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外交文書が公開
話のきっかけは、本日のニュースだ。外務省の外交文書が公開された。
外務省は2022年12月21日、湾岸戦争やソ連崩壊などが起きた1991年の出来事に関する外交文書を公開しました。
連邦国家ソビエト崩壊の引き金となった1991年8月のクーデター未遂のさなか、安否不明のゴルバチョフ大統領の生存を東京に伝える秘密の公電があった。外務省が30年経った記録を対象に毎年この時期に行う外交文書公開が21日にあり、その中に含まれていた。作成者はモスクワ勤務の日本人外交官で、いま作家の佐藤優氏(62)だ。
( → ソ連クーデター「ゴルバチョフは生きている」 佐藤優氏の秘密公電:朝日新聞 )
共産党中央委員会のイリイン第二書記から情報を得たそうだ。それができたわけは、後日、明らかにされる。
約1カ月後に会い、なぜ(米国を中心とする)西側外交官の私に教えたのかと聞くと、こう言われた。「君が日本政府に報告するのはわかっていた。でも人間には、危機的状況になると本当のことを伝えたい欲望が出てくる。そして人間には、仕事を方便でする人と本気でする人の2通りいる。前者は共産党にも多い。私は後者に伝えたかった。見渡すと君だった」
たまたまうまく情報を入手できたのではなく、あえて西側に情報を伝えようとする、ソ連高官の意思があったわけだ。その人は共産党の中央にいる重鎮でありながら、危機的状況の真相を伝えようとした。
ではなぜ、そんなことをしたのか? そのことは、本人は語っていないし、他の人も推測していない。そこで私が推測すると、こうだ。
「イリイン第二書記は、ゴルバチョフの方針には批判的だったが、クーデーにも批判的だった。クーデターが成功することで危機的な状況が続くことを望まなかった。ゴルバチョフが生きていると西側に伝えることで、ゴルバチョフの復帰とソ連の安定を望んだ」
こうして、情報が伝わったことの理由は説明される。外交文書が公開されたときの真相は明らかになったと言えるだろう。

ソ連崩壊の理由
だが、それとは別の謎が残る。「ソ連が崩壊したのはどうしてか?」ということだ。
これについては、「レーガンがソ連を圧迫したから、ソ連は耐えきれなくなって、あっさり自壊したのだ」というような説もある。だが、そんなネトウヨ丸出しの我田引水・自己賛美の言説は、信じるには足りない。もっとまともな認識をするべきだ。
ネットでググると、Wikipedia に簡単な解説がある。
1991年8月、ソ連共産党内の保守派と軍部のエリートがゴルバチョフを打倒し、失敗していた改革をクーデターで止めようとしたが失敗した。この混乱でゴルバチョフ政権はほとんど影響力を失い、その後数カ月で多くの共和国が独立を宣言した。1991年9月、バルト三国の分離独立が認められる。12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ議長によって、互いの独立を認め、ソ連に代わる独立国家共同体(CIS)を創設する「ベロヴェーシ合意」が調印された。
( → ソビエト連邦の崩壊 - Wikipedia )
「この混乱でゴルバチョフ政権はほとんど影響力を失い」とあるが、これはどういうことなのか? ここのところが、はっきりとしない。それまでずっと最高権力者としての権力を握っていたのに、どうしてそんなに急激に権力を失うのか? 単に「人心が離れて、部下が離反した」ということなのか? それはおかしい。クーデターから復帰したときに、他の人々から好意的に迎えられてもよさそうだ。そう簡単に権力を失うとは思えない。どうにも不思議だ。
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では、真相はどうなのか? ネットで日本語文献を探しても、うまく情報は見つからない。そこで、英語文献を求めて、まずは英語版 Wikipedia を調べてみた。その翻訳は Google の機械翻訳に頼る。
→ ソビエト連邦の解体 - ウィキペディア
ここには、こうある。
1991 年 8 月 19 日、……クリミアのフォロスで休暇中のゴルバチョフを自宅軟禁し、彼の通信を遮断した。クーデターの指導者たちは、政治活動を一時停止し、ほとんどの新聞を禁止する緊急命令を発しました。
何千人ものモスクワ市民が、当時のロシア主権の象徴的な席であったホワイト ハウス(ロシア連邦議会とエリツィンのオフィス)を守るために出動しました。クーデターの主催者は、戦車の上から演説することでクーデターに反対を表明したエリツィンを逮捕しようとしたが、最終的に失敗した。クーデターの指導者によって派遣された特殊部隊は、ホワイト ハウスの近くに配置されましたが、メンバーはバリケードで囲まれた建物への襲撃を拒否しました。
3 日後の 1991 年 8 月 21 日、クーデターは崩壊しました。主催者は拘留され、ゴルバチョフは大統領に復帰したが、彼の権力はかなり枯渇した。
1991 年 8 月 24 日、ゴルバチョフは CPSU の書記長を辞任し、政府内のすべての党組織を解散させた。同じ日に、ウクライナ SSR の最高ソビエト連邦は、ウクライナの独立宣言を可決し、ソビエト連邦からのウクライナの独立に関する国民投票を求めた。5 日後、ソビエト連邦の最高ソビエト連邦は、ソビエト領内でのすべての CPSU(ソ連共産党)の活動を無期限に停止し、ソビエト連邦における共産主義支配を効果的に終結させ、国内に唯一残っていた統一勢力を解散させた。ゴルバチョフはソビエト連邦の国務院を設立した9 月 5 日に、彼と残りの共和国の高官を共同指導者にすることを目的としていた。国務院は、ソ連の首相を任命する権限も与えられた。イワン・シラーエフ は事実上、ソビエト経済運営管理委員会と共和党間経済委員会を通じてその地位に就き、政府を樹立しようとしましたが、権力は急速に縮小しました。
ソビエト連邦は 1991 年の最後の四半期に劇的な速さで崩壊しました。8 月から 12 月の間に、10 の共和国が主に別のクーデターを恐れて連邦から離脱しました。9月末までに、ゴルバチョフはモスクワ以外のイベントに影響を与えることができなくなりました。彼はそこでさえ、クレムリンを含むソビエト政府の残りの部分を乗っ取り始めたエリツィンから挑戦を受けました。
11 月 6 日、当時ソビエト政府の大部分を乗っ取っていたエリツィンは、ロシア領内での共産党のすべての活動を禁止する命令を出しました。
事実を追うだけでは、はっきりとしないのだが、「権力を失った原因」という観点から、話を整理すると、次の事実があったとわかる。
・ ゴルバチョフ自身が共産党を解体した。
・ ウクライナが独立した。
・ ロシアも独立した。
・ 各国が独立したので、連邦としてのソ連は崩壊した。
これらの意味は、次のように解釈できる。
(1) 共産党を解体
まず、ゴルバチョフ自身が共産党を解体した。これは敵対者の権力をそぐことが目的だったが、同時に、共産党書記長としての自己の権力基盤を自ら解体することを意味した。一種の自殺行為だとも言える。
かわりに国務院を設立して、統率しようとしたが、そんな新たなものを作っても無効だった。(ロシア人は守旧的なので、長年の共産党に忠誠を誓う。その共産党を解体したゴルバチョフは、人々の信頼を得ることができなかった。)
(2) ウクライナが独立
東独やリトアニアが独立したのは、まだしも受け入れることが可能だった。しかしウクライナが独立したというのは、ソ連そのものの解体を意味してしまう。これがソ連崩壊にとって決定的な打撃を与えたと言えるだろう。ウクライナが独立してしまえば、残るのはロシアだけとなるが、そのロシアはエリツィンが権限を握っているので、ウクライナなしのソ連はもぬけの殻のようになってしまうからだ。
(3) ロシアも独立
ウクライナは、クーデター失敗の混乱に乗じて、自らの独立を勝ちえた。それを見て、ロシアのエリツィンもロシア独立を目指して、実行した。このとき、ソ連政府内部の機構を次々と乗っ取っていった。
9月末までに、ゴルバチョフはモスクワ以外のイベントに影響を与えることができなくなりました。彼はそこでさえ、クレムリンを含むソビエト政府の残りの部分を乗っ取り始めたエリツィンから挑戦を受けました。
11 月 6 日、当時ソビエト政府の大部分を乗っ取っていたエリツィンは、ロシア領内での共産党のすべての活動を禁止する命令を出しました。
ゴルバチョフが影響力を失っていった、ということの真相は、単に人心が離れたということだけでなく、エリツィンがソビエト政府を乗っ取っていったからなのだ。仮にエリツィンがそうしないで、ゴルバチョフに協力していたら、ゴルバチョフは権力を掌握できていた可能性が十分にある。
しかしエリツィンはそうしなかった。彼は権力闘争によってゴルバチョフの権力を奪い、ロシア大統領としてソ連を乗っ取ってしまうことを選んだ。
つまり、ソ連はひとりでに崩壊したのではない。ソ連はロシアに乗っ取られてしまったのだ。それというのもエリツィンが意図的に乗っ取ろうとしたからなのだ。
かくて、ソ連というものは、ウクライナに一部を乗っ取られ、残りの大部分をロシア(エリツィン)に乗っ取られた。そうしてすべてを乗っ取られることによって、ソ連というものは消滅した。
結局、レーガン支持者が自画自賛したように、「米国の圧力でソ連はひとりでに崩壊した」のではない。ウクライナとロシアが内部から乗っ取ったので、ソ連というものは乗っ取られて消えてしまったのだ。……これは、会社が乗っ取られるようなものでもあるし、人間が内部に育ったエイリアンに乗っ取られるようなものでもある。
※ 崩壊したのではなく乗っ取られたのだ、という点がポイントだ。この意味で、「ソ連崩壊の真相」は、明かされたことになる。
※ 当初のクーデターは失敗した。一方、そのあとでウクライナとロシア(エリツィン)による「クーデターまがい」のことは、見事に成功したことになる。乗っ取りという形で。
(4) その結果
かくて、ゴルバチョフは失脚し、ソ連は乗っ取られた。では、その結果は、どうなったか? いかにも皮肉な結果になった。
ウクライナはどうなったかというと、当初はまだマシだった。もともとウクライナはロシアよりも豊かだったからだ。ところが、ロシアと協力していた時代には、工業生産物をロシアに輸出して裕福になれたが、ロシアと協力しなくなると、その製品は西側市場ではまったく競争力を持たないので、売る先がなくなった。今さらロシアに売ろうとしても、ロシアが買ってくれない。かくてウクライナはどんどん貧しくなっていった。以前はソ連で最も豊かだった国が、どんどん貧困化していった。
そしてついに、2022年には、ロシアからの侵略を受けて、国土のほとんどが荒廃し、多数の国民が戦死することとなった。素晴らしい未来を夢見て独立したあげく、地獄のような状況を迎えることとなった。あまりにも皮肉な結果になった。
ロシアはどうなったか? まずはエリツィンがロシアを統率したが、その結果はとんでもない大失敗だった。エリツィンがロシア経済を崩壊させたということは、あちこちで記述されている。たとえば、次の記述だ。
ソ連国が消滅して、何が変わったのだろう。
目に見える変化が起きたのは、翌92年に入ってからだ。
ひどいインフレがやってきた。92年のインフレ率は2600%だったと言われる。つまり、1年で物価が26倍になったということだ。そして、銀行に預金していたお金の価値は、1年で26分の1になってしまった。ほとんどのロシア人が一文無し同然になった。
( → ソ連崩壊から30年:その時、現地では何が起こっていたのか | nippon.com )
たとえば、あなたは多額の貯金をもっているかもしれない。ところがあるとき、インフレ率が 2600%となり、貯金のすべてが紙屑になってしまう。また、市場には物がたくさん並んでいるが、その物を買うための金がないので、国民は何も買えない。ロシア経済は単純に破壊されてしまった。あまりにも皮肉な結果になった。
そして、エリツィンが退場したあとで、プーチンが登場した。その直後は、経済が好転したように見えた。だが、2022年になると、プーチンがウクライナを侵略したせいで、国際的な報復を受けた。ロシアの経済はどんどん悪化した。また、軍事力はほとんど壊滅的なまでの被害を受けた。ソ連崩壊のかわりに、ロシア崩壊と言えるような状況となった。
(5) 近衛隊の不存在
以上のすべての起点は、ゴルバチョフ失脚にある。彼が失脚しなければ、現在のような世界の大混乱は生じなかったはずだ。この件は、前にも論じた。
→ ゴルバチョフとバタフライ効果: Open ブログ
では、ゴルバチョフ失脚を避けるためには、どうすればよかったか? 歴史を遡って、何ができたかを考えよう。(歴史の if だ。)
私が思うのは、こうだ。
「ゴルバチョフを守る近衛隊を整備しておくべきだった。近衛隊があれば、クーデターで軟禁を食らうこともなかったはずだ。また、クーデターが失敗したあとで、言うことを聞かない部下を軍備で処罰することもできたので、部下に対する支配力を維持することもできたはずだ」
ではなぜ、ゴルバチョフは、そうしなかったのか? 彼は民主的な人物だったからだ。
一方、それと逆なのが、プーチンだ。彼は民主的どころか独裁的にふるまった。だから常に近衛隊に防御されている。また、異を唱える部下は、軍事的に処罰することもある。(牢屋にぶち込むこともあるし、島流しにすることもあるし、銃殺することもある。KGB によって毒殺されたライバルの例はとても多い。ウクライナ大統領に対する毒殺未遂事件は有名だ。)
結局、ゴルバチョフは民主的な人物であるがゆえに、裏切られやすく、失脚しやすい。プーチンや習近平は、独裁的な人物であるがゆえに、(裏切ることはあっても)裏切られにくく、失脚しにくい。……まるで「悪貨は良貨を駆逐する」というような話だが、歴史の皮肉でもある。
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ウクライナやロシアは、「独立して万歳」と喜んだあとで、地獄のような状況に陥った。ひどい皮肉ではあるが、日本も人を笑えたものではない。「安倍晋三、菅義偉と、歴代最悪の首相の時代が終わった! リベラルな首相になった。万歳!」と思ったら、防衛費倍増、高額増税」という、安倍晋三も真っ青な超右翼路線を取るようになった。だまされた日本国民は、ウクライナやロシアの国民と同じで、地獄に落ちたようなものだ。
※ 岸田内閣の方針は、防衛費倍増である。朝日新聞は「倍増」でなく「5割増」と報じているが、それは「5年間の総額で5割増」という意味であり、1年目や2年目の少額の部分が含まれる。正しくは、毎年少しずつ増えて、5年後には(単年度で)倍額となる。この点は、読売新聞が正しい。
→ 安保支出、世界3位へ… GDP2%確保で27年度11兆円

【 関連項目 】
→ ゴルバチョフとバタフライ効果: Open ブログ
【 追記 】
新たな情報がある。公開された外交文書の詳細が新聞で特集されているが、そこに次の文言がある。
ゴルバチョフは「ソ連崩壊は共和国間の戦争をもたらし全世界の惨事となりうる。連邦条約早期締結こそそれを回避しうる」と3日にソ連議会に呼びかけていた。
( → 1991、激動の世界 外交文書公開:朝日新聞 )
「ソ連崩壊は共和国間の戦争をもたらし全世界の惨事となりうる」と語っていた。それは 31年後の 2022年にまさしく現実化した。ウクライナ戦争が勃発して、全世界の惨事となった。そしてその半年後に、ゴルバチョフは他界した。まるで自らの予言の実現を見つめるようにして。