2023年02月04日

◆ 結婚制度は不要か?

 「結婚制度は不要だ」という説がある。「男女が愛しあっていればいいので、国家による承認は不要だ」という立場。

 ──

 また、子供を優遇する「児童手当」などの補助があればいいのであって、夫婦に対する優遇は必要ない、とも見なすそうだ。下記にある見解。
  → はてな匿名ダイアリー.
 これに賛同する人も多い。
  → はてなブックマーク

 いかにもリベラル的な見解であるので、共感する人も多いようだ。私も十代のころには、こういう発想を持ったものだ。しかしこれは結婚をまともに考えたことのない非モテの発想だろう。女性と交際して、まともに結婚を考え得たことのある人なら、上記のような「青臭い十代の発想」からは脱しているはずだ。

 ──

 「愛があれば結婚という制度はいらない」
 というのは、ある程度は正しい。しかし結婚という制度は、「愛があるときに機能する」ためにあるのではなく、「愛がなくなったあとにも機能する」ためにある。話は逆なのである。

 特に大事なのは「男の愛がなくなったときに女性の権利を保護する」ということだ。具体的に言えば、男が女に子供を産ませたあとで、「愛がなくなったので、ハイ、さよなら」というふうに責任回避するのを認めるか、ということだ。
 結婚という制度があれば、責任回避は法的に認められない。「父・母・子」という三者による家族があって、父は子に対する責任を免除されない。(子が成人するまで)
 結婚という制度がなければ、責任回避はやり放題だ。というか、そもそも法的な責任が発生しない。子供を産むのも育てるのも母親だけが負って、シングルマザーとして子を育てるだけだ。もちろん、男が女に協力して、二人で仲良く育ててもいいが、それは男が自発的意思で協力する範囲内のことだ。男が「やだよ」と言ったら、何もやらずに、責任回避のし放題なのだ。何だったら、トンズラすることすらできる。残された女はシングルマザーとして貧困状態で暮らすことになる。
 結婚という制度を否定するということは、そういうことだ。(無責任男にとってあまりにも好都合な立場だ。)

 ──

 「結婚とは男女の愛を国家が承認することだ」
 「国家に承認されなくとも、二人に愛があればいい」
 という発想は、非モテの童貞にはありがちだ。だが、そんなアニメみたいな夢想ばかりをするのは、十代のうちに卒業するべきだ。むしろ、「世の中には無責任なヤリチン男が多い」「男に逃げられて腹ぼてのまま捨てられる女が多い」という現実を直視するべきだ。

 では、結婚とは何なのか? 正しくはどうなのか? ……実感的には、こうだ。
 「結婚とは男が女に対して、人生上の無限責任を負うことだ」

 これをひとことで言う言葉が、例の決まり文句だ。
 「お義父さん。お嬢さんをください」
 「きみは娘に責任を持てるのか?」
 「はい。お嬢さんを必ず幸せにします」

 こう言って約束したとき、事実上、無限責任を負う。それがつまり、結婚ということだ。男が結婚するというのは、そういう責任感をもつということだ。

 ここでは、国家が二人を認めるかどうかは、関係ない。国家による優遇策が何もない古代でさえ、「夫婦 めおと になる」というちぎりはあった。二人の間の約束事として。
 たとえばキリスト教において、結婚式の「誓いの言葉」は、こうだ。
 富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。
( → 知恵袋


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 結婚の本質は、国家による承認や優遇ではない。同性婚の法的承認という話だと、国家による承認や優遇が問題となるが、それはあくまで法律や行政の話であって、結婚そのものとは違う。
 同性愛者の同性婚にしても、愛しあう同性愛者がいっしょに暮らすことを、国家が禁止したり罰したりすることはない。その意味では、国家は(同性愛者の)事実婚や同棲に干渉することはない。
 今回、問題になっているのは、異性婚と同等の優遇策を与えるかどうか、ということだ。それについては「優遇策は必要ない」と結論することで片付く。
 ただし同時に、「優遇策はなくとも、家族としての権利は認めてほしい」ということは大切だ。これは優遇という経済的な実利とは別で、ただの人権であるからだ。(国際的にも保護される人権だ。前項を参照。)

 問題は、次の二点の混同から起こる。
  ・ 経済的な優遇策と実益のない人権とを混同する。
  ・ 同性婚と同性家族制度を混同する。

 この混同から、話が混乱して、無益な争いが起こる。そのせいで、いつまでも法制化が進まないまま、事態は停滞する。
 物事の整理がつかないと、こういう混乱が起こるのだ。



 [ 付記1 ]
 「男が女に無限責任をもつ」というのが、一方的に思えるかもしれない。ただし、ここで言う責任というのは、実質的には、「子に対する責任」のことである。子を育てる第1責任は母親(シングルマザーであることもある)にあるので、その母親の責任を分担することで、間接的に父親は子を育てる責任を負う。ここで救われるのは、子であって、母親ではない。「子を育てる母親」を助けるのが主眼であって、母親の生活そのものを援助することが主眼なのではない。
 だから、「結婚は男女の愛のためにある」という認識そのものが間違いなのであって、「結婚は子育てを通じて、社会の維持のためにある」というのが正しい。(だから社会は結婚を優遇する。)……このことは、前にも述べたとおり。
 少子化を阻止するために、「繁殖活動」を推奨する必要がある。つまり、「性行為」を推奨するということだ。特に、(不特定多数でなく)夫婦間の性行為を推奨するということだ。……それがつまり、「結婚」という制度の意義である。
( → 同性婚を否定せよ (逆説的に): Open ブログ

 なお、「子を育てる第1責任は母親にある」という見解には、「男の責任を軽視している。けしからん!」という批判もありそうだ。だが、これは妥当ではない。この件は、前に述べたとおり。
 今は「男の育休」とか「イクメン」とか、男が育児をするべきだという風潮が強い。しかし(例外は認めるが基本的には)育児は女に任せるべきだ。
 なぜか? 男はオッパイがないからだ。
 いくら男が育児をするとしても、男にはオッパイがない。赤ん坊が「オッパイちょうだい」と泣きわめいても、男はオッパイを与えることができない。
( → 男は育児をするな: Open ブログ


 [ 付記2 ]
 法律上だけの親子関係なら、「養子」という制度がすでにある。
 それと同様に、法律だけの家族関係(法律だけの兄弟関係)として、「養弟」という制度を用意してもいい。それを、同性愛者でも異性愛者でも利用できるようにすればいい。……これで問題は解決する、とも言える。
 ただし、濫用を防ぐために、結婚制度との二者択一にするべきだろう。どちらか一方しか利用できないようにするといい。(これが実質的な「同性家族制度」となる。ただし単純に「同性家族制度」を作る方が簡単だ。)



 【 関連項目 】

 → 同性婚と近親婚: Open ブログ (前項)
 
posted by 管理人 at 23:42 | Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  [ 付記1 ] [ 付記2 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2023年02月05日 11:08
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