――
これが問題となるのは、このような子供が環境のせいで才能をつぶされることがあるからだ。それは、子供自身にとっても、社会にとっても、損失である。何とかうまく才能を伸ばせるようにできないか?
そこで「支援しよう」とする文科省の方針が出た。
「ギフテッド」と呼ばれる突出した才能を持つ子どもが円滑な学校生活を送れるよう、文部科学省は来年度から支援に乗り出す。周囲となじめず困難を抱える子のために、学習プログラムを展開するNPOなどの情報を提供。こうした子たちへの理解を深めるため教員の研修も充実させる。
文科省は事業化に向け、来年度の概算要求に関連予算を盛り込む。
ギフテッドの中には、記憶力や言語能力、数学力などが優れながら、こだわりの強さや注意力の偏りなどを併せ持つ子もいるとされる。いじめを受けたり、授業が退屈で不登校になったりする事例があり、こうした子が学校生活になじめるよう文科省は有識者による会議を昨年6月に立ち上げ、支援策を検討してきた。
有識者会議は7月、@特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進A多様な学習の場の充実B特性を把握する際のサポートC学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供D実証研究を通じた実践事例の蓄積――などを支援策の柱とする提言素案をまとめた。
( → 飛び抜けた能力、なじめない学校 文科省「ギフテッド」の子を支援へ:朝日新聞 )
このあと、朝日新聞が「ギフテッド」の特集シリーズ(全4回)を掲載した。
→ (ギフテッド 才能の光と影:1)IQ154、小学校が苦しくて:朝日新聞
→ (ギフテッド 才能の光と影:2)普通と違う、36歳で解けた謎:朝日新聞
→ (ギフテッド 才能の光と影:3)異能磨ける居場所、支えたい:朝日新聞
→ (ギフテッド 才能の光と影:4)才能は多様、教師のスキル高めたい:朝日新聞
→ 才能ゆえの孤立 「ギフテッド」が集まるバーで記者が考えたこと:朝日新聞
次のような事例が紹介されている。
学校には週に何度か行く。行かない日は美術館に行ったり、パソコンで映像作品を作ったり。
学校のルールになじめずに泣き、悔しい思いをしてきた。そうして、見つけたのが「選択的登校」だ。
体調や時間割をみて週3日ほど学校に行く。都央さんにとって学校は「ありのままの自分でいられない場所」だ。
学校は、苦しいことの連続。算数の答えの求め方は教えられた以外のやり方はダメ。黒板に書かれた通りにノートへ書き写さないとダメ。みんなと同じようにしないと叱られ、泣いて帰宅することもあった。ざわざわした教室にいるだけで疲れ果てた。
( → (ギフテッド 才能の光と影:1)IQ154、小学校が苦しくて:朝日新聞 )
退屈な授業。一度読めばだいたい理解できる教科書。なのに先生は、同じことを黒板に書いたり説明したりする。
授業中はプリントの裏に落書きをして時間をつぶした。勉強はしなくても、テストはいつも満点。
「みんなの『分からないこと』が分からず、話が合わない。浮いた存在だった。ずっと生きづらさを抱えていた」
IQの上位2%の人だけが入会できる国際組織「メンサ」の日本支部に入った。そこで出会った人たちと話をすると心地いい。
( → (ギフテッド 才能の光と影:2)普通と違う、36歳で解けた謎:朝日新聞 )
孫正義会長兼社長が私財で立ち上げた「孫正義育英財団」。
春山さんが出会ったのが財団という「居場所」だ。
生物の知識を医療に応用した研究を志望し、財団に応募した。財団に入ってから、年齢に関係なく興味がある分野で話が合う仲間に出会えた。
( → (ギフテッド 才能の光と影:3)異能磨ける居場所、支えたい:朝日新聞 )
高橋さんは3歳の頃に素因数分解ができるようになった。小学6年では、中高生が参加する数学オリンピックで小学生でただ一人予選を通過した。
卓越した数学の能力がありながら、小学校で同級生と同じ授業を受けた。「戸惑いがなかったと言えば、うそになる」としつつ、学校の授業は友人と楽しむものと気持ちを切り替えて出席していたという。
( → (ギフテッド 才能の光と影:3)異能磨ける居場所、支えたい:朝日新聞 )
有識者会議……の座長、岩永雅也・放送大学長(教育社会学)に話を聞いた。
――国が才能教育について議論するのは異例では。
才能教育という言葉には注意が必要ですが、初めてではありません。1998年度以降に千葉大学などで始まった「飛び入学」制度の前にも議論しました。……当時は日本の学年制度が他の先進国と比べて柔軟性がないと指摘され、規制緩和をすべきだという声を受けたものでした。
――今回の有識者会議の議論は、国が英才教育を与えるという方向性にはなっていないのですか。
そうなってはいません。例えばIQ(知能指数)のような単一の基準で才能児を選抜し、早い時期から英才教育を受けさせるといった議論はしていません。過度な競争が起きたり、入学者選抜に活用されたりする可能性があるためです。
才能は多様です。会議では、そうした多様な才能児にふさわしい効果的な教育機会を与えるために何をすべきか検討してきました。
( → (ギフテッド 才能の光と影:4)才能は多様、教師のスキル高めたい:朝日新聞 )
以上が報道だ。このあと、私の見解を述べよう。
――
結局、国は何をするのか? それは、冒頭記事の最後に記してある。再掲しよう。
@特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進A多様な学習の場の充実B特性を把握する際のサポートC学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供D実証研究を通じた実践事例の蓄積――などを支援策の柱とする提言素案をまとめた。
ここでは、「何をするか?」よりも、「何をしないか?」に着目しよう。シリーズの最後に、会議の座長が述べているが、こうだ。
早い時期から英才教育を受けさせるといった議論はしていません。過度な競争が起きたり、入学者選抜に活用されたりする可能性があるためです。
「早期英才教育はしない」という方針を定めた。その理由は、「過度な競争が起きたり、入学者選抜に活用されたりする可能性があるためです」という。
その上で、代案として、こう定めた。
才能は多様です。会議では、そうした多様な才能児にふさわしい効果的な教育機会を与えるために何をすべきか検討してきました。
知性の高さという一点よりも、知力の多様性に着目して、それぞれの個別の個性を伸ばそう……というものだ。
なるほど、これならば、「知性」ばかりに着目して、やたらと過剰な競争をすることが避けられる……と見込める。欠点がなく、長所だけがある。これなら、文句のない、満点の答申だろう。そういう狙いが透けて見える。
だが、私の意見を言うなら、こうなる。
「これは、いかにも凡人の考えた、愚劣極まりない方針である。凡人の都合ばかりが優先されて、肝心の神童のことはろくに配慮されていない。ひとことで言えば、「見当違い」「トンチンカン」と言うしかない。
そもそも、神童をどうするかを決めるのに、凡人がよってたかって議論しても、無駄というものだ。神童の方針を決めるのなら、神童だった人々に集まってもらえばいい。筑駒や灘高や理3の出身者に集まってもらえばいい。そうでない凡人が集まって、鳩首をそろえても、何の意味もないのだ。
次の話題もある。
→ 仕事では「よく分かってない5人」が一か月かけて検討した結果が、専門部署の人がホワイトボードにした殴り書き以下ってことは滅茶苦茶よくある
バカな素人が鳩首をそろえて何十日も議論しても、専門家が1分間で示す殴り書きにも及ばないのだ。
有識者会議で凡人が鳩首をそろえて何十日も議論しても、元神童が1分間で示す殴り書きにも及ばないのだ。
なぜか? 素人や凡人は、核心を逸らしてしまっているからだ。肝心の核心が何であるかも気づかないまま、そこから離れたところで、いくら議論をしても、ただの徒労(無駄作業)にしかならない。なのに、本人たちは自分たちの誤りを理解できないのだ。

子供時代のモーツァルト
では、正解は何か? あなたが元神童であるなら、すでに気づいているだろう。その正解は、すでに本項で示されている。では、どこに? 朝日新聞の特集記事のなかだ。そこでは神童の事例として、次のように示されている。[ 以下、再掲 ]
まずは、現状の不適切さ。
学校は「ありのままの自分でいられない場所」だ。
みんなと同じようにしないと叱られ、泣いて帰宅することもあった。ざわざわした教室にいるだけで疲れ果てた。
「みんなの『分からないこと』が分からず、話が合わない。浮いた存在だった。ずっと生きづらさを抱えていた」
卓越した数学の能力がありながら、小学校で同級生と同じ授業を受けた。「戸惑いがなかったと言えば、うそになる」としつつ、学校の授業は友人と楽しむものと気持ちを切り替えて出席していたという。
一方で、別の場所では、自分の居場所を見つけることができた。
IQの上位2%の人だけが入会できる国際組織「メンサ」の日本支部に入った。そこで出会った人たちと話をすると心地いい。
財団に入ってから、年齢に関係なく興味がある分野で話が合う仲間に出会えた。
( → (ギフテッド 才能の光と影:3)異能磨ける居場所、支えたい:朝日新聞 )
以上のことは何を意味するか? 次の二点だ
・ 掃き溜めに鶴
・ 木を隠すなら森の中
順に説明しよう。
(1) 掃き溜めに鶴
多くの神童が苦しんでいるのは、「凡人のなかで浮き上がってしまう」(浮いた存在になる)という孤独感だ。それは「掃き溜めに鶴」という状況だ。
そして、この不整合な状況を変えない限りは、問題は根源的に解消しない。この不整合な状況を放置したまま、「他の部分で補償の手当てをすればいい」というような弥縫策は成立しない。小ずるい大人たちは、自分たちの顔を立てるために、そういう弥縫策で済ませようとするが、それでは神童たちの問題は解消しない。
(2) 木を隠すなら森の中
神童は凡人のなかにいれば、浮いた存在になる。だが、神童を集めて、一緒にすれば、多くの仲間たちのなかにまぎれてしまう。砂漠に木が一本あれば目立つが、森の中に木があれば目立つこともない。「木を隠すなら森の中」と言えるのだ。
朝日の記事では、特定の分野で傑出した神童の例が示されていた。そういう神童は、凡人のなかでは目立つ。しかしその神童も、たくさんの神童が集まったなかにいれば、もはや目立つことはない。単に「個性が異なる一人」と見なされるだけだ。そうして「多くの仲間たちのうちの一人」となる。もはや浮いた存在にはならない。
――
以上のことからわかるだろう。
神童に対する正しい処置は、何か特別な教育を与えることではない。仲間を与えることだ。
コンピュータとか、数学とか、絵画とか、音楽とか、それぞれの特定分野における特定の専門教育を与えればいいのではない。そういうものは、欲しがるときに自分で選べるような環境を与えるだけでいい。あくまで自発的に選択できるようにするだけでいい。特定の英才教育などは必要ない。本人の意欲を助けるだけでいい。
一方、まったく別のことがある。それは、仲間を与えることだ。これこそが根本的に重要なことだ。自分とは異質で、自分とは別の分野にいて、それでも個性を発揮する仲間たち。そういう優れた仲間と出会って、それぞれの才能を尊重し、自分もまた仲間のように才能を発揮したいと願って、日々に努力する。……そういう環境を与えることが、何より大切なのだ。
――
有識者会議の人々は、「教育とは何か」ということを本質的に理解していない。教育とは教師が生徒に一方的に与えるものではない。教育とは環境を与えることなのだ。それは生徒が自発的に成長できる場だ。それは同類の仲間がたくさんいるからこそ成立する環境だ。
そして、そのような環境は、たしかに現実にある。たとえば、昔の日比谷高校がそうだった。その片鱗は、次の小説にも描かれている。
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また、その後のエリート校(たとえば灘や筑駒)は、そうであったようだ。私個人の体験を言うなら、筑駒というのは実際にそういう場だった。特に私のそばには、傑出した天才(東大模試で2位以下に大差を付けて満点近くを取った人)がいたので、非常に刺激を得た。また、超絶的なヒラメキをする数学の天才も、隣の席にいたので、大いに刺激を得た。
彼らの傑出した知性に圧倒されると、自分などはとうてい及びも付かないと感じた。そこで従来の方針を根本的に改めた。「真面目にガリ勉しよう」と思っていたのだが、それでは全然ダメだ。そこで、「物事の本質・核心をつかむ」という方針に転じた。そういう方針で以後は努力するようになった。(しかしそれはまた別の話だ。)
ともあれ筑駒では、教師から得たものはあまり多くなかったが、仲間から得たものは滅茶苦茶に多かった。それは、中学時代に「井の中の蛙」であった環境では、決して得られなかったものだった。
実は、筑駒の教師が与えてくれるものは、たいして多くない。受験勉強に類することは、ろくに教えてくれない。受験に有利かといえば、非常に不利である。受験勉強となるようなことは、学校では教えられず、自宅で自習するしかない。受験勉強だらけの灘高に比べれば、圧倒的に不利だと言える。それでも、卒業生に対する東大合格者の比率は、77%に達した。(私の卒業年では)……要するに、筑駒というのは、そういう学校なのだ。優れた教育をもたらされる場ではなく、才能のある生徒が集まる場なのだ。
そして、国や自治体がやるべきことは、場を提供することだけでいい。ただそれだけでいい。それだけをやれば、あとは生徒の自発性に任せていいのだ。
なのに、有識者会議は、その最も肝心なことを否定しようとする。なぜなら、彼らは凡人ばかりだからである。凡人というものは、神童には何が必要であるかを、まったく理解できないのだ。上の記事には、何が必要かがちゃんと書いてあるにもかかわらず、それを文字として読んでも、理解できないのである。そこが凡人の凡人たるゆえんであろう。
* * * *
なお、神童を集めるとして、その方法はどうするべきか?
実は、神童を選抜するのでなく、単に学力を見て、英才児の選抜をするだけでいい。ただの学力テストでいいのだ。学力テストで上位の上澄みをすくい取れば、そのなかに神童も入っているはずだから、それで済む。
ただし、選抜の時点は、小学校入学時ではなく、小学3年の修了時にするべきだ。それで、小学校上級(4〜6年生)のいる「上級小学校」の特別版のようなものを作って、各県に設置すればいい。東京には三つぐらいあってもいい。
このようなエリート学校は、私立でもいいのだが、私立だと金銭負担がかかるのが大変だ。やはり公立・国立にするべきだろう。
※ 小学1〜3年だと、通学が大変だという問題があるので、別の対策が必要そうだ。ただし親が金持ちなら、私立小学校に車で送迎するという手もある。公立なら、特別学級という手もある。
[ 付記1 ]
参考として、私立の学校を一つ掲げよう。渋谷教育学園の例だ。
→ 廃棄PCからスパコン製作 渋幕が育んだ東大の異才|NIKKEI STYLE
スパコンを製作する高校生で、神童と言える。それを学校側が支援した。その意味で、神童の特殊な才能を支援することが実現できている。
ただしそれは、この生徒が私立のエリート校に入学したからだ。もし親に金がなければ、この学校には入れなかったし、同じような支援を得ることもできなかった。親の金次第、という面があったわけだ。
その問題を、国や自治体が解消すればいいのだが、現実には、貧乏家庭の神童を救うどころか、むしろ、(エリート校から)排除しようというのが、有識者会議の方針だ。
[ 付記2 ]
上の神童は、コンピュータの分野で業績を上げたが、東大ではコンピュータを先行せず、航空宇宙工学を専攻することになった。これは案外、賢明な選択かもしれない。
実は、コンピュータの分野では、「若くして天才と呼ばれた少年」は、あまり大成しないことが多い。たとえば、コンピュータの分野の神童というのは、日本でもかつては何人か生じた。登大遊や、清水亮がそうだ。彼らは若い頃は天才プログラマーともてはやされた。だが、結果的には、「ちょっとした有名人」どまりで終わっている。世の中を変革するほどではない。
その意味では、ビル・ゲイツ、ジョブズ、孫正義のような真の天才とは、レベルが大違いだ。後者の三人は兆円単位の事業をなし遂げたが、「元天才プログラマー」だった二人の方は、一般世間ではほとんど名が知られていない。その程度の小さな影響力しかない。コンピュータ分野以外では、稲盛和夫のような大物もいたが、そういう大物と比較しても、元神童の二人はあまりにも小粒だ。( 成果よりも、enchantMOON という失敗例の方が有名なくらいだ。)
実は、ビル・ゲイツや孫正義は、その本来の事業分野だけでなく、他の分野でも圧倒的な知力を発揮していた。地頭のレベルが段違いに上だった。特定分野だけで傑出していたという、狭く偏っていた神童とは違った。本物の天才だった。
とすれば、特定分野だけで傑出した神童(ギフテッドともいう)は、天才として特殊な教育をするよりも、単にその分野でのびのびと振る舞えるようにするだけでいいだろう。コンピュータの才能であれ、音楽の才能であれ、数学の才能であれ、ことさら特殊な教育を詰め込むというよりは、その分野で自由にのびのびと学べる環境を用意するだけでいいだろう。
ただ、教育はことさら考慮しないとしても、仲間を集めることだけは必要だ。それこそが何よりも必要だ。
[ 付記3 ]
神童に特殊な教育を与えるとしたら、何よりも大切なのは、「柔軟性」だろう。一人一人の個性に応じて、与えるものを柔軟に変えて、最適のものをフィットさせるべきだ。
その逆が、硬直した画一的な教育である。あらかじめカリキュラムを決めて、それを全員に強制する、というものだ。……これをやると、多くの神童が脱落する。
以上の点をはっきりと自覚しておくといい。
[ 付記4 ]
筑駒では受験教育をしない、というのは、私の体験記だが、しかし、もう何十年も前のことなので、今では事情が変わったかもしれない。……そう思ったのだが、今でもやはり同様であるそうだ。下記に紹介記事がある。
――大学の合格実績とは直結しない授業内容なら、いつ受験勉強をするのでしょうか。
受験勉強らしい学習はそれほどしていません。
高い合格実績ばかり注目されますが、大学受験に特化した進学指導は一切行いません。
受験が終わった3月に生徒から結果の報告があって、担任が進学実績をまとめているのが現状です。
筑駒はいわゆる“受験校”ではありません。
( → 筑駒生は3カ月の受験勉強で東大に行く | 注目の中高一貫校 校長が語る我が校のDNA | 東洋経済 )
[ 付記5 ]
次の言葉もある。
「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」
※ 只の人というほどではなくとも、期待ハズレになる例は多いようだ。
[ 付記6 ]
次の話題が人気を呼んだ。
→ 超天才が地方の病院で臨床をしたり整形外科医でリハビリをしているが、優秀な人たちが医者になるって国家の損失なんじゃないかと思うときがある - Togetter
これと同じ話題は、本サイトでも扱ったことがある。
→ 天才は東大・理3に行くな: Open ブログ
この件で、はてなブックマークでは、「医学部を選ぼうと選ぶまいと、本人の勝手だろ。好きにさせてやれ」という反論もあったが、見当違いだ。上の話は、「本人がどの道を選ぶべきか」という話ではない。「優秀な人材の進むべき道が、医者の道しかないのは、国家的損失だ」という、国家設計の話だ。
そして、対策としては、「きみたち神童は、医学部以外に行け」という命令ではない。「神童たちの進むべき道として、医学部以外の道も提供せよ」ということだ。換言すれば、「医学部以外でも、医者並みに高給を払え」ということだ。
なお、米国の Google やアップルやテスラに行けば、年収 2000万円を大幅に越えて、医者よりも儲かる。だから、米国に行くつもりなら、医者にならなくてもいい。
ただ、そういうふうに人材の国外流出が続くと、日本はどんどん衰退していくことになる。その結果が、前項で述べたような、「日本の科学水準の急激な没落」だ。
貧すれば鈍す。そして、その責任は、国の制度設計にある。
[ 付記7 ]
ついでだが、フランスの フランス国立行政学院 のような、行政部門のエリート校を作るとよさそうだ。そうすれば、行政部門では、頭のいいエリートが牛耳るようになる。
近年の日本では、Dラン大学の卒業生である、安倍晋三や菅義偉のような低能の人物が首相となった。低能が日本を牛耳りつづけてきた。まったくひどいものだ。これを是正するには、フランス国立行政学院のようなものを日本に作るとよさそうだ。
ただし肝心のフランスでは、この組織を廃止することに決めた。フランス国内で「反エリート主義」が庶民の間で持ち上がったので、それに迎合するためである。とはいえ、それを決めたマクロン大統領自身が、フランス国立行政学院の出身なのだから、ヘソが茶を沸かすところだ。……自分への批判を逸らすために、自分の出身組織を犠牲にしたらしい。まったく、ずる賢い。変なところで、頭の良さを発揮しているね。
【 関連項目 】
本項の続編がある。
→ 神童をどう育てるか .2: Open ブログ
> 皆さん…足立区をなめないほうが良いです…。区営の「足立はばたき塾」では、経済的に塾に通えないが学習意欲の高い子達をかき集めて難関高校に向けてガツガツ受験指導しています。学力別4クラス編成で週1回数学100分、英語100分。理国社の講座や夏期講習、冬期講習もあり。授業料は無料。
> 受講者の声を読むと「授業レベルが高くハード」という感想があり、補習中心の無料塾とは一線を画します。注目したいのは塾生の進学先。毎年コンスタントに進学指導重点校に合格者を輩出。推進校まで含めるとかなりの合格者数。経済格差を乗り越えての進学校進学を徹底サポートするのが足立区です。
→ https://togetter.com/li/1939892
→そのとおりで、多くの生徒は塾に行きます。
鉄緑会指定校・在籍生徒数一覧(2022年8月現在)
筑大駒場 599 名
筑駒の中学、高校の定員はおおむね840名ですので70%くらいの生徒が「鉄緑会」という塾に行っていますね。
https://www.tetsuryokukai.co.jp/features.html
「鉄緑会」は高1前半に高3までのカリキュラムを終了し残り2年あまりを東大対策に力を入れる塾です。筑駒をはじめとした超一流校を「指定校」としていて原則的に指定校以外の入塾を認めていません。(自分の体感的にできの悪い生徒は駿台に行く印象をもっています)
もちろん鉄緑会はただの「詰め込み塾」ではなく、大学教養レベルの数理も扱うし、数学オリンピック予選、本選突破対策講座などもあり知的刺激は受けられると思います。
6年生の場合、「ぐんぐんクラス」(一番上のクラス)では「つるかめ算を連立一次方程式で解く」とか「フィボナッチ数列の紹介と自然界に現れるフィボナッチ数列(植物の葉の並びの関係など)」といった発展的な内容を取り扱っていますね。その一方で「じっくりクラス」(一番下のクラス)では九九の復習、繰り上がり、繰り下がりの習得が行われているようです。
新聞記事にあるようなギフテッドな子供の場合、「ぐんぐんクラス」でも物足りないでしょうから、別に集めて学校をつくる方がよいかもしれません。
太平洋戦争末期に「特別科学学級」というものがすでにつくられているので、こうした形もよいかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%AD%A6%E7%B4%9A
よくわからんので、調べてみたら、やはり土曜日が主体であるようだ。
https://senkiwork.com/entry-post-77065.html
だけど塾なんかに行っていたら、自分で参考書を読む時間が削られてしまう。時間が足りなくなってしまいそうだ。
横軸に高知能、縦軸に人見知り(人付き合い)の4象限で区分し、
少し知能があるけど、人見知りの子供を「この子はsavant syndromeのGiftedだ」と言い切る例を数例みましたが、冷静に他人から見ると、「オタク(マニア)ならではの知識」と「人見知り」というだけで、Giiftedじゃなかったです。
1000ポイント以上貰ってる人(Gifted)もあれば100ポイントに至らない人もいるわけで、それは仕方がないです。
でも、彼ら彼女らは100ポイント未満でもGiftedと信じています。