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理不尽な校則がまかり通っていることについて、従前からいろいろと批判されてきた。
そこでこのたび文科省は、これを制約する方針を示した。
文部科学省は26日、小中高校での生徒指導に関する教職員向けの手引書「生徒指導提要」の改訂案をまとめた。近年、校則が理不尽だとする議論が各地で起きたことを踏まえ、外部の目による評価が必要だとしてホームページでの校則の公開を促す項目を追加。いじめや発達障害、性的少数者の子どもに対する詳細な対応策も盛り込んだ。改訂は12年ぶり。近く文科省のホームページで改訂版が公開される。
■生徒指導提要改訂案のポイント
・学校内外の人が評価できるよう学校のホームページに公開
・意義を説明できないものは絶えず見直し
・見直しにあたり児童会・生徒会・保護者会で議論
( → 学校の生徒指導、国の指針改訂へ 不適切校則見直しへ生徒の議論促す:朝日新聞 )
好ましいことのように見えるが、上記の三点を見ると、たいしたことは決めていないようだ。「下着は白に限定」「カーディガンの着用は不可」「坊主刈りの強制」「地毛の茶髪は黒染めさせる」というような理不尽な校則について、「これは駄目だ」とは言っていない。つまり、上記の三点を満たしさえすれば、理不尽な校則がまかり通ることになる。
これでは、名目的には改善のように見えるが、「口先だけで改善しましたと言って、実態は何も変わらない」ということになりかねない。困った。
では、どうすればいい? そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。こうだ。
「校則の法的根拠を問い詰める」
校則の法的根拠は何か? ネットをググると、次の説明が見られる。
・ 諸説あって、定まっていない。(コトバンク)
・ 具体的な法律はなく、判例で定まる。校長に権限あり、と。(文科省)
要するに、定説はない。つまり、まともな法的根拠はない。
そこで、かわりに私が新たに主張しよう。こうだ。
「校長には校則を定める権限があるが、それは管理運営上に必要不可欠なものに限る。一方、個人の人権を制約するような校則は、憲法違反になるので、校長には定める権限がない」
ここでは「個人の人権」というものが来る。これは憲法で守られた重要な権利であり、校長の恣意的な解釈で制約されるようなものではないのだ。ありもしない法律によって無法に押しつけられる校則は、憲法で認められた人権よりもはるかに軽いのだから、ここでは憲法の方が優先されるのだ。……この優先順位を理解しよう。
( ※ 日本ではやたらと「人権」が無視されるから、ここでは人権が大事だということが意識されにくい。そういう現実がある。)
そして、その上で、「管理運営上に必要不可欠なもの」の条件を、次のように定める。
「その校則は必要不可欠なものであるから、教師もまたその校則に従う必要がある」
たとえば、「廊下を走るな」「朝は遅刻をするな」というような校則があれば、その校則を教師もまた守る必要がある。必要不可欠なものであるから、教師も守るべきなのは当然だ。
一方で、「下着は白に限定」「カーディガンの着用は不可」「坊主刈りの強制」「地毛の茶髪は黒染めさせる」というような理不尽な校則があれば、それを教師にも守らせることが必要だ。特に、校長もそれを守ることが必要だ。「管理運営上に必要不可欠なもの」だとするのであれば、なおさらだ。
※ 制服の校則があれば、各教師もまた制服を着るべきだ。
※ 坊主刈りの校則があれば、校長も坊主刈りにするべきだ。
※ 黒染めの校則があれば、白髪まじりの校長も従うべきだ。
現実には、そのような理不尽な校則(ブラック校則)は、「管理運営上に必要不可欠なもの」であるわけがない。そして、それについての解釈は、校長の恣意的な解釈で決めるのではなく、「教師もまたその校則を守るか」ということで決められる。これによって、理不尽な校則は自動的に排除されることになる。
かくて問題はうまく解決する。 Q.E.D.
困ったときの Openブログ。
[ 付記 ]
「生徒は自由に衣服を選ぶ権利がある」(そういう人権がある)
ということは、重要である。仮に、それが人権として認められないのであれば、次のようになってしまう。
「国民は自由に衣服を選ぶ権利がない」(そういう人権がない)
「政府は国民に制服を強制できる」(法律によらずに政令で強制できる)
たとえば、「人民服を着ろ」とか、「黒のタートルネックを着ろ」とか、そういうふうに強制できることになる。しかし、そんなことはとんでもない。
それゆえ、政府が衣服を強制する権利などはない。同様に、学校が制服を強制する権利などはない。
※ アップル社ではかつて、ジョブズが黒のタートルネックを制服にしようとしたが、社員の猛反発を受けて、それを撤回した……という経緯がある。
【 追記 】
地毛茶髪には黒染めの校則があるのに自分自身は黒染めをしていない校長(右端)の画像。
出典:毎日新聞
※ 訴訟の判決は、地裁、高裁、最高裁のすべてで、高校側の勝訴。地毛茶髪の生徒は敗訴。……人権の裁判では、政府側が必ず勝つことになっている。日本の裁判所は、人権についてはきわめて厳しい。
《 加筆 》
日本の裁判所がそういう現状である(憲法違反をのさばらせる)……ということだと、先に示した「 Openブログの名案」も、実効性がないことになる。ううむ。
さすがに、法の番人たる裁判所までが違憲行為を認めるようになると、 Openブログでさえも手が出せない。「法を守れ」が成立しないとなると、法の枠外のテロ行為でもするしかなくなってしまうが、そうも行くまい。
ここはやはり、文科省に頑張ってもらうしかない。「文科省は憲法を守れ」「人権を尊重せよ」というふうに、国民が圧力をかけるしかないようだ。そのための論拠として、本項は役立つ。
[ 余談 ]
翌日の項目では、スリランカ危機の話をした。
→ スリランカ危機の解決策: Open ブログ
そこでは香港についても言及したが、そのついでに、「中国は香港を弾圧してけしからん。中国は人権を尊重する意識がない」と感じて、「中国は西側諸国とは対極的な野蛮国家だな」と思ったのだが。……
そのあと、本項の校則の話と照らし合わせると、「日本もまた人権を尊重する意識がない」と気づいた。その意味では、日本も中国を笑えない。日本の最高裁判所や自民党の人権意識は、中国政府と同様だ。ひどいものだ。
「中国は西側諸国とは対極的な野蛮国家だな」というのは、正しくない。正しくは、「中国と中国は、欧米諸国とは対極的な野蛮国家だな」ということだ。グループの区切り方を間違えてはいけないね。

これは親自身が制服の方が楽だと思っているということとと、中学校から制服を廃止すれば、よほど生徒のレベルの高い学校でなければ秩序が保てないのではという暗黙の了解があるからではないでしょうか。
国を含む組織一般に見られることですが。
自分が従うことは全く考えてない(というか従わないことが本質)だから学校側から改善されるはずがない
あ、自民党の憲法改正案と同じだ。