「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが交雑した」ということが成立すると仮定したら、矛盾が生じる……ということを示す。(別の事例で)
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「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが交雑した」ということが成立すると仮定したら、矛盾が生じる……ということを、前項では示した。(「有利・不利」の章で。)
これとは別の件で、同様に矛盾が生じることを、もう一つ示そう。(追加的な補足となる。)
ただ、最初に要旨を述べておくと、本項の要旨はこうだ:
「ネアンデルタール人との交雑があったと仮定すると、ネアンデルタール人との交雑で流れ込んだ遺伝子が、人類全体に広く拡散したのは、その遺伝子が有利だったということになる。また、ホモ・サピエンスの遺伝子が、ネアンデルタール人のなかにまったく見出されない(拡散しなかった)のは、ホモ・サピエンスの遺伝子が不利だったことになる。以上のことからして、遺伝子的には、ネアンデルタール人は進化的に新しい(優れた)種であり、ホモ・サピエンスは進化的に古い(劣った)種であったことになる。……しかしこれは、歴史的事実に反するので、自己矛盾となる」
これが要旨だ。詳細は、以下の通り。
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まず、次の記事がある。(前項のコメント欄で教わった記事だ。)
一部抜粋しよう。
詳細は割愛して、最も興味ある現代人との交雑の問題に進もう。ネアンデルタール人のゲノムを、アフリカ人、ヨーロッパ人、アジア人と比べると、ネアンデルタール人とヨーロッパ人、アジア人の距離はほとんど同じなのに、アフリカ人だけが遠い事がわかった。また、ネアンデルタール人のゲノムは確かにアフリカ人以外の現代人に入って来ているが、解読したネアンデルタール人ゲノムには全く現代人の遺伝子が流入していない。この結果は次のように解釈されている。
「ネアンデルタール人と現代人が接して暮らしていた地域は存在した。この様な限られた地域では確かに交雑が行なわれている。ただ、大規模ではなく極めて限定された交雑だったと思われる。私たちの祖先はその後人口を増大させる。その結果限られた流入でもネアンデルタール人の遺伝子は集団の中で増幅され伝わって来た。一方、ネアンデルタール人の人口は減少の一途をたどっり絶滅したため、もし私たちの祖先の遺伝子が流入していても増幅できず痕跡が消えてしまった。この結果、遺伝子流入は一方向的に見える。」
( → ネアンデルタール人のゲノムからわかった事 | JT生命誌研究館 )
記事の前半では、二つのことが述べられている。次の (1)(2) だ。
(1)
「ネアンデルタール人とヨーロッパ人、アジア人の距離はほとんど同じなのに、アフリカ人だけが遠い事がわかった」
とあるが、この件は、前項で説明済みである。つまり、一般的には「ネアンデルタール人との交雑があったから」という説明がなされるが、本サイトでは「もともと双方が共通遺伝子をもっていたから」という説明がなされる。それで片付く。
(2)
「ネアンデルタール人のゲノムは確かにアフリカ人以外の現代人に入って来ているが、解読したネアンデルタール人ゲノムには全く現代人の遺伝子が流入していない」
というのは、二つに分けて考えよう。
第1に、
「ネアンデルタール人のゲノムは確かにアフリカ人以外の現代人に入って来ている」
というのは、「入っている」というのを、「もともと共有していた」と解釈すれば、特に問題ない。
第2に、
「解読したネアンデルタール人ゲノムには全く現代人の遺伝子が流入していない」
というのは、初めて聞いた話だが、これはこれで問題ない。彼の研究で判明したことなのだろうし、その研究結果は尊重したい。
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だが、記事の前半はともかく、記事後半がおかしい。特に、
「この結果は次のように解釈されている」
という解釈がおかしい。こんな解釈は成立するはずがない。というか、この解釈は、自説が間違っていることを証明しているのであって、自己破綻だとも言える。その理由は、以下の通り。
ここでは、こう述べられている。
「私たちの祖先はその後人口を増大させる。その結果限られた流入でもネアンデルタール人の遺伝子は集団の中で増幅され伝わって来た」
だが、「増幅されて伝わってきた」ということの理由は、人口の増大では説明できない。人口の増加は、種の個体総数の増加を説明するが、特定の遺伝子集団の増加(つまり比率の増加)を説明しない。特定の遺伝子集団の増加(つまり比率の増加)を説明するには、「その遺伝子の形質が有利であったこと」を必要とする。「有利な遺伝子が増えて、不利な遺伝子が減る」というわけだ。
では、「その遺伝子の形質が有利であったこと」は、成立するか? これを考えると、上記記事の学説は自己矛盾にぶつかる。
(A)交雑ならば
交雑があったとすれば、どうなるか?
交雑があった上で、ネアンデルタール人の遺伝子がホモ・サピエンス集団のなかで「有利なので増えた」とすれば、ネアンデルタール人の遺伝子はホモ・サピエンスの遺伝子よりも有利だったことになる。
また、ホモ・サピエンスの遺伝子がネアンデルタール人集団のなかで「不利なので増えなかった」とすれば、ホモ・サピエンスの遺伝子はネアンデルタール人の遺伝子よりも不利だったことになる。
以上をまとめれば、こうだ。
「ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも有利な遺伝子を多く持ち、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも不利な遺伝子を多く持っていた」
ここから得られる結論はこうだ。
「ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも明らかに進化した種である。部分的に入り乱れて1勝1敗というようなものではなく、明白にホモ・サピエンスよりも優れた新種である」
しかし、このようなことは成立しない。ホモ・サピエンスは明らかにネアンデルタール人よりも進化的に新しい種である。それを逆に認識する説(交雑説)は、現実に矛盾する。かくて、自己破綻する。
(B)共有ならば
もともと共通遺伝子を共有していたとすれば、どうなるか?
この場合は、最初から集団の全体がその共通遺伝子を共有していたことになる。ならば、「少数のものが流入してから増加した」というような過程は必要ない。特に矛盾は生じない。
双方が共通遺伝子共有していたが、そのずっと後に、ホモ・サピエンスでは独自の変異が生じた。それはネアンデルタール人は存在しない変異だ。この変異はネアンデルタール人には流れ込まない。だから、第2の点の、
「解読したネアンデルタール人ゲノムには全く現代人の遺伝子が流入していない」
ということは、明らかに成立する。(未来は過去に流れ込まないからだ。)
このことは「ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも新しい人種だ」という事実と完全に合致する。
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結論。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスという二つの種(双方)について、異なる解釈がある。
「双方は交雑した」というという解釈を取れば、第2の点のことから、「ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも進化した、優れた新種である」という結論になる。これは進化の歴史に矛盾する。(順序が逆だ。)
「双方は共通遺伝子を共有した」という解釈を取れば、第2の点のことがうまく説明されるので、何も問題はない。(「ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも新しい種だ」という歴史的事実と合致する。)
かくて、二つの解釈のどちらが正しいかは、判明した。(交雑説は誤りだと判明した。)
[ 付記 ]
もう一つ、交雑説では、別の点でも矛盾が生じる。
「交雑したあとで、その遺伝子が広範に拡大したとしたら、その遺伝子は有利な形質をもっていたことになる。ところが現実には、その遺伝子のほとんどは、あってもなくてもいい遺伝子である」
かくて、交雑説は現実の遺伝子状況に矛盾する。ゆえに交雑説は誤りだ。
※ これは、前項の「有利・不利」の章で示した通りだ。既出。
詳細は、下記のリンク先だ。
→ ネアンデルタール人との混血はなかった(証拠): Open ブログ