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東日本大震災のときには、NHK が津波の空撮動画を撮影して報道した。津波が地上の家々を呑み込んでいく状況がリアルタイムで画面に現れた。息を呑んでその画面に見入ったものだが、実はこれはきわめて稀な報道であったようだ。当時の裏話を、朝日新聞が報道した。(9月11日)
前年の2010年にNHK福島放送局に入局した新人カメラマンだ。空港で待機する当番にあたっていた。 空撮取材は苦手だった。
――激しい揺れ。
「危ないっ」。整備士が鉾井を機内から引きずり出した。収まると、機長が告げた。「フライトですよ」
ヘリは県北の三陸沿岸部をめざしたが、雪雲に阻まれ、向きを南へ。午後4時前、名取川河口の上空にさしかかった時だ。
白い帯のような波が、かなりの速度で名取川をさかのぼってくる。
「これが津波か?」
黒い水の塊が川岸の集落を覆い、家や車を押し流し、畑をのみこんでいる。信じられぬ破壊の光景。頭の中がまっ白になった。
ヘリは名取川を南へ越えた。名取市閖上(ゆりあげ)地区が津波にのみ込まれるさまをカメラはとらえる。小学校の校庭でたくさんの車がぐるぐる回っている。5700人が暮らしていた街は、あらかた水没。閖上では約750人が犠牲になった。
仙台空港を飛び立てたテレビ局のヘリは、NHK機だけ。鉾井の津波映像は、世界中に衝撃を与えた。
( → 3・11、空から撮った「絶望」 「これが津波か?」黒い水の塊が家・畑のみこむ:朝日新聞 )
「仙台空港を飛び立てたテレビ局のヘリは、NHK機だけ」とある。これは大事なことだ。仙台空港は津波で浸水して、飛行機もヘリコプターも全滅状態だった。NHK のヘリだけが飛び立てたが、それはもともと発着準備中だったからだ。その偶然のおかげで、このヘリコプターだけが離陸できた。そして、空撮した。
だが、見事に撮影に成功したことの結果は、称賛だけではなかった。記事はこう続く。
津波の中継映像は、11年度の日本新聞協会賞に選ばれた。
鉾井は戸惑った。「現場は動いていて受賞どころじゃない」。他のカメラマンからは、「俺があのスクープ映像を撮りたかった」という声も聞こえた。人がたくさん亡くなる場面に再び遭遇したいとは、鉾井には思えなかった。
取材を続けてきた福島を異動で離れたくないと、震災の2年後、鉾井はNHKを退社した。福島県内に住み続け、いまは現代美術作家として創作に取り組む。
日本新聞協会賞に選ばれたが、それによって得たのは自信ではなかった。むしろ負い目のようなものだった。(出典) だから受賞したことで、出世したどころか、NHK を退職した。損得で言えば大損だ。
現在では、造形作家として働いているようだが、本人のサイトを見ても、芸術家としての才能があるとは思えないし、どうやら道を踏み間違えてしまったようだ。震災のせいで人生を狂わされたとも言える。そうでなければ、NHK で幸福な人生を送れたであろうに。
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とはいえ、人生のコースを大きく変えるほどの影響を、この人が及ぼされたというのも事実だろう。見ようとしたわけでもないのに、あまりにも衝撃的なものを見たせいで、自分の人生を狂わされてしまったのだ。
ただ、そういう状況であっても、当日はまさしく衝撃的な現実を撮影することに専念していた。目の前で人々が津波に呑み込まれて次々と命を失っていく状況を理解しながらも、心を鬼にして、ひたすら撮影を続けた。……そこには、報道者の使命感がある。
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これで思い出すのが、ゲーテの「ファウスト」にある、リュンコイスの詩だ。
→ リュンコイスの詩・前半
→ リュンコイスの詩・後半
ここから一部を抜粋しよう。
見るために生まれ、
見ることを定められ、
お前たち、幸運なわが目よ。
お前たちが見てきたものは、
それが何であれ、
すべてがじつに美しかった。
ところが、あるとき遠いかなたで、火の手が上がる。そこでは老夫婦が火事に焼かれて残酷に焼け死んでいく。その状況が逐一、手に取るように見て取れる。彼の素晴らしい視力は、残酷な不幸をあるがままに見せつける。
私の目はこのようなものを見なければならないのか?
私はこんなにも遠くが見える目を持たなければならなかったのか?
リュンコイスの視力。あまりにもよく見えるがゆえに、事実を正確に見て取る視力。それによって知ることができるのは、現実の残酷さだ。
これは報道者の使命だ、とも言える。
報道者は見る。見たくなくとも見る。自分は見たくなくとも、何が何でも目をこじ開ける。何のために? 自分が見るためではない。世界の人々が見るためだ。自分の目は、世界の目の代理なのだ。自分のために見るのではなく、世界のために見るのだ。そのためには、いくらつらくとも、いくら目をそむけたくとも、自分の目をこじ開ける必要があるのだ。それが報道人の使命なのだ。
だが、その辛さに堪えることは難しい。ひとたび使命を果たしたあとでは、いわば燃え尽きたようになって、その職場から離れざるを得なくなることもある。世界に大きなものを贈り、その代償として、自分は燃え尽きてしまう。
世界の人々は、その彼には感謝の祈りを捧げることしかできまい。
【 関連サイト 】
上の NHK 記者を取材した長文記事がある。朝日の記事のかわりに、こちらを読んでもいい。
→ 「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる
【 補説 】
§ 津波動画のアーカイブ について
大震災のころの津波の動画は、今も残っているだろうか? 調べてみよう。
当時の動画は、私があちこちを調べて、リンクを示しておいた。
→ 津波の動画(東北沖地震 1): Open ブログ
→ 津波の動画(東北沖地震 2): Open ブログ
上記項目を見ると、動画のほとんどがリンク切れである。かろうじていくつかは残っているが、それだけだ。
どうしてリンク切れになったか? 「恐ろしかった画像を残すと、被災者が心を痛めるから」……ということらしい。
だが、被災者がわざわざ見に行くわけじゃない。見なければいいだけだ。なのに削除するのは、歴史の抹消みたいなものだろう。残念なことだ。
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NHK はどうだろう? 調べると、アーカイブを公開している。
→ 3.11の映像|NHK災害アーカイブス
だが、津波の波を強調する画像が多いようで、自動車が流されるような悲惨な状況の動画はほとんどないようだ。リュンコイスが見たような感じの動画は、どこにもない。
※ 動画でなく、言葉による証言と静止画でなら、記録を残している。あえて動画なしということらしい。
→ 津波にのみこまれて〜NHK東日本大震災アーカイブス〜
では、動画は何もないか、というと、制約のない英語版では、動画がかなり残っている。
「tsunami japan 3.11」で動画検索すると、かなり見つかる。
→ Google 動画検索
《 加筆 》
「日本語で検索しても見つかる」と、コメント欄で指摘があった。