2022年09月01日

◆ ロシアに工業が育たなかったわけ

 (前項の続き)
 前項で述べたように、ロシアでは工業が育たなかった。そのわけは?

 ――

 前項で述べたように、ロシアは農業と資源輸出が産業の主体である。工業はろくに育たなかった。ここまでは事実だ。
 では、どうしてそうなのか? アジアでも南米でも東欧でも、他の地域では工業化が徐々に進んでいったのに、どうしてロシアだけは工業化が進まなかったのか?

 その理由は、先に述べたとおりだ。
 「ソ連時代には、工業は主としてウクライナが分担していたから」
 
 このことは、先に別項で説明した。そこから一部転載しよう。
 ソ連というと、複数の国からなる連邦国家であるように見えるが、現実にはロシアの勢力下にあった。その意味では「ロシア連邦」と言ってもいい。「ロシアと、ロシア勢力下の隣国」からなる連邦であって、各国は対等ではなかった。(ここを誤解している人が多い。)
 しかも、ソ連時代には、特異な事情があった。連邦の各国が分業みたいな役割分担の体制を取っていて、それぞれ得意な産業に集中するような感じがあった。なかでもウクライナは、ソ連の重工業を分担しており、ソ連という連邦国家における工業の心臓部を担当していた。
 ウクライナという国は、今では(ソ連解体後の混乱のせいで)貧困国のレベルにまで没落してしまったが、ソ連時代にはソ連のエースという感じの優等生だった。そのことは昔の中学の教科書にも記述されていたから、ソ連があった 1991年以前の中学教科書で地理を学んだ人なら、記憶に残っていそうだ。
 そして、ウクライナが没落した今現在でも、その意味合いは完全に失われたわけではない。ウクライナは今現在でも、ロシアにとってかけがえのない重要性を帯びている。
( → ウクライナ危機には?  1: Open ブログ

 ウクライナはソ連(ロシア連邦)時代から、連邦国家の工業部分を担当していた。だからウクライナ以外のロシアでは、工業があまり発達しなかったのだ。
 もっとも、そうだとしても、ウクライナとロシアが一体化している限りは、特に問題はなかった。工業がどの地域にあろうが、全体として工業が発達しているなら、それでよかった。
 ところがロシア崩壊後には、ウクライナとロシアは別の国家になった。そのあとも、ウクライナはロシアに貢献していたので、とりあえずはそれでよかった。
 ところが 2008年以後、世界は IT革命の流れに乗って、激変していった。従来の重工業が低迷する一方で、新たに電子産業・情報産業が繁栄した。この流れにウクライナは完全に乗り遅れた。従来型の古い重工業にこだわる一方で、電子産業・情報産業を発達させることができなかった。繁栄していた工業国家ウクライナは、時代遅れの停滞した工業国家になった。同時に、ロシアもまた、ロシアの勢力圏内(旧ロシア連邦内)で、工業という産業を失っていった。

 仮にロシアに「侵略」の意図があったなら、「繁栄した工業国家であるウクライナを奪い取る」という目的があったことになる。しかし、ウクライナはもはや「繁栄した工業国家」ではなくなっていた。どちらかと言えば、ポーランドやチェコの方が、ずっと繁栄していた。


3-GDP.png


 だから、どうせ侵略するのならば、これらを侵略する方がマシだった。しかし、ロシアはそうしなかった。ロシアの目的は「侵略」ではなかったのだ。では、何が目的だったか? 自国の「生存」が目的だった。つまり、他国の何かを奪うことが目的だったのではなく、自国の何かを奪われないことが目的だった。だから、すでに工業国家になったポーランドを「奪おう」とはせず、すでに工業国家の座から滑り落ちてしまったウクライナを「奪われまい」としたのである。……そこを足がかりにして、ふたたび工業国家の座に復帰するために。

 結局、ロシアにとってウクライナは「どうしても得たい宝」ではなく、「どうしても失いがたい(元)工業国家」だったのである。その思いは、いわば、望郷のようなものだ。ある種のセンチメンタリズムをともなう。
 そして、そのセンチメンタリズムの感覚は、プーチンの演説(開戦時の自己正当化)にも見て取れる。
  → ロシア大統領による演説(機械翻訳): Open ブログ
  → 前項の解説(プーチン演説): Open ブログ

 特に、次の部分が印象的だ。
 ウクライナは私たちにとって単なる隣国ではないことを改めて強調したいと思います。それは私たち自身の歴史、文化、そして精神的な空間の不可分の一部です。これらは私たちの同志であり、私たちにとって最も大切な人たちです。同僚、友人、かつて一緒に奉仕した人々だけでなく、親戚、血に縛られた人々、家族の絆もあります。
 太古の昔から、歴史的にロシアの土地であった場所の南西に住む人々は、自分たちをロシア人と正教会のキリスト教徒と呼んでいます。これは、この領土の一部がロシア国家に再加入した17世紀以前とその後のケースでした。
 一般的に言って、私たちは皆、これらの事実を知っているように思われます。これは常識です。それでも、今日何が起こっているのかを理解し、ロシアの行動の背後にある動機と私たちが達成しようとしていることを説明するために、この問題の歴史について少なくともいくつかの言葉を言う必要があります。
 それで、私は現代のウクライナが完全にロシアによって、より正確には、共産主義ロシアのボルシェビキによって作成されたという事実から始めます。
( → ロシア大統領による演説(機械翻訳): Open ブログ

 「ウクライナはロシアの一部だ」と、あくまで言い張っている。とうていウクライナ人には受け入れがたい発想だ。しかしプーチンの頭は、そういう頭になっているのだ。
 そして、そのことは、「ウクライナは長年、ロシア連邦の心臓部であった」(ロシア連邦の工業を分体していた)ということから来る。

 ロシアにとってウクライナはどうしても失いがたい地域となっていた.そして、それは、プーチンがロシアの工業化に失敗したことに根本原因がある。
 仮に、ソ連崩壊後に、ロシアが自国内で工業を十分に発達させていたのなら、今さら時代遅れの旧式の工業国家であるウクライナを欲しがろうとはしなかっただろう。しかし現実には違った。プーチンはロシアの工業化に失敗した。そこで、望郷の念とともに、かつてに栄光の工業国家であるウクライナを手中に入れることで、ロシアに工業をもたらそうとしたのである。……そんなことはとうてい不可能なことだ、と理解しないまま。

 ※ ロシアの産業政策の失敗が、戦争への道に至った、とも言える。一国の経済政策の成否が、世界的な影響をもたらす戦争に至るようになった、というわけだ。

posted by 管理人 at 22:43 | Comment(0) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
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