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この件については、前に論じたことがある。
「赤字路線だが、冬季には道路が不通になって、鉄道しか通らない。ゆえに、路線を残すことはやむを得ない」
というふうに。
只見線は、日本でも特殊な山岳地帯にあるので、冬季にはバスを走らせることができない。だから、バス転換も路線廃止もできないわけだ。
( → JR赤字路線の廃止: Open ブログ )
これで話は片付いたはずだった。
さて。本日になって、只見線がいよいよ開通した。それを報じた記事がある。
JR只見線は1日、豪雨災害により不通が続いていた会津川口―只見間が復旧し、11年ぶりに全線が再開する。
県や会津17市町村が鉄路存続を選択したのは、観光路線としての需要が見込めると判断したためだ。
山深い渓谷を流れる只見川沿いを走り、四季折々の絶景やアーチ橋など風景に溶け込むような鉄道施設が見られる路線は、鉄道ファンには人気が高い。
ただ、只見線の営業赤字は深刻だ。豪雨災害前の09年度、只見線全体の収支は列車を走らせるのに22億6千万円かかるのに対し、収益は2億円足らず。営業赤字は20億円を超えた。不通区間に限れば、列車運行に3億円かかったにもかかわらず、収益はわずか500万円だった。
JR東は当初、不通区間を廃線にして代替バスを走らせることを地元側に提案した。これに対し、県や会津17市町村は、復旧費用や維持管理費を負担してでも全線再開することにこだわった。県の担当者は「豪雪に閉ざされる冬場は大事な交通手段でもある。鉄路存続のメリットとデメリットを勘案した結果、鉄路を残すことが、地元住民の利益に資すると、最終的に判断した」と話す。
地元の意向を受け、JR東は、不通区間は線路など鉄道施設を復旧させたうえで県に無償譲渡し、その後は維持管理を県が担い、JR東は列車を運行させる上下分離方式を提案。この方式は第三セクターが運営する鉄道で先例があるが、JRの地方鉄道で採用されるのは、只見線が初めてだ。
17年の最終合意時には、年3億円かかる同区間の維持管理費について、会津17市町村も負担することが決まった。年間維持費の負担割合は県7割、市町村3割とした。沿線自治体については、金山町が約1300万円、只見町が約1900万円と分担する割合を高く設定した。ただ、将来世代への負担増につながるとして、地元住民からは復旧に反対する声も少なくない。
( → 只見線、きょう11年ぶりに全線開通 「全国有数の秘境路線」売りに:朝日新聞 )
多少の赤字ならば仕方ない、と考えていたが、その赤字額は、予想を大幅に超えた巨額となっている。
「22億6千万円かかるのに対し、収益は2億円足らず。……不通区間に限れば、列車運行に3億円かかったにもかかわらず、収益はわずか500万円」
これは、いくら何でも、ひどすぎる。赤字の割合が 50%ぐらいまでなら受忍可能だが、赤字の比率が8割や9割になるのでは、とうてい受忍できない。
そもそも、これほどにも赤字の割合が多くなるというのは、客が少なすぎるからだが、それというのも、実際には必要とされる度合いが低いからだ、と判定される。真に必要度が高ければ、こんなに高い赤字比率にはならないはずなのだ。
では、どうするべきか? 赤字も許容できないし、路線廃止も許容できない。あちらが立てば、こちらが立たず。困った。
そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。こうだ。
・ 運行するのは、道路が不通になる冬季だけとする。
・ 冬季は鉄道しか使えないので、冬季は料金を5倍程度に引き上げる。
(それでも使わざるをえないはずだから、高値に設定できる。)
・ 冬季以外の時期は、運行停止とする。
(かわりに代替バスを通す。これならば赤字額は激減する。)
・ ただし夏休み期間だけは、観光用で、電車を運行する。
(観光客が多く来れば、赤字削減が可能となる。)
・ 夏休み期間も、料金を高めにする。(2〜3倍程度)
さらに、併用として、次の制度を導入する。
「只見線専用の商品券(切符と交換可能の金券)を作り、自治体が住民にプレゼントする。5万円分ぐらい」
これによって、住民は値上げの負担を軽減される。と同時に、JRにはその分の額の売上げが固定的に計上されるので、JR の収支は改善される。
自治体には、その費用を計上する義務が生じるので、その分の負担が生じるが、やむを得ない。なお、どうしても自治体にその費用の計上ができないなら、住民にはその分の商品券を強制的に購入させるしかない。(それが嫌なら、路線廃止となる。)
以上のすべてを実現することを条件として、只見線を復活させればいい。どれが一つでも実現不可能なら、即時、路線廃止とすればいい。……そして、それは、十分に根拠があることなのだ。なぜなら、住民自身が只見線の存続を望んでいないことになるからだ。
彼らが望んでいるのは、こうだ。
「他人の金で、只見線を維持してもらいたい」
その意味は、こうだ。
「自分の金で、只見線を維持するつもりはない。そんなことのために、金を出すつもりはない」
そういうことであるのだから、さっさと路線廃止をすればいい。それが道理というものだ。
なぜなら、「他人の金で、只見線を維持してもらいたい」というのは、「他人の金を、盗みたい」というのと同じであり、ただの泥棒の理屈であるからだ。「おら、おら、金を寄越せ、金を寄越せ」という泥棒だ。たかり と言ってもいいが。
そして、泥棒や たかり の言い分など、いちいち聞く必要はないのである。
「それでもどうしても只見線は必要だ」
と言い張るのであれば、せめて3割ぐらいは自己負担するべきだろう。それもできないで「金を寄越せ」とだけ要求するのでは、泥棒や たかり と言われても仕方ない。
※ なお、経営責任を明白にするためには、本来ならば、只見線の運営は第三セクターにして、独立経営にするべきだろう。
【 関連サイト 】
→ (ローカル線物語 鉄道150年)只見線 宝物が帰ってくるから:朝日新聞デジタル
鉄道マニアふうのセンチメンタルな記事。
