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このテーマで論じた記事が三つある。
(1) J-CAST
J-CASTの記事は下記。
→ 安倍晋三元首相の国葬 若者は賛成、高齢者は反対が多い: J-CAST
「若者は賛成が多く、高齢者は反対が多い」という事実を示すだけであって、特に理由の分析はしていない。
(2) 朝日新聞
朝日新聞では、識者(松田小牧)に意見を聞く、という形で、分析記事を記している。
→ 国葬賛成、なぜ若者に多いのか 反対多数の高齢者と対照的なのは [国葬]:朝日新聞
――なぜ若者に人気があるのでしょう。
「長期政権だったこともあって、若者から見ると『首相といえば安倍さん』のイメージが強い。20歳ぐらいの若者はそうだし、30歳前後だと民主党政権の記憶もあるけど、やっぱり安倍さんが長い。民主党政権で日本が揺れた時期から強いリーダーが出てきて、親戚のおじさんみたいな雰囲気なのに、世界の要人と渡り合ってすごい――。そんな思いで『国葬ぐらい、いいじゃない』となる」
こういうふうに安倍政治しか経験していないので、安倍政治を身近に感じている、ということが、安倍首相への親近感をもたらす、と論じている。
一方で、若者はマスメディアへの接触が少ないことも要因だ、と論じている。
「高齢者は時間の余裕があって、新聞やテレビをよく見ている。新聞・テレビでは国葬の話がよく整理されているので、様々な問題点があることにも気づくでしょう」
「でも、多くの若者は新聞・テレビではなく、ユーチューブのにぎやかな動画を楽しんでいる」
ここでは国葬の問題点について、高齢者は気づくが、若者は気づかない、というふうに論じている。
なお、この人自身は、防衛大卒で、国葬賛成の立場であるそうだ。(記事末尾に記してある。)
(3) ニッポン放送
ニッポン放送(ラジオ)の番組で、識者二人を招いて三人で論じた番組があり、それを文字にまとめた記事がある。
→ 安倍元総理の国葬に10代〜20代の6割が賛成する「2つの理由」 ? ニッポン放送 NEWS ONLINE
この記事でも、朝日の記事と似たようなことが理由とされる。
第1に、若者はずっと安倍政治に親しんできた、ということ。これは、朝日の記事と同様だ。
第2に、高齢者はテレビや新聞から情報を得ている、ということ。これも、朝日の記事と同様だが、その意味合いが正反対だ。
・ 朝日新聞 …… 高齢者はテレビや新聞から正しい情報を得ている
・ ニッポン …… 高齢者はテレビや新聞から誤った情報を得ている
ニッポン放送の記事に従えば、テレビや新聞は国葬について誤った情報を出して、高齢者を洗脳している。だから高齢者は洗脳されて国葬反対論になる。一方、若者はテレビや新聞を見ないので、洗脳されない。ネットの情報だけを見るので、「左右両方の情報を見て考える」というリテラシーがある。だから、国葬について正しく考えて、賛成論を取るようになる。……そういう趣旨だ。
これを読んで、私の感想を言えば、「あまりにも馬鹿馬鹿しくて、論じる気にもなれない」という感じだ。どこまでアホなんだか。
「若者がバカなのはどうしてか?」というテーマで考えるのかと思ったら、「国葬に賛成する若者が賢明で、国葬に反対する方がおかしい」という趣旨だ。もはや、まともな頭があるとは思えないね。
「統一教会による、日本政治の乗っ取り」
というのは許し難い、というのが、昨今の日本人の大方の総意だ。だからこそ、岸田内閣の支持率は暴落している。そういう事実さえも理解しないまま、統一教会を支持する方針を表明するのは、頭がおかしいとしか思えない。
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さて。一方で、自民党内にもまともな頭のある人がいる、ということを報じた記事がある。
自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は20日、安倍晋三元首相の国葬について「最初から反対だし、出るつもりもない」と述べ、欠席する考えを明らかにした。
( → 安倍氏国葬を欠席へ 自民・村上氏:時事ドットコム )
なかなか気骨のある人だ。どういう人なのかと思って、Wikipedia で調べてみた。
→ 村上誠一郎 - Wikipedia
東大法学部卒で、法をよく知っており、法で筋を通す人のようだ。弁護士のように「法を駆使して金儲けをする」というよりは、裁判官や法学者のように「法の理屈や筋を考える」というタイプであるようだ。当然ながら、「憲法や法律の学説を無視して、自分勝手流の解釈によって法律をねじ曲げる」というムチャクチャな方針を取る安倍政権とは、正反対の立場にある。したがって、安倍首相がそういうデタラメな法解釈で物事を強行突破しようとしたときには、断固として反対している。国会では自民党で一人だけ棄権した、というような例が複数ある。(集団的自衛権・特定秘密保護法)
政治的には、左よりは右なので、リベラルとは言えない。しかし法では筋を通すという、法学者らしい立場を取る。法を無視した蛮行は許せない、という立場だ。頭のいい人ならば当然ではある。
そして、それだからこそ、法を無視した国葬を許しがたいのだろうし、また、統一教会による政治支配も許しがたいのだろう。
情よりは知性と理性によって国葬を法的に認めない、という立場であるようだ。いかにも秀才的である。(東大出らしい。)
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上のこと(村上誠一郎の例)は、ただの一例のように見えるかもしれない。だが、この例を見ると、若者が安倍首相の国葬に賛成する理由も判明する。対比する形で。
村上誠一郎は、国葬の問題がどこにあるかを、きちんと見抜いていた。だからこそ国葬に反対した。(自民党でただ一人、欠席を決めた。)
一方、若者は反対しないで賛成する。とすれば、その理由は、国葬の問題がどこにあるかを、きちんと見抜けないからなのだ。
そして、若者には見抜けないのに、高齢者には見抜けるとしたら、それは、若者よりも高齢者の方がずっと賢明であるからではなくて、高齢者の方が正しい情報に触れる機会が多いからだ。それがつまり、テレビや新聞だ。
高齢者はテレビや新聞を通じて、正しい情報を得ている。その点では、朝日の識者の言う通りだ。だが、そのこと自体は、別に着目するほどのことではない。もともと当たり前のことであるにすぎない。そんなことぐらいは誰にもわかる。
大事なのは、高齢者が知っているということではなく、若者が知らないでいるということだ。若者が無知であるということだ。そして、その理由は、「ネットを通じて正しい知識を得ている」からではなく、「ネットしか知らないので、テレビや新聞の情報を得られない」からなのだ。
換言すれば、「断片的な短文情報や画像情報ばかり」を知っていて、「高度な抽象的論理を使った言語による長文分析」を知らない、ということだ。
今回の国葬に即して言えば、この国葬の問題点がどこにあるのかすら理解できていない。法的な問題があることも理解できていないし、統一教会との癒着がどれほどひどいかも知らない。単に「断片的な短文情報や画像情報ばかり」を知っているだけだ。要するに、軽佻浮薄だから、物事の深層を理解できないのだ。
これが、「若者が国葬に賛成であること」の理由だろう。
[ 付記1 ]
若者のこの弱点は、情報検索の場でも現れる。
たとえば、レストランを探すときに、インスタを使う人が多いそうだ。
→ 若者の「食べログ離れ」が止まらない…4人に1人は「信用していない」 | PRESIDENT
「飲食店を選ぶときにはいつもInstagramで検索して、おいしそうなところを選ぶことが多い。それから店名で検索して評判を確認する。Google Mapも見るけど、最初にグルメサイトを見ることはない」
こうした大学生は、Instagramで「吉祥寺」「梅田」などの駅名、町名などで検索し、出てきたハッシュタグ(「#吉祥寺グルメ」「#梅田カフェ」)で検索している。投稿された写真の中からおいしそうなもの、食べたいものを探すというわけだ。
食べログを見ないで Google Map を見る、というのは、悪くはない。私もそうしている。だが、「飲食店を選ぶときにはいつもInstagramで検索して、おいしそうなところを選ぶ」という使い方は、ひどい。この方法では、インスタ映えのする写真の料理ばかりが出てきて、味のいい店は出てこない。味より見映えだ。なぜなら、味は文字情報でしか語られないが、文字は画像にはならないからである。
また、検索性も、画像中心のインスタではとても悪い。
どうせなら、食べログはやめて、かわりに Retty でも使えばいいのに、Retty を使うというリテラシーもないようだ。それというのも、文字重視で検索することに慣れていないからだ。
インスタなんかでレストランを検索するという点からしても、若者が情弱であることは明らかだろう。
そもそも、iPhone を使うところからして、情弱であることは明らかだ。なぜなら、iPhoneでは、文字入力のときに、カーソルキーを使えないからだ。一方、Android 機では、文字入力のときに、カーソルキーを使える。そのことは、フリック入力の画面を比較するだけでもわかる。
・ iPhone の フリック入力 …… カーソルキーがない。
・ Android のフリック入力 …… カーソルキーがある。
これだけの差があるので、文字入力のときの便利さには大差がある。iPhone は、コピペするのも面倒だし、iPhone で文字入力をするなんて、狂気の沙汰だ。(音声入力ぐらいしか使い道がない。)
そんな iPhone を使いたがる人が、特に 10代女性には多いそうだ。
→ 10代女性にiPhoneが圧倒的人気の理由 - ITmedia Mobile
若者の文字離れが、はっきりと見て取れる。このことの影響の一つが、若者の安倍支持や国葬支持になるのだろう。
[ 付記2 ]
その意味では、若者には新聞を読む機会を与えることがとても大切だ。この件は、次項で述べる。
【 追記 】
書き忘れていたが、コメントを見て思い出した。この問題の賛否では、「反対が多い」ということ以上に、「反対がだんだん増えていった」ということが重要だ。
最初の頃は、自民党支持(安倍支持)の人が多かったので、賛成が多かった。
→ 安倍元首相の「国葬」「評価する」49%「評価しない」38% NHK世論調査 | NHK(7月19日)
しかし、その後は反対がどんどん増えて、直近では反対が賛成の2倍になっている。
→ 安倍元首相の国葬 世論調査で「反対」62.3%|FNN(9月20日)
このように反対が増えているのは、なぜか? もちろん、安倍首相や自民党が、統一教会と深い関係をもっていたことが明らかになりつつあるからだ。そして、その情報を、高齢者はテレビや新聞から入手していたが、若者は入手していなかった。なぜなら、「悪」という概念は目には見えないものだからだ。そしてまた、現実の「悪」である統一教会の関係者は、テレビには画像として登場しないからだ。(特に教祖はすでに死んでいるので、テレビ動画として登場することができないからだ。)
若者ならば、TikTok で動画情報を入手したいところだろうが、統一教会と自民党の関係を示す TikTok 動画なんか、ろくにあるはずがない。インスタ情報も同様だ。かくて若者は肝心の情報から隔てられていた。だから国葬の是非については無知のままだった。
だが、そういう若者たちも、2カ月遅れぐらいで、ようやく統一教会や国葬の情報に接し始めたようだ。最近の世論調査では、反対する若者がだんだん増えてきたそうだ。(コメント欄)
やはり本質は、「若者が無知であるのは、テレビや新聞に接しないから」ということであるようだ。
やはり、テレビや新聞・インターネットなど様々なメディアによる旧統一教会の報道から、若者も安倍晋三と統一教会の繋がりを知り、国葬反対に回る人が増えたのでしょうか?
なお、ネット上では「高齢者が国葬反対なのは、自分と近い世代あるいは自分より下の世代である安倍が国葬されることへの嫉妬からだ」という書き込みが少しありましたが、これは事実でしょうか?
首相経験者ならともかく、政治家ですらない高齢者が(例えマスコミ関係者・弁護士・学者などの著名人であっても)嫉妬から国葬に反対するとは考えづらいのですが...
また、男性以上に女性が国葬反対の傾向が強いのですが、その理由が知りたいです。
女性は男性より安倍政権に批判的だったからでしょうか?
女性は男性より統一教会への嫌悪が強いのでしょうか?(教義に女性蔑視的なものがあるので)
女性は男性より国葬ではなく物価高対策やコロナ対策、あるいは公的福祉に税金を使うべきという傾向が強いのでしょうか?
https://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/
安倍元首相の「国葬」実施の評価ー詳しい分析をみる
自分は国葬をされるべきだ……と思っている高齢者というと、麻生さんぐらいしか思い浮かばないけれどね。
だけど麻生さんは、国葬をゴリ押しした張本人だから、話は逆だ。
一般人で「自分は国葬をされるべきだと思っている高齢者」なんて、精神病院のなかにしかいないでしょう。
>だけど麻生さんは、国葬をゴリ押しした張本人だから、話は逆だ。
そもそも麻生太郎は、国葬にされた自分自身の祖父である吉田茂と今度国葬される安倍晋三が、時代の違いがあるとはいえ首相として同等だと思っているのでしょうか?
吉田茂の国葬にも反対意見が存在したようですが、世界から孤立していた敗戦後の日本を国際社会に復帰させたという功績があり、この場合なら特例で国葬でも、今回の安倍の国葬ほどの違和感はないです。
(敗戦後の占領から独立を回復したサンフランシスコ講和条約の発効について、当時米国だった沖縄では複雑な思いがあったようで、それを考えれば真に国葬が正しかったかは微妙ですが)
外交努力だけでは平和は不可能ですし、憲法が自衛隊が動く上で障害となるならば、憲法も見直すことも視野に入れるべきでは。
憲法不完全な人間が作った「システム」の一種ですし。
正直言うと、「憲法改正反対する人間が正しい」という前提で思考しているのかと考えてしまいます。
それは全然問題ありません。法学者がみんな「違憲だ」と判断している違憲の法案を通すかどうか、という問題。「政府は憲法を守る」という当たり前のことを実行するかどうか、という問題。国家召集の問題もそうだが、政府が違憲行為を堂々とやる、という、法治主義の崩壊を是認するかどうか、という問題。民主主義をやめて独裁政治にするか、という問題。プーチンみたいな体制にするかどうか、度いう問題。
憲法改正は、合法的だし民主的なので、全然別の問題です。集団的自衛権を認めるかどうかの問題じゃない。集団的自衛権を認めていないのは憲法であり、憲法との整合性をどうするかという問題だ。法治主義の問題。