2022年09月05日

◆ 飛び級は有効か?

 (前項の続き)
 神童への教育支援として、飛び級は有効か?

 ――

 有識者会議としては、昨年の報告では、「米国では飛び級も用いられている」というふうに紹介した。
 会議の座長を務める岩永雅也・放送大学長が、米国の才能教育について紹介。飛び級などの「早修教育」、学年を超えず幅広い内容を指導する「拡充教育」、発達障害と特異な才能を併せ持つ子への「2E(二つの例外)教育」の3類型があることを示した。
( → 「ギフテッド」の教育支援 横並びの学校文化から議論を  2021年7月14日 )

 しかし本年度の報告では、飛び級にもエリート学級にも言及しない見込みだ。前項記事を再掲しよう。
 有識者会議は7月、@特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進A多様な学習の場の充実B特性を把握する際のサポートC学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供D実証研究を通じた実践事例の蓄積――などを支援策の柱とする提言素案をまとめた。
( → 飛び抜けた能力、なじめない学校 文科省「ギフテッド」の子を支援へ:朝日新聞

 どうしてかというと、次のことを懸念しているからだ。
 過度な競争が起きたり、入学者選抜に活用されたり
( → (ギフテッド 才能の光と影:4)才能は多様、教師のスキル高めたい:朝日新聞

 受験競争を懸念するあまり、エリートを選抜すること自体を、否定してしまっているわけだ。
 しかし、その発想自体が自己矛盾を含む。エリートを選ぶにはどうしても選抜が必要だが、選抜にともなう競争が怖いからといって、選抜自体を否定してしまっては、エリートにおける「教育の権利」が損なわれてしまうからだ。
 いくら受験競争の弊害があるからといって、知性にふさわしい教育を受ける権利を損なうとしたら、本人にとっても不幸だし、国全体にとっても不幸だ。
 だから、神童(ギフテッド)に対する有識者会議の方針としては、これらの子供の「教育を受ける権利」を最重視するべきだった。なのに彼らは、子供の都合を考えず、大人の都合を押しつけた。「受験競争が激しくなると、社会が困る」というふうに。「エリートがエリート教育を受けると、凡人が過激な競争に巻き込まれて困る」というふうに。
 実は、エリート自身は、受験競争の弊害を受けることはない。なぜなら彼らは、受験競争の過激な勉強なんかしなくても、楽々と試験をパスするからだ。受験競争の弊害があるのは、凡人だけである。
 なのに、凡人が被害を受けると困るからという理由で、神童が高い教育を受けることを阻害しようとする。神童を守ろうとするかわりに、凡人の都合を守ろうとする。……それが、有識者会議だ。
 彼らは、神童の権利を守るためにあるのではなく、凡人の都合で神童の権利を抑制するために働いている。存在そのものが有害無益と言えるだろう。(凡人のやっかみというのは、これほどひどいものだ。)
 ま、凡人たちを集めてできたのが有識者会議なのだから、そうなるのも当然だ。だが、こんなものはさっさと廃止した方がいいだろう。

 ――

 さて。それはそれとして、飛び級というものは有効だろうか? これについて調べたところ、功罪の二面がともにあるとわかった。

 (1) 飛び級の失敗例

 飛び級を受けた生徒の失敗例がある。
 1998年、新聞の一面に載った大学飛び入学第一号の佐藤和俊さん。佐藤和俊さんは高校2年生にして相対性理論をマスターし末は博士ともてはやされました。
 あれから14年、……31歳になった佐藤さんはネットで正社員の職を探しています。今、学習塾の講師で日々の糧を稼いでいます。4月末の振込みは11万8890円でした。去年の年収は270万円。
( → 高学歴貧乏「飛び級天才の佐藤和俊さんは今・・・」|Mr.サンデー - テレビのブログ

 大学に飛び入学しても、たいして成果はなかったわけだ。というか、普通の研究職以下の結果しか得られなかったわけだ。こんなことなら、普通に高校生活を送ってから、東大か東工大あたりに進学して、大手の会社の研究職にでもなった方が、ずっとマシだっただろう。たとえば、トヨタあたりの研究職にでも勤務していれば、とても幸福になれただろう。なのに、高校生から大学に飛び入学したせいで、人生の進路を大失敗してしまったことになる。
 ここでは、飛び入学はまったくの有害無益であったことになる。

イギリスでの調査では、飛び級経験者の 60%が「飛び級しなければ良かった」と答えている
( → 飛び入学と飛び級



 (2) 田舎の神童(小学生)

 田舎の神童の例がある。小学生のときに神童だったそうだ。
 神童だと言われて育った。2歳で平仮名を全部覚え、3歳になる頃には、保育園で他の子達に絵本を読み聞かせていた。 両親が大学に呼び出され、しばらくして算数の教科書と問題集を持って帰宅した。それを読んで勉強するようにと言われ、……小学校に入る頃に分数の勉強を終え、小4の途中で高校の微積分を終えた。
 学校は楽しくなかった。あらゆる授業で、5分で済む話に1時間以上をかけていると感じた。
 地元には目立った進学校はなかった。親戚の家から通うかと言われたが、某有名校の中学受験の問題集に目を通したところ、代数は使わず鶴亀算で問題を解けと書いてあるのを見て、これは意味がないと感じた。
 その直後、小6で反抗期が訪れた。もう勉強は止める、と親に宣言し、地元の中高でそのとおりに6年間を過ごした。授業は聞かず、ノートはとらず、教科書も学校以外では開かなかった。それでも成績は概ね上位だっ
 その後は平凡な人生だ。大学4年間を引き続き遊んで過ごし、それなり以上の会社に潜り込んだ。同僚からは、理屈よりもむしろ調整能力で評価されている。
 「二十歳を超えれば只の人」というのは、自分でも折に触れて実感するところです。元神童の典型例のひとつとして読んでいただければと思います。
 ――
 今、この日本全体で、かつての僕のように、指数関数や三角関数を学習したのに小学校で分数の足し算をさせられている子供が、一学年に少なくとも数人はいるだろうと思う。そのほぼ全てが、最近報道であったようなカナダやアメリカでの飛び級のチャンスには恵まれず、中学受験のために鶴亀算をやるのだろう。又は、その選択肢を見限って、自分の知的好奇心よりも、同年代の子に溶け込むことを優先するのだろう。もし、それを少しでも、日本にとって人的資源の無駄だと思うなら、飛び級制度の抜本的な拡大をぜひ支援してほしいと思う。
( → かつて僕が神童だった頃の話

 この人の場合は、早熟の知性にふさわしい教育機会が得られなかったせいで、意欲をすっかりなくしてしまったらしい。もし適切な教育機会が与えられていたら、才能をもっと伸ばすことができたかもしれない。

 ――

 さて。以上の (1)(2) の例を見たあとで、結論を下そう。
 原則としては、前項で述べたように、エリート校を作って、そこに神童を集めればいい。特に、都会にいる生徒で、小学校上級以上であれば、それで済むはずだ。
 ただしその枠から外れる例がある。
  ・ 田舎にいる生徒
  ・ 小学校下級の生徒

 順に説明しよう。

 (i)田舎にいる生徒
 都会にいる生徒ならば、エリート校に通えばいい。だが、田舎にいる生徒は、都会にあるエリート校に通学することができない。距離が遠くて、通学は無理だ。
 となると、代案としては、都会のエリート校のかわりとして、近場の上級学校への飛び級入学がよさそうだ。たとえば、上の (2) の神童の場合には、数学の才能が傑出していたようなので、数学だけは高校または大学に飛び級ふうに学ぶといいだろう。
 ただし、学籍全体をずっと上に上げるのは妥当ではなさそうだ。国語や英語はまた別だろうから、そちらについては別途、適切な措置を取る方がいいだろう。
 例。小学校では1〜2年の飛び級にするが、数学だけは大学または高校でマンツーマンふうの勉強を受ける。

 (ii)小学校下級の生徒
 小学校下級の生徒は、都会であっても、通学に電車を使うのは大変だ。幼少の電車通学は、できないわけではないが、あまり健全なことだとは思えない。
 小学校下級の生徒で特別な才能がある場合には、飛び級の措置を取ってもいいだろう。あるいは、個別にマンツーマンの教育をしてもいい。
 上の (2) の神童の場合には、「小学校に入る頃に分数の勉強を終え、小4の途中で高校の微積分を終えた」とのことだった。これは自力で学習できたようだから、その後の数学の学習も、自力でやってもよさそうなものだ。大学の解析学の勉強など。
 ただ、国語や理科や社会の学力がどうであったかが不明なので、どういう措置が最善かは判断しがたい。ちょっと見た感じでは、数学だけが傑出していて、他の学科は単なる優等生レベルであったようだ。
 ならば、学年全体を一挙に大幅に飛び級にするよりは、算数だけで特別な対処をするという方策がよさそうだ。
 ただし、学年全体を1〜2年ぐらい上げるという飛び級ならば、それなりに適切な措置だと言えるだろう。(小学1年のときに小学2年にして、小学2年のときに小学4年にして、小学3年のときに小学6年にする、というような飛び級措置。)

 というわけで、以上の(i)(ii)の措置により、
  ・ 田舎にいる生徒
  ・ 小学校下級の生徒

 に対しては、「飛び級」などの措置を取ることが、かなり役立ちそうだ。(エリート校には通えない、という制限下で。)

 結局、エリート校を設置するのが最善ではあるが、それを利用できないという制限された環境では、補完的な措置として、飛び級を利用してもいい、と言えるだろう。

 なお、飛び級が最善の措置ではなく、次善の措置である、ということは、次のことが理由だ。
 「飛び級では、まわりにいるのは、年長の凡人ばかりである。前述の佐藤和俊という人は、千葉大学の工学部に日本初の飛び級で入学し、大学院に博士課程まで進んだそうだ。( → 出典 ) だが、千葉大ぐらいでは、そこにいるのは凡人ばかりだろう。そこには傑出した才能を持つ仲間はいない。そういう場では、才能を伸ばすことはできない」

 つまり、「高校から千葉大へ」というような飛び級(飛び入学)は、有害無益だと言えるだろう。どうせなら、エリート高校から東大に行くべきだった。あるいは、海外の大学に留学するのでもよかった。
 飛び級というのは、やるにしても、小学生レベルに留めるべきだろう。高校以上になれば、千葉大に飛ぶよりは、筑駒あたりに入ることをめざすべきだ。
( ※ ただし千葉県内から筑駒に通学するのは、たぶん不可能だ。通学時間1時間県内という受験制限があるからだ。)
( ※ 一方、筑波大付属高校ならば入学可能かもしれない。付属高校では「浦安市、市川市、松戸市、流山市、柏市」が千葉県内の受験可能地域だ。 → 公式 、一方、付属高校の方は、寒雷範囲が広いようだ。  → 知恵袋受験ナビ


tukubahu.jpg
筑波大付属中学・高校



 [ 付記 ]
 前項や本項では、「エリート校の必要性」を強調した。「優れた仲間と出会う場が必要だ」と。
 では、その意味は何か? よく考えてみると、たぶん、こうだ。
 「自分よりも圧倒的に優れた才能と出会うこと」

 これだ。これこそが重要だ。
 先に示した田舎の神童も、このような出会いの場があったなら、「自分は神童だ」などと自惚れるかわりに、「自分よりも圧倒的に優れた同輩がいる」と知って、衝撃を受けただろう。そして、やる気をなくしてサボるかわりに、「何とかして自分も彼らに追いつきたい」と望んで、必死に努力しただろう。
 そういう場を与えることこそが、行政の役割なのだ。




 [ 余談 ]
 筑駒は、通学が部分的に不便になった。渋谷駅の改築で、東横線が地下深部に潜ったせいで、渋谷駅では東横線から井の頭線への乗り換えに、余計な時間がかかるようになったのだ。
 しかし、これへの対策が可能となった。渋谷駅で東横線から田園都市線に乗り換えて、池尻大橋から筑駒へ向かうといいのだ。





 ここで Google マップを見ると、不思議なことに、途中で経路の線が消えてしまう。人は空中をジャンプしなくてはならない。タケコプターでも使うことになるのか。(皮肉)



 【 関連サイト 】

 → カナダ在住・天才日本人少年の進学先が決定!頭脳の秘密は「早く寝る」こと - ライブドアニュース

posted by 管理人 at 23:07 | Comment(7) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
仲間と一緒が良い日本人に飛び級は向いていません。同級生の友人をすべて無くしてまで飛び級をする人は珍しいでしょう。また学習は段階的にプログラムされているので飛び級するとやはりどこかの段階が抜けてしまいます。飛び級は愚策です。
 日本の(理科系の)大学教育の問題は極めて簡単です。学生が勉強していません(東大、京大でも)。欧米の大学入学生の卒業率は50%位、日本は90%です。理系のすべての卒業生が量子力学を理解しているとは到底考えられません。日本の大学にはもう期待できません。できる学生はどんどん米国へ留学すべきだと思います。
Posted by よく見ています at 2022年09月06日 09:31
エリート校を作っても、卒業生の多数が町医者か歯医者では国全体で見て意味がないと思います。
優秀な人材を振り向ける先をどうするのかというグランドデザインと具体的な施作を用意するのが先決ではないでしょうか。
Posted by 愛読者 at 2022年09月06日 14:22
> 卒業生の多数が町医者か歯医者

 そんなエリート校はありません。東大医学部卒で、そんなことをしたら、馬鹿にされます。人数もほとんどいない。たいていは医学部教授か、理研の研究者になります。
Posted by 管理人 at 2022年09月06日 15:21
基礎研究に進む者は多くみて1割程度。(減少傾向ということなので近年は1割を切っていると思われる)
「医学科卒業後の進路はいろいろである。・・・臨床医を志すものが最も多く・・・基礎医学研究を志すものは次に多く、臨床医を経験した後に基礎医学研究に携わる者を加えると、これまで大まかに卒業生の約1割を数える。とはいえ近年は、基礎医学系教室における医学部出身者の割合は減少傾向であり、・・・」
https://www.m.u-tokyo.ac.jp/daigakuin/apply/faculty/3.html

医系技官(医師免許をもった官僚)の最大勢力は慶応大学医学部卒であり、東大も存在感はあるが…といったところ。
https://www.medical-confidential.com/2018/03/21/post-7055/

医学部教授の出身大学で見ても近年は東大卒がそれほど存在感を示せている感じでもない…
最近は東大以外の国公立私学は自学出身者を積極的に教授に登用するし、全国公募になっていることも珍しくない。
https://www.melurix.co.jp/kouryakuhou/kyoju/

東大医学部卒業生の半分は勤務医or開業医でしょう。市中病院の部長、院長はその地方の有力国公立大学が強いことが多いので東京、埼玉、新潟を除くと市中病院でも幅を利かせることができていません。(埼玉の国公立大学医学部は防衛医科大なので地元に医師を供給できず、医師真空地帯。新潟は伝統的に東大が医師派遣をしていることが多く、東大病院からの医師派遣が定期的に行われている)
Posted by とおりがかり at 2022年09月06日 23:32
 私のデータの出典は、筑駒の卒業生名簿のうちの医学部卒の人で、年齢も高年齢なので、 とおりがかり さんのデータ(近年の東大医学部卒)とは違っていましたね。
Posted by 管理人 at 2022年09月07日 00:35
 文中の (1) で例示した 佐藤和俊 という人の現在を報じる記事がある。やはりトラック運転手をしている。
  → https://x.gd/3ytv2

 ただし、そうなった理由は、飛び級が失敗したせいというより、大学院卒の就職難(ポスドク)の問題であるようだ。研究をしたかったようだが、公的な研究機関には職が見つからなかった。民間企業に入れば良かったのかもしれないが、30歳近い高齢だと、受け入れてくれるところも少ないようだ。
 大学入学時には年齢が若かったが、ポスドクで就職する頃には高齢化していた。いったん時期を逃がすと、日本では就職しがたい。

 一方、中国や米国では、院卒の研究者をとても高給で雇う。
  →  中国では https://x.gd/s7nt9 / 米国では https://x.gd/YbYvU 

 結果的には、日本の研究水準は大幅に没落して、トップクラスから滑り落ち、今では 12位の座に落ちた。
  → https://x.gd/jWVv2

 官民そろって研究者を冷遇する。「選択と集中」という国策のせいか。これも、安倍首相の遺産だ。
 
Posted by 管理人 at 2022年09月16日 07:51
 大学院卒が、日本では企業に歓迎されないが、米国では企業に歓迎される。そのわけは……という話。
 → 博士号取得者「日本企業では冷遇」「グーグルは好んで採用」…大きな“差”のワケ | 幻冬舎ゴールドオンライン
https://gentosha-go.com/articles/-/45428

 ※ 米国の大学院の方が、大学院生への面倒見がいいので、人材教育が確りしていて、卒業生も歓迎される……ということらしい。
Posted by 管理人 at 2022年09月16日 19:09
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