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元朝は、モンゴル帝国の分家みたいなものなので、漢民族の中国とはちょっと色合いが違うのだが、ともあれその影響は大きかった。当時のモンゴル帝国は、中国から欧州までを支配する巨大帝国だった。日本にも元寇として攻めてきたほどだ。
漢民族から見たら、モンゴル人は「匈奴」と見なしたり、万里の長城で対抗したりで、大変な強敵であったようだが、世界史的な観点からでは、別の見方もあるようだ。モンゴル人は世界最先端の文明国であり、漢民族の中国は遅れた未開の国であった(だから征服された)……という見方だ。
これは意外な見方でしたね。ついつい、漢民族を主体とした見方に慣れてしまっていたが、別の見方もあるわけだ。
朝日新聞の記事で、この点を紹介した記事がある。
チンギスの孫で第5代皇帝クビライの時代、いまの言葉でいえば「グローバル化」のようなことが起きていたというのだ。モンゴルの騎馬遊牧民は、ウイグルなどの商人たちと連携し、シルクロードを中心にヒトやモノの動きを活発化させた。基軸通貨ドルを思わせる独自の紙幣が流通し、共通言語として英語ならぬペルシャ語が使われた。
その後のユーラシア大陸は東西に分断され、中国には明朝が生まれた。目を引くのは、明朝がモンゴル時代と正反対の政策を採ったことだ。貨幣を排除し、穀物や労役などの現物経済に回帰した。貿易を禁じ、モノの行き来は明朝皇帝への貢ぎ物とその返礼に限った。
「開放的な体制を否定し、引きこもろうとしたのが明朝だった」。専制を強め、商人や知識人を弾圧した。
( → (日曜に想う)グローバルだったモンゴル帝国 記者・有田哲文:朝日新聞 )
ここで示したように、明朝では、「貨幣を排除し、穀物や労役などの現物経済に回帰した。貿易を禁じ、モノの行き来は明朝皇帝への貢ぎ物とその返礼に限った」という閉鎖的な社会となった。それに反し、元朝では、貨幣流通や貿易が盛んになって、開放的で発達した社会となっていた。……そういう事情があったのだ。
明朝のありようは、閉鎖的だった江戸時代を思わせる。前出項目を参照。
→ 鉄道で都市発展という幻想: Open ブログ
ここには「街道での馬車や大八車などの通行を禁じた」とある。それとちょっと似た事情があるわけだ。明朝には。
なお、上の記事の話は、記者の見解ではなく、紹介した書籍の見解だ。元の書籍は、これだ。
https://amzn.to/3S9hwA3
別途、書評もある。
→ 『明代とは何か―「危機」の世界史と東アジア―』(名古屋大学出版会) - 著者:岡本 隆司
→ 明代とは何か ≪ 名古屋大学出版会
【 関連項目 】
モンゴルについては、前にも論じたことがある。
(1) 元寇について論じたことがある。
→ 元寇に神風は吹いたか?: Open ブログ
(2) 疫病との関連で論じたことがある。
→ 元寇に神風は吹いたか?: Open ブログ
→ ペストとモンゴル: Open ブログ
モンゴル帝国は1200年から1350年に最盛期を迎えたが、その後、弱体化し分裂していく。モンゴル帝国が衰退した理由の一つに異常気象とそれに伴う飢饉、ペストの大流行が挙げられている。
「西洋文明はアジア人(モンゴル人)に滅ぼされかけた。そうならなかったのは、歴史の偶然にすぎない」(ペストのせいにすぎない)
