戦争の目的は、何か? 当面の目的は「勝利」である。だが、戦争に踏み切るときの究極の目的は、「生存」である。「戦わなければ滅びる」という状況では、否応なく戦争に踏み切るしかないのだ。
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前項の続きとして、副次的な話をしよう。
朝日の記者は「戦争の目的は殺人だ」と思い込んでいる。これは吾人である。では、なぜ、そういう誤認をしたのか? それは、彼らのような反戦主義者が、日米開戦について、「日本が侵略を目的とした」からだと思い込んでいるからだ。
実際、「日本が侵略を目的とした」という解釈は、広く流布している。しかしそれは論理的にありえないとわかる。当時の国力は、日本は米国の 50分の1しかなかった。戦争をすれば必ず負けるということは、事前の調査研究でも判明していた。したがって「侵略のために日米開戦をした」ということは決してありえないのだ。
なるほど、結果的に、その後は緒戦で連戦連勝となり、侵略が実現した。が、それは当初の目的ではなかった。日本は、初めから「負ける」とわかっていて、それでもあえて、負けるべき戦いに突き進んだのである。(ここを勘違いしているのが、朝日などの多くの反戦主義者だ。)
では、日本は何のために日米開戦したか? 負けるとわかっている戦いに、なぜ踏み切ったか? それは謎である。困った。
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そこで、困ったときの Openブログ。真相を明かそう。こうだ。
「日本が負けるとわかっているのに開戦に踏み切ったのは、ただ一つ。生存のためである」
換言すれば、こうだ。
「開戦に踏み切らなければ、日本は生存することが不可能だった」
換言すれば、こうだ。
「米国は日本を何が何でも開戦に追い込もうとしていた。自分の方からは宣戦布告ができないので、日本の方に宣戦布告をさせようとしていた。そして、日本が宣戦布告をせざるを得ないように、あの手この手で圧迫してきた」
この件は、「石油禁輸」や「ハル・ノート」などで、実証されている。詳細は下記ページに記したとおりだ。
→ 正しい戦争と第二次大戦: Open ブログ
米国は滅茶苦茶に厳しい条件を突きつけて、日本を開戦に追い込んだ。だが、これを見てもなお、「日本は開戦に踏み切るべきではなかった」と思う人もいるだろう。
よろしい。たしかにそういう人はいた。特に、平和主義者の人がいた。それは、ほかならぬ昭和天皇である。その少し前に、日本が日米開戦を決めたとき、天皇は「立憲君主制」の信念をあえて押し曲げて、まったく異例ながら、天皇の個人的判断を押しつけた。「戦争に踏み切るな」と。……これが「白紙還元の御諚」である。( → 上記項目 )
だが、日本が開戦を中止したと知った米国は、いっそう強力な方針を押しつけた。それが「ハル・ノート」だ。とすれば、仮に「ハル・ノート」に対して、素直に「わかりました」と言ったら、どうなるか? 「日本は全ての権益を返上します。白人諸国に屈服して、あらゆる権益を差し上げます」と言ったら、どうなるか? それで戦争は避けられるか? いや、避けられない。
米国としては、何が何でも日本を宣戦布告に追い込む必要があった。とすれば、日本が「ハル・ノート」を受諾しても、さらに次々と強力な要求を突きつけるだろう。最終的には、日本が滅びるという条件を出してまで、強力な要求を突きつけるだろう。……とすれば、日本としては、残された道は二つしかない。「日米開戦」か「日本滅亡」である。そして、そうとなれば、「日米開戦」を選択するしかないのだ。(米国がそう仕向けたからだ。)
結局、日本が「日米開戦」を選択したのは、「侵略」のためではなく、「生存」のためだった。「開戦するか、さもなくば、滅亡するか」という二者択一のなかで、「生存」を選んだときに、「開戦」に踏み切らざるを得なかったのだ。
そして、日本をそこまで追い込んだのは、米国だった。では、なぜか?
実はこのとき、米国は、「日本を開戦に追い込むか」、または、「米国自身が滅亡するか」という、二者択一の状況にあった。そして、米国が「滅亡」を避けて、「生存」を選んだとき、米国にはもはや「日本を開戦に追い込む」ということ以外に、選択肢はなかったのだ。
その詳しい事情は、上記項目 に記したとおりだ。
※ 要旨
上記項目の要旨は、こうだ。
当時は欧州でフランスが陥落して、ナチスドイツの勝利は決定的であった。このままではナチスドイツが強力化して、米国以上の大国となり、米国はナチスドイツに支配されることになりそうだった。それを避けるには、ナチスドイツが巨大化する前、つまり、今すぐに、米国がナチスドイツを攻撃するしかない。
しかし米国内では、厭戦気分が支配的であって、米国から宣戦布告することは不可能だった。一方、ドイツが米国に宣戦布告するはずもない。どっちもダメだ。
となれば、残る策はただ一つ。ドイツの同盟国である日本に、宣戦布告させることだ。そうすれば自動的に、米国はドイツと戦争を始めることができるからだ。……これが米国の対日方針の理由である。
結局、当時のアメリカは、自国が生存するためには、日本を開戦に追い込むしかなかったのだ。アメリカもまた、戦争を始めようとしたときの目的は、自国の「生存」だったのだ。そして、そのために、日本は踏み石にされたのである。大国の都合のために。
【 追記 】
「戦争の目的は生存だ」という見解に対して、疑問を感じる人もいるだろう。
「今回のウクライナ戦争で、ロシアの目的はウクライナ侵略であったはずだ。それは悪質な領土的な野心であって、自国の生存という正当な目的とは違うはずだ」
と。
なるほど、それはありがちな発想だ。だが、そういう発想をしているから、今回の戦争を防げなかったのだ。事実を根本的に誤認しているからだ。
今回、ロシアがあまりにも馬鹿げた戦争を始めた理由は何か? 実は、それは日米開戦という無謀なことを仕掛けた昔の日本と同様だった。ロシアもまた「生存」を目的として、否応なしに戦争に掻き立てられたのだ。そのことは前に詳しく説明した。そちらを読んでほしい。
→ ウクライナ危機には? 1: Open ブログ(2月01日)
そこで示したことは、ウクライナ戦争のきっかけは「ウクライナの NATO加盟だった」ということだ。「ウクライナの NATO加盟」は、ロシアにとっては自分の体の一部をもぎとられるような痛みと感じられた。ウクライナ人にとってはウクライナはロシアとは別の独立国だが、ロシアにとってはウクライナはロシア連邦(CCCP)の一部となるものだった。それは実質的に、自らの支配下となる自国領の一部だった。なのに、西側はそこに手を突っ込んで、ロシアからもぎとろうとしている。それが「ウクライナのNATO加盟」だった。
現実には、「ウクライナのNATO加盟」は手続きが進んでいたわけではない。だからこの問題で戦争をする必要はなかった。しかしプーチンは「西側はウクライナをもぎとろうとしている」と疑心暗鬼になった。そこで「ウクライナのNATO加盟を否定せよ」と要求した。これに対して、西側は「はい」と言えば済んだはずだ。そんなことは俎上になるような問題ではないからだ。なのに西側は「ウクライナのNATO加盟を否定しない」という方針を取った。これをもって、プーチンは「西側はウクライナをもぎとろうとしている」という確信を持った。それは「ロシアの一部をもぎとろうとしている」ということなのだから、「ロシアの生存を脅かされる」ということだった。だからロシアは「生存」を目的として、否応なしに戦争に踏み切ったのだ。
これが、上記項目で説明したことだ。
このような西側の方針に対して、私は批判した。
「西側もロシアも、こんなことで争うな。このような小さな争点で、人類全体の存亡を賭金とするポーカーをやるべきではない」
西側とロシアは、どちらもが自分の方針を頑固に守ろうとして、相手の言い分に耳を傾けようとしない。特に西側は、ロシアの心配をまったく理解しようとしない。ロシアは崖っぷちまで追い詰められていて、今にも断崖から落とされそうになっている、と自国の状態を感じているのだが、その心配をまったく理解していない。そこで、「小さな争点でも決して譲るまい」という方針を取ることで、戦争にむかって進みつつある。だから私は批判した。「このような小さな争点で、人類全体の存亡を賭金とするポーカーをやるべきではない」と。
→ ウクライナ危機には? 2: Open ブログ(2月06日)
これが 2月06日。その時点では、まだウクライナ戦争は回避できた。そもそも「ウクライナのNATO加盟」は、原理的に不可能だったのだ。
→ ウクライナ戦争 4(直視): Open ブログ
西側は、ロシアの要求に「はい」と言うだけで、戦争を回避できた。だから西側は「はい」と言えば良かったのだ。なのに、そうしなかった。かくて双方は不可避的に戦争に向かって突き進んだ。戦争はどうにも避けがたい状態となった。
米国は、そのことに気付かない。自分たちは民主的で平和的な手段を取っていると思い込んでいる。ここまで米国が阿呆だと、武力衝突は不可避だし、場合によっては第三次世界大戦が起こりかねない。
( → ウクライナ危機には? 1: Open ブログ )
2月01日の時点で、「武力衝突は不可避だ」と記している。このように、戦争はとっくに予想済みだったのだ。本サイトでは。
※ そして、戦争の目的は、「領土的な野心」や「侵略」ではなく、単に「自国の生存」を目的としていたのだ。……なのに、それを理解しない西側が、ロシアを戦争に駆り立てたのだ。(上記ページ)
[ 余談 ]
それにしても、プーチンが戦争を決めたことには、かなり無理がある。西側の反発はわかりきっていたのに、どうしてこんな無理なことをしたのか? ……そう考えると、次の推測が思い浮かぶ。
「プーチンは、癌などの重病にかかっていて、寿命が近づきつつあった。自らの死に脅えると同時に、ロシア崩壊の危険にも脅えた。二つの恐怖が同時に押し寄せて、強迫神経症気味になって、とんでもない方向に判断が暴走した」
これの裏付けとなることがある。プーチン重病説だ。
→ 「プーチンは4月に進行がん治療」「3月に暗殺未遂」米機密情報のリーク内容
→ プーチン氏は「血液のがん」か オリガルヒ発言の録音を引用 英紙報道
→ プーチン大統領、進行がんのため余命3年?すでに影武者も?ロシア外相は健康不安説否定
→ プーチン氏病気説を裏付ける情報なし=米CIA長官 - BBCニュース
※ 否定的見解もあるので、はっきりと断定はできない。