※ 最後の 【 追記 】 で、一部 訂正しています。
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刑務所は何のためにあるか? 本来は犯罪者を減らすためにある。ところが逆に、刑務所が「犯罪者を増加させる」という役割を果たしている。本来の目的とは逆に。ほとんど矛盾したことだが。
「そんな馬鹿な!」
と思う人が多いだろうが、このことは数字で実証されている。出所者の再犯率だ。
出所から2年未満で再犯に至った満期釈放者は62.2%
満期釈放者の10年以内再入率は55.4%
その約9割は5年以内に再入所している。
( → 満期釈放者の再犯状況 | 法務省 )
2年未満で再犯したのが 62.2% もある。再犯しても刑務所に入所するとは限らないが、悪質度が高いと入所する。その再入率が 10年で 55.4% で、5年でも約 50% だ。
要するに、今の刑務所は、犯罪者を更生させる役割をほとんど果たしていない。換言すれば、「犯罪者を更生させる」「犯罪者を減らす」という役割をほとんど放棄している。自らの本分をまったく果たしていない。
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これはどういうことか? いきなり核心を言えば、こうだ。
「今の刑務所は、犯罪者を懲罰することを第一目的としているので、犯罪者を更生させることなどは、ほとんど二の次になっている。片手間で、副次的にちょっとやっているだけだ。肝心の更生教育は、ほとんど何もやっていないようなものだ」
具体的に言おう。刑務所が更生のためにやっているのは、家具を作るような職業訓練だけだ。そこでは手先の肉体的な教育はあるが、肝心の精神的な教育はない。だから、刑務所で手先は器用にはなるが、心は暗黒のままである。だから本質的には更生しないのだ。
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では、心を更生させるには、どうすればいいか? 何よりも大切なのは、きちんとした人間関係を結べるようにすることだ。たいていの犯罪は、きちんとした人間関係を結べないことから起こるからだ。
では、きちんとした人間関係を結べるようにするには、どうすればいいか? 対人関係の訓練をすることが大事だ。その最低限のことは、挨拶をすることだ。挨拶に始まり、思いやりなどを教えて、人と人との関係性を学ぶ。
ところが、今の刑務所は、それとは正反対のことをしている。「受刑者間の私語は禁止」である。こんなことでは、対人関係の訓練などは、まったくできない。人づきあいのできない、孤立したコミュ障人間を量産するばかりだ。これでは次の犯罪の予備軍であるのも同然だろう。
結局、今の刑務所は、犯罪者の予備軍を養成しているのである。つまり、犯罪者を更生させるのとは正反対のことをやっているわけだ。
ここには根源的な錯誤がある。しかも、その錯誤に、刑務所の関係者は気づいていない。「自分たちは正しいことをしているのだ」と信じて、受刑者を厳しく扱う。まるで奴隷のように。いや、奴隷よりももっとひどい扱いで。(奴隷には私語をする自由はあるが、受刑者にはない。)
まったくもって、困ったありさまだ。では、どうする?
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そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。こうだ。
・ 刑期の初期には、自由剥奪で、私語も禁止していい。
・ 刑期の途中からは、私語を認め、人間関係の改善を促す。
・ 懲役としては、介護作業をやらせる。
ここでは、最後の「介護作業」というのがある。これが決定的に重要だ。
現在は、懲役というと、手仕事のような軽作業をやらせるのが普通だ。だが、このような軽作業は苦痛を与えるだけで、人格の破壊をもたらすことはあっても、人格の改善をもたらすことはない。
そのことは、チャップリンの「モダン・タイムス」を見てもわかるだろう。
では、手仕事のような軽作業のかわりに、何をやらせればいいか? 次の二点が重要だ。
・ 物でなく人を相手とした、人間関係のある仕事
・ その仕事が他者にとって有益であり、貢献度のある仕事
簡単に言えば、「困った人を助けることによって感謝されるような仕事」である。
その意味では、最も望ましいのは、医者や看護師のような仕事だ。これらはケガ人や病人の生命や健康に寄与することで、とても感謝される。とはいえ、医者や看護師のような仕事をするには、専門的な技能が必要となるので、受刑者には無理だ。
受刑者にも、同様に貢献度の高い仕事はないか? ある。それは、「要介護者のための介護」という仕事だ。介護施設には、そういう要介護者がたくさんいる。これらの人々を介護するという仕事ならば、受刑者にもできる。
しかも、ここでは、受刑者との会話があるので、人間との関係性を学べる。
また、困った人を助けることで他者に役立つことの貢献という体験も学べる。
なお、介護という仕事には、たった一つ、難点がある。それは「あまりにも薄給だ」ということだ。しかしながら、受刑者に関しては、その問題はない。なぜなら受刑者にはもともと給料は支払われないからだ。(わずかな対価が支払われて、出所時には受け取るが、その額はスズメの涙ほどの少なさだ。)
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受刑者にとって何よりも大切なのは、「自分の仕事を通じて、人に感謝してもらえる」という体験だ。そのことによって、自分という人間の存在意義を実感できるようになる。これまで見失っていた「生きるべき道」を見出せるようになる。……そういう体験こそ、国家が受刑者に与えるべきものだ。
ひるがえって、「私語の禁止」というような懲罰は、受刑者の心を索漠とさせるだけだ。それは犯罪者を減らすどころか、犯罪者を養成するようなものだ。
一般に、犯罪者は、生まれながらにして犯罪者となるわけではない。たいていは、あまりにも悲惨な不幸な境遇に置かれたせいで、心が索漠としてしまって、悪の道に染まってしまうのだ。
そして、そういう犯罪者を生み出すような索漠たる環境を、あえて人に与えようとするのが、刑務所という場だ。そこは、受刑者を奴隷のように扱い、受刑者の心を荒廃させることで、あえて犯罪者を養成しているのである。
国家による犯罪者養成所。それが現在の刑務所だ。何という倒錯か。
[ 付記1 ]
介護施設による介護作業をさせると、脱走される危険もある。だから、脱走の危険の少ない人が、介護作業の対象となる。
・ 刑期を半分ぐらい終えた人
・ もともと短期の懲役だった人
が対象となる。
一方、無期懲役のような人は、対象とはならない。無期懲役ならば、もともと出所はないことが前提なので、更生の必要もない。
無期懲役のような人には、介護作業よりは、農作業の方が適しているだろう。
[ 付記2 ]
受刑者には、ときどき「ご褒美」を上げた方がいい。
・ 何か良いことをしたときに
・ 記念日などに
・ 脱走者をチクったときに
を例に、ときどきは「ご褒美」をあげるべきだ。
特に、食事では、たまには美食となるものを与えるべきだ。ステーキとか、寿司とか、高級ケーキとか、メロンとか。
こういう美味なものを与えることで、「シャバに戻ることのすばらしさ」をいっそう実感できる。憧れが生じて、更生しようという意欲が湧く。
逆に、粗食ばかりだと、人としての心が死んでしまう。心が麻痺してしまう。それだと、更生の意欲は湧かない。そんな人間が、そのまま出所すれば、再犯することになるのも当然だ。
【 追記 】
「私語はそんなに厳しく禁止されていなくて、かなり広範に許容されている」
という趣旨の指摘が寄せられた。(コメント欄)
私とは情報の典拠が異なるようだ。上の指摘が間違っているとも思えないので、時代や場所の違いによって、かなり広範に私語は認められているようだ。
もしかしたら、軽罪の受刑者のいる刑務所と、重罪の受刑者のいる刑務所出、違いがあるのかもしれないが。
いずれにせよ、「すべての刑務所で、厳しい私語禁止」と見なしたのは、話の前提がかなり不正確だったことになる。
私が提案するまでもなく、最近の刑務所では、かなり状況が改善されてきた、ということかもしれない。
本項の話の方向性そのものが間違っているわけではないのだが、現実の認識がいくらか狂っている点もあるようなので、その点では、正確さが不足していたようだ。
改めて仔細に調査し直すつもりはないのだが、上記の点について、いちおう注記しておきます。
※ 調査不足の点についてはお詫びします。
また、昼間の労役作業の時間帯でも、昼食後やその他の休憩時間には、他の房の受刑者とも話せます。昼休みには、ソフトボールや卓球・テニス程度の集団スポーツ競技を一緒にやることもできます。
それと、これは平日(月〜金)の話で、免業日(休みの日のことです。今は刑務所は、完全週休2日制で祝日も休みで、ホワイト企業みたいな感じです)や年末年始などの休みには、(同じ房の受刑者どうしなら)朝から晩まで話したい放題です。
次に食事ですが、大晦日と正月3が日には、年越しそば、雑煮、おせち料理のパック、袋菓子、果物などが出て、それ以外の3度の食事もいつもより豪華になり、その量も多いので、みんな死ぬ気で食べて、その期間には数キログラム体重が増える人もいるそうです。(他に、クリスマスにもケーキが出るという話も、一部の刑務所に限って聞いたことがあります。)
http://natsumedia.sonnaanatani.com/osechi-keimusyo/
3度の食事以外の嗜好品ということでは、免業日には、いわゆる模範囚として等級が上の受刑者には、講堂・体育館に集まって映画などを鑑賞しながらお菓子・ジュースなどを飲み食いする機会(この時の私語は禁止です)が、月に数回は与えられます。(これを、「講習会」で「甘シャリを喫食する」といいます。)
https://prisonjapan.com/%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80%E3%81%AE%E5%85%8D%E6%A5%AD%E6%97%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%EF%BC%9F/
これらは、別に私自身の体験談ではなくて、刑務所内の話はけっこう一般に人気があって、小説・マンガや映画・ドラマの中にたくさん出てくるのですが、筆者はあまりご存じないですか?
※ 本文に書き足しておきます。情報ありがとうございました。
> 大晦日と正月3が日には、年越しそば、雑煮、おせち料理のパック、袋菓子、果物などが出て、それ以外の3度の食事もいつもより豪華になり、その量も多い
それは知っていますが、見本を見たら、とても貧弱なものであって、御馳走からは程遠い。給食程度です。したがって、一流レストランの御馳走には比ぶべくもない。
本項で提案しているのは、一流レストランの御馳走になるぐらいの美食です。普通の市民が食べても感激するような美食。
> お菓子・ジュースなど
これも同様。刑務所のお菓子というと、明治・森永・ブルボンという程度でしょう。私が提案するのは、高級な生クリームのケーキみたいなもの。普通の市民が食べても感激するような美食。
その労役や禁固の理由・狙いが、懲らしめだろうが、教育だろうが、矯正(刑務所は「矯正施設」の一種です)だろうが、それは何でもいいのですが、労役させたり閉じ込めたりすることと、そのために必要なこと以外は受刑者に押し付けてはいけないのでは? 押し付けたら法律違反になるのでは? ということです。
例えば、ある有名ブロガーがいて、その人がアベやその一派に対する名誉棄損罪で実刑をくらって収監されたとします。そうしたら、昼間は作業場でツマヨウジを削らされるなどしても(そういう法律なので)仕方ないですが、夜間や土日や祝日は、その人が希望すれば、ブログを書くことを邪魔したらいけないのではないか、パソコンの持ち込みやネットにつなぐことを制限したらいけないのではないか、と思うのです。
また、今の日本の刑務所では、筆者が本稿で指摘しているように徹底的に自由を奪っているので、お金持ちでも中でお金を使えません。本当は、お金がない人は仕方がないですが、自分のお金があるなら、ステーキ、寿司、メロン、もしくは高級ケーキでも何でも取り寄せて食べてもいいはずです。そういう、本来は法律で禁止されていないはずのことも、全部、勝手な理由を付けて禁止しているわけです。
それどころか、病気になってもロクに治療を受けさせない(とくに歯科)、希望する薬を与えない、なんてことも一部で起こっているのですね。
これって、懲役というより、期間を決めた「死刑」みたいなもんですよね。懲役〇〇年の、その〇〇年はまるっきり人間扱いされない。そうやって、国家から人間扱いをされない経験を一度でもした人は、その人にもよりますが、まともに更生なんかする気にならない、そうなってもおかしくない。だから、今の日本の刑務所というのは、更生(矯正)施設でも何でもなくて、むしろ犯罪者を増加させる働きをしている、ということじゃないでしょうか。
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/02/23/0009941400.shtml
これって、本稿の趣旨からいうと、ホリエモンは上級国民だから、特別扱いできちんと矯正してもらえたんだ、みたいなかたちになっちゃいますかね。笑
罪の自覚なんてあるわけねーから ただ時間が過ぎるの待つのみ 悔いたふりして悔恨の作文書いたけどね 皆さんおんなじさ 刑務所に更生施設の役目は出来ない 犯罪者は二度と捕まらないように心得て刑を全うするだけ
個人の感想ですからね 若かったからかもしれん 現在の状況は知りません 私の日々の生活に関しては今の方が労苦が多いですわ