2022年10月22日

◆ プーチンと習近平の共通点

 プーチンと習近平には、「独裁者」という共通点がある。ではなぜ、彼らは独裁者となりえたか? そこが問題だ。
 
 ──

 プーチン


 プーチンはいかにして独裁者となりえたか? これについて興味を覚えたので、考えてみた。そこで思い浮かんだ仮説はこうだ。
 「プーチンは KGB の長官だった。その立場を利用して、政府首脳の弱点を探り出し、政府首脳を逮捕する権限を得た。それを取引に用いて、大統領のエリツィンから、次期大統領の座を譲ってもらった。その後は、同じ手口で、ライバルをすべてたたき落とした。かくて誰も口出しできない独裁者の立場を勝ち得た」

 これに似た手口を使ったのが、米国の FBI 長官だったフーバーだ。
 フーヴァーは人々の情報、特にFBIの記録とは別に非公式に政治家達の情報を収集してファイルに収録することでその影響力を蓄えていった。アメリカ大統領を筆頭にした政権の閣僚のスキャンダルも収録していたので、大統領さえも彼に手を出せなかった。
 ケネディ大統領は、海軍に勤務していた20歳当時、女性との性的な関係を実際に盗聴されてしまった。
 1960年代の始め、上院議員のエドワード・ロングは聴聞会を開き、FBIの盗聴を追及した。フーヴァーはこれに激怒し、彼に命じられた側近とFBI捜査官の2人が、ロングのスキャンダルをいくつか収録した「公式かつ機密」ファイルを本人に見せに行った。以後、ロングの追及は尻すぼみになった。
 1961年に大統領に就任したジョン・F・ケネディもフーヴァーを免職しようとした。フーヴァーはすぐにケネディのもとに行き、もし免職したら自分が持っている情報(ケネディの女性問題や、自らも親しいジアンカーナなどのマフィアとの関係)を公開すると言い放ったという。
( → ジョン・エドガー・フーヴァー - Wikipedia

 これを真似したのが KGB 長官だったプーチンだろう。さらに、彼はフーバーよりももっと狡猾だったはずだ。単に「秘密を公開して失脚させる」というだけでなく、「罪を理由に逮捕して収監する」とまで言い放ったはずだ。
 こうしてプーチンはエリツィンの弱みを握った。だから、エリツィンはプーチンの言いなりになるしかなかった。かくてエリツィンは次期大統領の座をプーチンに譲ることにした。プーチンを首相に任命し、さらには後継者に指名した。
 (エリツィンは)エリツィン大統領の汚職を追及していたユーリ・スクラトフ(ロシア語版)検事総長を女性スキャンダルで解任に追い込んだロシア連邦保安庁(FSB)の長官でプリマコフと同じKGB出身のウラジーミル・プーチンを首相に任命し、……

 (エリツィンは)1999年12月31日正午のテレビ演説で辞意を表明し、……新世紀である21世紀が始まる2000年を迎えるに当たって新しい指導者がロシアに求められていると語った。後継の大統領として、プーチン首相を指名し、プーチンの最初の大統領令はエリツィンを生涯にわたって刑事訴追から免責するというものだった。

( → ボリス・エリツィン - Wikipedia

 ここでは「プーチンの最初の大統領令はエリツィンを生涯にわたって刑事訴追から免責するというものだった」という点に注意。このことからして、プーチンの手札は「エリツィンを刑事訴追する」ということだったはずだ。「検事総長を女性スキャンダルで解任に追い込んだ」という前歴のように、別の方法で「エリツィン大統領を刑事訴追する」という手札をもっていたはずだ。(そして、自分が大統領になったのと引き替えに、エリツィンを免責にしたわけだ。)

 以上の方法をひとことで言うと、「権謀術策」と言えるだろう。それも、「残忍」とか「悪魔的」とか言えるほどに。
 ともあれ、プーチンが大統領になったのは、彼が特別優秀で特別に多くの支持を得たからではない。つまり、民主的に多くの支持を得たからではない。民主主義とはまったく別の「裏口」で、権謀術策によって権力をもぎり取り、自分以外の他者を権力から遠ざけて、権力のすべてを自分一人で独占したのだ。
 こうして彼は独裁者となった。

 習近平


 習近平はどうか? 彼の経歴を見ると、「KGB長官」というような部門を経験していない。また、出世したのもかなり遅くて、トップ級になる直前までは、とても順風満帆と言えるほどではなかった。
 ただ、政治局常務委員になったとき、軍と結びついた。ここで軍との関係を得たことが、その後に影響したようだ。つまり、秘密警察のかわりに軍と結びついたことで、似た効果を得たようだ。
 習はかつて中央軍事委員会弁公庁秘書や南京軍区国防動員委員会副主任などを務めており、第17期政治局常務委員で唯一国防文官の経歴を有する人物であった。この事は習と軍部との結びつきを強める一因ともなった。
( → 習近平 - Wikipedia

 さらに決定的なことが起こった。党の副主席になると同時に、軍の担当となった。これは事実上、次期トップになることを意味した。
 2010年10月18日に習近平は第17期5中全会で党中央軍事委員会副主席に選出された。党中央軍事委員会は共産党が国家を領導するという中国の政治構造上として、事実上の最高軍事指導機関である。副主席として党中央軍事委員会に入ったことで、習は胡の後継になることが事実上確定した。さらに同月28日、全国人民代表大会常務委員会の決定によって国家中央軍事委員会副主席に就任した。

 その後、世代交替によって胡錦濤から習近平へとトップが代わった。
 2012年11月の第18回全国代表大会を以て胡錦濤・温家宝ら第4世代の指導者は引退し、11月15日に開催された第18期1中全会において習近平は党中央政治局常務委員に再選され、党の最高職である中央委員会総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出された。

 以上の過程では、習近平がプーチンのように権謀術策を駆使したという証拠や根拠は窺われない。とはいえ、何らかの権謀術策を駆使したであろうということは、十分に推定できる。理由は三つだ。
 (1) 党主席は二期までという憲法の規定を変えて、三期目も続けることにした。憲法を変えてまで長期政権を担うというのは、独裁者根性丸出しだ。
 (2) 二期だけでなく、さらに長期政権を狙っているらしく、後継者となりそうなライバルを追い出している。
  → 権力集中、習氏高まる意欲 有力な後継者不在:朝日新聞
  → (見えぬ次世代リーダー候補 世代交代停滞、若さより「忠誠心重視」:朝日新聞
  → 「出る杭」出なくなった中国の出世競争 若手の星、あえて育てない?:朝日新聞
 (3) 習近平の三期目就任に反対した胡錦濤を会議で強制退出させる、というふるまいに出た。これは独裁体質として話題を呼んだ。
  → 胡錦濤前国家主席、党大会閉幕式を突然退席 :AFPBB
  → 胡錦濤氏、係員に腕つかまれ退席 「党人事に不満あるから」の観測も:朝日新聞
  → 「習近平3期目に反対したため追い出されたとみられる胡錦濤」 / Twitter 動画

 以上のことからすると、習近平もまた、「党内で広範な支持を得たから」というよりは、「権謀術策によって権力基盤を築いた」つまり「ライバルの排除によって権力を独占した」と見なせそうだ。(プーチンほどには、明らかな証拠がないので、詳細はベールに包まれているが。)

 金正恩


 プーチンや習近平は、独裁者であるとはいえ、その権力の持続性には疑問符が付く。世襲するべき息子がいるとは思えないからだ。(もしいるとすれば、すでに高い地位を得ているはずだが、そういう報道はない。)
 一歩いう、北朝鮮は違う。「金日成 → 金正日 → 金正恩」というふうに、権力は世襲されてきた。
 プーチンや習近平は、独裁者であるとはいえ、本人が死ぬとともに、その独裁政権は終わる。ちょうど、かつてのスターリンやブレジネフがそうであったように。

stalin.jpg

 1953年3月1日、……スターリンは寝室で脳卒中の発作で倒れた。
 発作は右半身を麻痺させ、昏睡状態が続いた。一時は意識を回復するも、重い障害のために意思の疎通ができなかった。4日後の1953年3月5日、スターリンは危篤に陥り死亡した。
( → ヨシフ・スターリン - Wikipedia

 11月7日、重病のブレジネフは、赤の広場で行われた革命65周年の軍事パレードと労働者の行進を、冬のモスクワの極寒の中、レーニン廟上の雛壇から観閲した。これが最後の公の場への登場となった。
 その3日後の11月10日午前8時30分、モスクワで心臓発作によって死去した。
( → レオニード・ブレジネフ - Wikipedia

 この二人の独裁者は、死ぬときまで独裁者として国家トップに君臨した。しかしそれも死とともに終焉を迎えた。
 一方、北朝鮮の独裁者は、死とともに途絶えることはなかった。この点は、プーチンや習近平との違いとして、留意すべきだろう。




 【 関連項目 】
 狡猾という点では、彼らと似た人がいる。マッカーサーだ。これについては下記で扱った。
  → マッカーサーはペテン師: Open ブログ

 この人も嘘と狡猾さで、最高権力の座に上り詰めた。ただし、米国ではなく日本の最高権力の座だが。
 ただ、本人の実力ではなく狡猾さによって権力を得たという点と、最高権力の座で威張り散らしたという点では、いかにも独裁者という称号にふさわしい。その意味では、プーチンや習近平と同種の人だと分類できそうだ。

 ※ 安倍首相は、似て非なる存在だ。この件は、次項で述べる。
    → 日本に独裁者はいたか?: Open ブログ



 【 関連サイト 】

 あまり関係ないが、参考情報。(読まなくてもいい。)
  → 情報機関がプーチンに反旗?ロシア内部に大きな亀裂の兆し ウクライナ侵攻は果たして成功するのか?インテリジェンスの視点から| JBpress



 【 追記 】
 本項で記したことのうち、習近平の話については、その後の推移で裏付けられた。10月23日に発表された中国共産党の指導者人事では、習近平の独裁体制が構築されたからだ。つまり、ライバルとなりそうな競合相手は一掃され、子飼いの子分ばかりが指導者グループになった。完全なる独裁体制である。詳しくは下記記事。

  → 習氏1強が完成、新体制 4期目も視野か 後継者不在:朝日新聞
 新たな常務委員のうち李強氏、蔡氏、丁氏の3人は習氏の地方時代に仕えた腹心、李希氏も習指導部で台頭した幹部で、「習カラー」が際立つ。
 引退する4人の中には李克強首相や汪洋(ワンヤン)・全国政治協商会議主席(67)のように習氏と一定の距離を置く常務委員もいた。

  → 「王国」のサイト内検索結果:朝日新聞
 驚きが広がったのは、新たに最高指導部入りした4人が「習派一色」だったことだ。
他方、習氏と距離のある共産主義青年団(共青団)のトップ経験者たちは、露骨に冷遇された。 次期首相の有力候補とも目されてきた胡春華副首相が、政治局員から中央委員へまさかの降格となった。
 ──
 党トップ7を自分に近い人間で徹底的に固め異分子を完全排除し、団結を示そうとした。
 68歳定年制、副首相経験者から首相を選ぶなどの慣例を破ってまで、子飼いの人間を集め、習氏がやろうとする政策を団結し進めていく布陣を作ったと言える。

 以上のことは、本項で指摘した「習近平の独裁体質」の政治工作手段(権謀術策)が、そっくりそのまま現実化していることを示していると言えよう。
 
 ※ 逆に言えば、そのことが現実化する前に、本項を読むだけでも、将来の人事(の傾向)を予測することができる。本サイトを読めば、未来を予測することも可能なのだ。
 
posted by 管理人 at 23:11 | Comment(1) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 最後に 【 追記 】 を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2022年10月24日 10:04
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