,これは戦後最初の大規模な高等教育拡張計画であり,その立案にはいくつかの背景があった。まず第 1 に,直接的な背景として,先の日経連の意見書にみられるような理工系拡充を求める輿論の高まりがあり,さらにその主張が政策課題として取り上げられるようになっていたことである。日経連の意見書がでた翌年 (57 年) 4 月には,国会で理工系拡充を内容に含む「教員養成機関の改善と充実並びに理数科教育及び自然科学研究の振興に関する決議案」が採択され (衆議院 1957),さらにその数日後には文部大臣が中央教育審議会に「科学技術教育の振興方策について」諮問する(同年 11 月答申)。

8000nin-k.gif


( → 高度成長期と技術者養成教育

 こうして工学部重視の政策が取られたあとでは、日本は欧米に先んじて、科学立国ないし工業化の道を邁進することができた。それが高度成長期だ。敗戦後のガレキのような貧国であった日本は、工業技術による立国で、高度成長をなし遂げた。特に、ソニーに代表されるような電子産業や、松下・東芝・日立などによる家電産業は、日本の根幹をなした。また、トヨタ・日産などの自動車産業も大きく貢献した。
 こうして日本はついには「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと呼ばれるほどになった。

 ──

 しかしバブル崩壊とともにその栄光は終わった。21世紀になると日本経済は低迷の一途となった。その間に、急激に発展していったのは、韓国と中国だった。
 その両者に共通するのは、何か? 科学技術を重視したことだった。科学技術の予算を拡充し、国全体の科学技術力を向上させていった。

 その間に、日本は何をしたか? 
 まずは、「ゆとり教育」によって、科学技術よりも、遊ぶことを重視した。
 さらに、「教師の労働環境を引き下げること」によって、教師のなり手の希望者を減らして、教師の人材レベルを引き下げた。
 また、国立大学の授業料を大幅に引き上げて、低所得者層の秀才が国立大学に入学できないようにした。
 教授たちには、国全体の研究費の総額を減らした。それに輪をかけて、「選択と集中」によって、一部の研究だけに金が集まるようにした。結果的に、たいていの研究は「研究費不足」となって打ち切られた。RNAワクチンの研究もまた、こうして打ち切られた。
 このようにして、科学技術の予算をあちこちで大幅に引き下げたので、結果的には当然ながら、日本の学術水準は大幅に低下していった。前に掲載したグラフを再掲しよう。


sci-rank.png
→ 中国への頭脳流出: Open ブログ


 こうして日本はどんどん衰退していくこととなった。一方、逆に科学研究費の予算を重視した中国は、大幅に発展していった。
      ※ その間、日本政府が熱中していたことは、科学技術予算の拡大ではなく、学術会議を政府の支配下に置くために、学術会議を迫害することだった。


 以上のことを見れば、アフリカの諸国が何をするべきかも、わかるだろう。国を挙げて科学技術の発展の方針を貫くことだ。特に、高等教育の拡充だ。
 
 もちろん今すぐに、そこまでやることは望めまい。アフリカは最貧国であり、今はまだ義務教育さえろくに整備されていない状況だ。高等教育の充実は容易ではあるまい。
 とはいえ、先に高等教育(特に工学部の充実)を見据えた上で、今の時点でなし得る限りのこと(教育の整備)をすることこそ、アフリカに望まれることだと言えよう。単に「スーダンに平和を」とか、「ケニアの飢餓には食料を」とか、そういう目先のことを唱えるだけでは足りないのだ。
 アフリカでは第二次大戦後、80年間ほども、「平和を」「食料を」と唱え続けてきた。このまま何百年間も、そういうふうに「何かを恵んで上げよう」という方策を続けても、キリがない。大切なのは、アフリカが自立できるように手助けをすることだ。
 アフリカに与えるべきものは、魚ではなく、魚を釣る竿なのである。

 ※ ただし、釣り竿を贈って事足れりとするわけではない。ここで言う竿というのは、あくまでも比喩だ。比喩を外せば、どうなる? 竿とは、知恵のことだ。そして、知恵を与えるというのは、教育制度を整えるということだ。
 ※ 教育制度は、いきなり全国民に高度な教育をすることはできないので、最初はエリートを選抜して、エリート教育をすることから始めるといい。最初は点でも、そこから順次、広く深く拡大していけばいいだろう。
 ※ 思えば日本でも、初期には欧米への留学生があった。戦後にはフルブライト奨学生 というのもあった。日本がその恩を返すとしたら、金を渡す相手は、米国ではなく、アフリカだろう。

posted by 管理人 at 21:28 | Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
60−70年代の理工系拡充は科学の急発展時期と重なったのですごく効果的でした。コンピューター、レーザー、遺伝子工学、などの発展に合わせるようにそれらを専攻する学科や講座がつぎつぎと産まれました。そのため旧来の講座や教授をつぶすことなしに発展できました。
 今はその逆です。少子化で教員数が減少する一方で、古い学問にこだわるゾンビ講座が生き残っています。教授の古びた研究を今まで支えてきた古手准教授をさておいて、外から若い新分野の教授を迎えるのは難しいことですが、それをしないと日本の大学研究全体がしぼんでいきます。
 選択と集中は必要ですが、選択をしている教授達が古いのでダメなのです。
Posted by よく見ています at 2023年05月02日 10:15
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ