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朝日新聞の記事
朝日新聞が紹介している。
核兵器によって敵を抑止しようという考え方は、1945年8月の広島・長崎への原爆投下後に理論化が進んだ、と防衛研究所戦史研究センター長の石津朋之さんは言う。
核兵器で報復されるという恐怖を敵国に抱かせ、攻撃的な行動を思いとどまらせる。それが「核抑止」だ。わずかな時間で国家の中枢を破壊し尽くす核兵器の強大な力を背景に、冷戦期の「恐怖の均衡」が形成されていった。
抑止の戦略は核抑止だけではない。通常兵器による抑止は通常抑止と呼ばれ、各国が安全保障の政策に取り入れている。
石津さんによれば有史以来、抑止と呼べそうな戦略は多く採用されてきたが、失敗例は多い。当事国が双方の行動の意図を理解し、合理的に行動しなければ抑止は機能しないという。
それでも石津さんは、「戦争を起こさないためには、問題含みでも、抑止に頼らざるをえない」と言う。敵対する国家や集団に抑止がきかないと考えると、相手が攻撃してくるかもしれないという恐怖に駆られ、手遅れになる前に先制攻撃しよう、という思考に陥ってしまうからだ。
抑止は攻撃が現実に起きないようにする戦略であるがゆえに、有効に機能しているかどうかを見極めるのが困難だという。失敗は、すなわち戦争の勃発という形をとることになる。
それでは抑止戦略は、どのように立てられるのか。
冷戦期以後、米国の抑止戦略に影響を与えてきたのは「ゲーム理論」だと、早稲田大学の栗崎周平准教授は言う。安全保障環境を数学的なモデルで表すことで、抑止戦略の帰結を具体的に論じることができる。
その特徴は自身の選択が、相手の行動に与える影響を予測する点にある。
( → 「抑止」、追った先にあるもの 核の報復による「恐怖の均衡」、冷戦期に形成:朝日新聞 )
以上は基本的概念の説明と言える。
相互確証破壊
上記の発想に基づいて、「相互確証破壊」という概念が形成された。Wikipedia から引用しよう。
核兵器を保有して対立する2か国のどちらか一方が、相手に対し先制的に核兵器を使用した場合、もう一方の国家は破壊を免れた核戦力によって確実に報復することを保証する。これにより、先に核攻撃を行った国も相手の核兵器によって甚大な被害を受けることになるため、相互確証破壊が成立した2国間で核戦争を含む軍事衝突は理論上発生しない。
例えば、米ソ間に相互確証破壊が成立した冷戦後期以降、この2ヶ国間では直接の軍事力行使は行われていない。アメリカ合衆国のロバート・マクナマラが1965年に打ち出した。
( → 相互確証破壊 - Wikipedia )
(相互確証破壊は)先制奇襲による核攻撃を意図しても、生残核戦力による報復攻撃で国家存続が不可能な損害を与える事で核戦争を抑止するというドクトリンである。
( → 核抑止 - Wikipedia )
つまり、先制攻撃に対する「報復」を予告しておくことで、相手の先制攻撃を抑止する、という手法である。
しっぺ返し戦略
相互確証破壊は、ゲーム理論ではどう扱われるか?
ゲーム理論には「しっぺ返し戦略」というものがあり、これが「相互確証破壊」におおむね相当する。
世界中の専門家から集められた戦略をリーグ戦方式で対戦させる選手権が2度開催されたが、2度ともしっぺ返し戦略が優勝している。
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しっぺ返し戦略では、
・ 1手目は協調を選択する。
・ 2手目以降では、相手が(直前に)出した手と同じ手を選択する。
( → しっぺ返し戦略 - Wikipedia )
要するに、「目には目を、歯には歯を」という感じで、「協調には協調を」「敵対には敵対を」というふうにする。タカハトゲーム理論で言えば、「ハトにはハトを、タカにはタカを」という手法だ。
※ それを核戦争に当てはめれば、「核攻撃には核攻撃を」「全滅させようとするなら、全滅させてやる」ということになる。これすなわち、「相互確証破壊」と同義であろう。
主人と奴隷戦略
Wikipedia の続きには、こう記してある。
(しっぺ返し戦略は)2004年に開催された大会では主人と奴隷戦略に敗れている。
( → しっぺ返し戦略 - Wikipedia )
では、主人と奴隷戦略とは何か? Wikipedia にはこうある。
2004年に開催された「囚人のジレンマ」誕生20周年記念大会において、それまで最強とされていたしっぺ返し戦略とその亜種を破り、優勝を果たした。
( → 主人と奴隷 - Wikipedia )
具体的な手順もそこに記してあるが、やや面倒なので、私が要約すると、こうだ。
「相手が敵か味方かを見極めた上で、敵には敵対的行動を取り、味方には協調的行動を取る」
換言すれば、こうだ。
「相手がタカ的かハト的を見極めた上で、タカにはタカ行動を取り、ハトにはハト行動を取る」
しっぺ返し戦略では、相手の1回ずつの行動に応じて、こちらの行動を変化させた。
主人と奴隷戦略では、相手の属性を固定的なものだと見なして、タカ的人物であるかハト的人物であるかを見極めた上で、「タカにはタカを、ハトにはハトを」という固定的な方針を取る。
現実には、しっぺ返し戦略よりも、主人と奴隷戦略の方が優位だった。これはどうしてかというと、人間の属性というものが固定的であるからだろう。その場その場で「タカかハトか」が変わるようなことはなく、タカ的な人物は常にタカ敵であり、ハト的な人物は常にハト的である。そういう傾向が一般的に成立するからだろう。
( ※ タカ的人物を「共和党支持」、ハト的人物を「民主党支持」と考えると、それぞれが固定的であるということが十分に成立するとわかるだろう。)
仏の顔戦略
他に、私なりに考えると、次のような戦略も成立しそうだ。
「少しぐらいは裏切られても、甘い顔をしているが、何度も裏切られたら、堪忍袋の緒を切らして、徹底的に攻撃する」
つまり、「仏の顔も三度まで」(または六度まで)というような戦略だ。これを「仏の顔戦略」と呼ぼう。
この戦略は、相手がハト的であれば、うまく協調的な共同行為に至る可能性が高まる。
一方、相手がタカ的であれば、被害額が三度分(または六度分)だけ増えるが、最終的には双方が破滅であるから、三度分(または六度分)の損失はあまり意味がない。
※ 損失が 1000万円か、1003万円か、1006万円か、というのは、あまり意味がない。
戦略の限界
「しっぺ返し戦略」「主人と奴隷戦略」「仏の顔戦略」
という三つの戦略をすでに示した。
だが、通常戦争から核戦争へ移行するときには、これらは有効だとは言えない。なぜなら、通常戦争がなされている時点で、相手はすでに「敵」であることが判明している。相手が「敵」であるならば、こちらは「タカ」戦略を取るしかない。上の三つの戦略のいずれであっても同様だ。こちらに「タカ」としてふるまう「敵」に対しては、こちらもまた「タカ」戦略を取るしかない。
しかし、核戦争において、双方が「タカ」戦略を取れば、「タカ」と「タカ」で、双方が大量の核使用をすることになる。
つまり、通常戦争から核戦争へ移行するときには、「しっぺ返し戦略」「主人と奴隷戦略」「仏の顔戦略」といういずれの戦略も無効である。そのいずれであっても、結果は人類滅亡となる。

ゲーム理論の限界
では、どうしてそういう結果になったのか? どの戦略であっても無効であるとしたら、ゲーム理論そのものが無効であるのだろうか?
「イエス」と答えていい。つまり、核戦争を抑止するためには、ゲーム理論は無効なのである。どのような戦略を出そうが、核戦争を抑止するには役立たないのだ。
では、なぜ?
その理由はこうだ。
ゲームというものは、繰り返せる。1回負けても、次の回がある。「しっぺ返し戦略」「主人と奴隷戦略」「仏の顔戦略」のいずれであっても、負けたあとには次の回でやり直せる。
核使用は違う。1回きりだ。1回でも核使用があれば、人類絶滅となり、ジ・エンドとなる。「諦めたらそれで試合終了ですよ」みたいな言い方をすれば、「核戦争をしたらそれで人類終了ですよ」となる。ここでは、双方が負けて、次の回などはない。1回限りなのだ。そして、1回限りとなる戦いでは、やり直しの利くゲーム理論は適用できないのだ。「今回負けたあとで、次の回で勝つには?」というような戦略は、すべて無効なのだ。
これがつまり、「ゲーム理論は核抑止には意味がない」ということの理由だ。
結局、「核抑止のためにゲーム理論で考えよう」という発想そのものが、根本的に間違っていたことになる。(意外な真相)
では、どうすればいいのか? 核抑止のための理論を探ろうとして、ゲーム理論に頼ろうとしたのだ。なのに、そのゲーム理論は核抑止のためには役立たないと判明した。せっかく頼ろうとしたものが役立たずだ。このままでは人類は滅びるしかない。困った。どうする?
対策
そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。……と言いたいところだが、それは新たに出すまでもない。すでに過去記事で提出している。
→ 核禁止のシステム: Open ブログ
ここでは次の趣旨のことを述べた。
(1) 核戦争の回避のために、核廃止をすることは無効である。たとえ核廃止を実現しても、いつでも核を再開発できるからだ。「なくせばなくなる」と思うのは早計だ。たとえ核をなくしても、核はいつでも再出現するのである。
そして、いったん核がなくなったあとで、新たに核を保有するものが出現すれば、その保有者は、世界の支配国となれる。たとえば、北朝鮮が世界を支配できる。……それこそ最悪だろう。
(2) そこでかわりに「核同盟」を構築すればいい。「どこか1国が核の被害を受けたなら、他のすべてが攻撃者に報復する」というシステムだ。(同盟の一種)
これは「相互確証破壊」の拡張だ。従来の「相互確証破壊」は、「1国対1国」という関係にあったので、双方が核の軍拡に進みがちだった。しかし、「核同盟」を成立させれば、多数の国が分散して同盟に参加するので、核の軍拡は必要ない。大切なのは、軍拡よりも、分散だ。それによって「相手の報復から生き残る確率」が高まるからだ。
この「核同盟」に対抗する方法はただ一つ。ある国が自国以外の全世界に対して先制攻撃をすることだ。たとえば北朝鮮が、自国以外の全世界に対して一挙に大量の核兵器を使用して、自国以外のすべてを滅ぼすことだ。……しかし、そんなことをすれば、自殺行為も同然だろう。比喩的に言えば、「核戦争のあとで自分一人が生き残ったので、自分が世界を支配できる」というようなものだ。そんなことをしてもナンセンスなのだ。
かくて「核同盟」という新たな発想を取ることで、「核抑止」が可能となる。
「核抑止」を可能とする理論は、たしかにあるのだ。
ただしその理論は、ゲーム理論から生まれるのではない。ゲームは多数回を実施できるが、核戦争は1回限りのものであるからだ。1回限りのものに対しては、多数回を実施できる理論は無効なのだ。かわりに、「1回限り」という点に着目した理論が、ここでは有効となる。
[ 付記 ]
「核同盟」の発想は、ゲーム理論で解釈するならば、プレイヤーが「1対1」の関係にはなく、「1対多」の関係にある。
このような関係は、プレイヤーの数を変動させることになるので、普通のゲーム理論を拡張したものだとも言えそうだ。ただし、そこでは「多」の意思がゲームを左右するわけではなく、「報復」だけがゲームを左右する。その意味では、本来のゲーム理論とは違っている。
このような発想は、ゲーム理論とは別のものだ、と考えた方がいいだろう。「1回限り」という点でもそうだが、「核抑止」にはゲーム理論は適していないのである。
※ この特性は、「1回使えば世界が滅びる」という核の特性による。核以外の通常戦争ならば、多数回の実施が可能なので、そこではゲーム理論も有効となる。(それぞれ事情が異なるわけだ。)
※ ちなみに、ウクライナ戦争では、ゲーム理論が大きな成果をもたらしている。それは「タカ・ハト・ゲーム」における「ブルジョワ戦略」だ。これが有効だと示したことは、ゲーム理論の偉大な成果だ。……ただし人類は、ゲーム理論を現実に生かすほどには、賢くない。真実を見出しても、それを理解して利用することができない。
しかし、人類は何度戦争してもどれだけの死者を出しても、やめられない種族なんですね。
原発推進or反対の議論にも似た面があるような気がします。重大事故は「1回限り」でその地域一帯を長期間使用不能にしてしまうため、通常の大事故と同じ理屈で議論しようという発想が適用しにくい、と。
地震など自然災害も少なく事故領域を何百年も放棄しても構わない広大な国土を持つ国ならば、何回も試してみることができそうですけど。
分散されれば、核の総数を減らすこともできます。総数を増やさなくても、(分散によって)生残数を増やせる。
その意味では、日本も核を持つ方がいい。ただし単独で持つのではなく、「核同盟」の傘下に入ることが必要。
なお、「多対多」のあとで、両者が合併することもできる。合併する方が有利なのだから、合併の動機はある。
合併が不利なのは、先制使用する場合。合併が有利なのは、先制使用されてから報復する場合。