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ウクライナの ブチャ虐殺 がどれほどひどいものであったかは、あちこちで報道されている。ググればいくらでも見つかる。
問題は、そういう残酷な虐殺がどうして起こったか、だ。そこへの理解が足りない。
たとえば、朝日新聞の 15日の記事では、ブチャの現地を訪れたレポートがある。
イリーナは、通りの東の端の空き地で、黒こげになった6人の遺体を見つけた。
焼け焦げた4人の遺体について、住民らは同じうわさを口にした。ロシア軍はシャピロ家を拷問にかけ、タチアナの目の前で夫や息子の足を切断し、最後にタチアナも殺害した――。
「ロシア語を話す人は殺されない。ウクライナ語を話す人は殺される」との話を、住民は耳にした。ウクライナ系は、ロシアに反抗するウクライナ民族主義者と見なされるという。ただ、実際には両方の言語の話者が犠牲者に含まれる。
( → 「裏切り者が」住民は声を潜めた 拷問・虐殺、ロシア軍から聞き広まる? ウクライナ・ブチャ:朝日新聞 )
いろいろと断片的な情報が列記されているが、どうしてこうなったのかはよくわかっていないようだ。
ただし前日(14日)の記事には、ヒントとなる情報がある。
タチアナ(25)は3月9日夕、訪ねて来たロシア兵に「生き残りたいか」と問いかけられた。うなずくと「10分以内に出ろ」。着替えも用意できず、家族5人でこわごわと通りに出た。
白旗を掲げるよう指示され、タチアナの父ワシリー(52)は道端で拾った木の枝に孫の白い服をくくりつけた。ロシア兵の付き添いで、西に向かった。
真っすぐ進むよう兵士は指示し、英語で「グッドラック」と別れを告げた。
退避を促したロシア兵の親切心は、戦闘が激化しそうだからだと、多くの住民が信じた。しかし、別の理由だった可能性もある。
ワシリーは、退避を求められる直前、ロシア兵と路上で交わした会話を思い出す。「私たちはあと2、3日後に去る」。そう語る兵士は「私たちの次に来る部隊は……」と言いかけて、言葉をのみ込んだ。
「うーん、早く逃げた方がいい」
後続はよほどひどい部隊なのかと、ワシリーは思ったという。
最初に来た兵士らは、ロシア南部チェチェン共和国の出身だったと、住民の多くが語る。その部隊は3月12日前後に交代し、新たな部隊が地区に到着した。
指揮官は東洋系の顔立ち。ブチャ虐殺への関与が強く疑われる「第64独立自動車化狙撃旅団」の可能性が捨てきれない。
穏やかな兵士たちが「逃げろ」と警告したのは、この部隊が来ることを知っていたからではなかったか。
( → ロシア軍、最初は穏やかに見えた 「生き残りたいなら、10分で家を出ろ」 ブチャ虐殺:朝日新聞 )
同趣旨の情報もある。
おそらく当該部隊の構成員は、チェチェンやシリアの出身兵だと思います。ロシアの正規兵では、さすがに歴史的に親交が深いウクライナ人を平気で虐殺できないでしょう。民族のまったく違うシリアの傭兵なら、躊躇なく民間人を殺害できる。
( → 冷酷プーチンが虐殺部隊へ命じた非情な命令の「ヤバすぎる狙い」 | FRIDAYデジタル )
この記事では、残虐性について、こう記している。
〈ロシア兵が一軒一軒家を回り、地下室に避難している住民たちを引きずり出しました。彼らは、住民が持っていたスマートフォンをチェック。反ロシア的な書き込みがあれば、容赦なく殺害したんです。ある地下室からは、両手両足を縛られた18の遺体が見つかりました。中には子どももいた……。遺体の手足はバラバラに切断されていました〉
ウクライナ政府によると、キーウ近郊では400以上の遺体が見つかったという。下水道に投げ込まれたもの、頭にTシャツを被せられ後頭部を撃たれたもの、顔が陥没し犬に食べられた痕が見つかったもの……。街全体に、凄惨な光景が広がっていた。
こういうことができるのは、普通のロシア人ではなく、文化の違う別民族だった、というわけだ。
この残虐性については、ロシア政府も憂慮したらしい。国際的な非難を浴びることを防ぎたい。そこで、証拠湮滅のために、この部隊を消滅・全滅させることにした。同じ記事にはこうある。
ウクライナ国防省は、虐殺を行ったとされる「第64自動車化狙撃旅団」について驚きの情報も公開している。4月6日までに一旦ロシアに引き上げたが、プーチン大統領が2日間の休みを与えただけで再び東部ハリキウの最激戦地に投入したと指摘。
ほとんど休息なき、激戦地への再投入。プーチン大統領の強引ともとれる命令の裏には、非情な思惑があるという。ロシア情勢に詳しい、筑波学院大学の中村逸郎教授が語る。
「虐殺の事実を隠蔽するため、口封じをしようとしているのでしょう。最激戦に投入し、住民殺害の当事者たちを消そうとしている。国際社会からの批判を避けるための、無慈悲な命令です」
結果的には、この部隊は全滅した。
2022年5月8日、ハルキウ州の最前線に投入され、第93独立機械化旅団と交戦していたが、ドイツ在住ロシア人のセルゲイ・サムレニー記者がイジュームの戦闘で部隊が全滅したことを報告した。
( → 第64独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍) - Wikipedia )
ウクライナ・ブチャ大虐殺事件で、多人数レイプ、拷問、処刑活動を実行し、プーチンに賞賛され護衛隊に格上げされたとされるロシア軍第64独立自動車化狙撃旅団は、ハルキウのイジウムでウクライナ軍がほぼ全滅させたとの情報。 https://t.co/qUo6KvEFqi
— deepthroat (@gloomynews) May 8, 2022
この部隊は虐殺をしたことに、プーチンは大々的に称賛した。
→ ブチャ殺害疑惑部隊に名誉称号 「英雄的行為」と露大統領 - 産経
しかるに、国際的な非難を浴びると、プーチンは掌を返した。かくて、この部隊は部隊は全滅させられた。虐殺の証拠・証言となるものは抹殺された。
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さて。ここで問題なのは、「最初に来た兵士らは、ロシア南部チェチェン共和国の出身だったと、住民の多くが語る」という件だ。チェチェン人とは何か? なぜ彼らは残虐なのか? そのわけは、すでに知られている。
かつてチェチェン共和国では、独立運動があった。彼らはロシアを攻撃するテロ活動も行なった。そこで、ロシアは対抗上、チェチェン共和国を攻撃して、圧倒的に破壊した。国内の治安は保てなくなり、事実上の国家崩壊となった。そこで勢力を伸ばしたのが、親露派のカディロフだった。
モスクワではアパートが爆破されるテロ事件が発生し百数十名が死亡した。これを受けてロシア政府はチェチェンへのロシア連邦軍派遣を決定。ウラジミール・プーチン首相の強い指導の下、9月23日にはロシア軍がテロリスト掃討のため再びチェチェンへの空爆を開始……激しい絨毯爆撃や弾道ミサイルによる攻撃を行った。
チェチェン・イチケリア共和国は政府としての実態を保てなくなり瓦解。チェチェン親露派勢力(カディロフ派、ヤマダエフ派など)によるチェチェン共和国が成立した。初代大統領にはアフマド・カディロフが就任した(2004年にチェチェン独立派により爆殺)。
有力親露派勢力のカディロフ派はヤマダエフ派などの他の親露勢力を排除・粛清し、現在ではラムザン・カディロフによる強権支配が続いている。
( → 第二次チェチェン紛争 - Wikipedia )
このカディロフ派というのが、とんでもない残虐性を帯びていた。
38歳のカディロフ大統領は、父親のアフマド・カディロフ元大統領が2004年、チェチェン独立派の爆弾テロで暗殺された後、頭角を現し、07年に大統領に就任した。独立派をほぼ一掃したプーチン政権がチェチェンから軍を撤退させ、「チェチェン化政策」を進める中で、共和国の独裁者として君臨。支配下の部隊は殺人、強盗、誘拐、拷問などを行い、悪名高い。ロシアから流入する巨額の復興資金を独り占めしていると批判されていた。
プーチン大統領には忠誠を誓いながら、チェチェンに事実上の「独立王国」を形成。中央政界でも存在感を高めている。
( → チェチェン、拷問、ウクライナ……深まる「ネムツォフ氏暗殺事件」の謎 フォーサイト-新潮社ニュースマガジン:時事ドットコム )
「支配下の部隊は殺人、強盗、誘拐、拷問などを行い、悪名高い」というが、もともと生まれながらにしてそうだったわけではない。それをもたらしたのは、ロシア軍の特殊部隊( スペツナズ )による残虐性だった。
情報収集や秘密工作、暗殺などを行うスペツナズは、家族をロシア軍に殺害された復讐のために自爆テロ予備軍として活動する女性たちを殺害することを重要な任務としていた。
スペツナズは、夜明け前に大音量の音楽をかけながら装甲車でチェチェン独立派武装勢力の一味やそのシンパの民家を襲撃する。とらえたチェチェン人が口を割らない時は拷問。ワジムもチェチェン人の頭を金具で割ったり、処刑した遺体の顔と股間に爆薬をくくりつけ、地面に掘った穴の中で爆破したことがあるという。
チェチェン人に「悪魔」と呼ばれながらも、次々と殺人を決行する。戦場に戻ることはトイレに行くのと同じくらい自分にとっては生理的で、生きていくために必要なことだった。
( → 悪魔と呼ばれたロシア人兵士が語る本音。部下の脳みそをかき集めてまで戦場で得たものは… | ダ・ヴィンチWeb )
こういう残虐性をチェチェン人に施した。それを受けて、チェチェン人の親露派勢力は、自分たちも残虐性に染まりながら、悪魔のロシアに魂を売り渡して、巨額の利益を得た。
そのカディロフ派が、今回のウクライナ戦争に投入されて、ブチャで残虐性を発揮したのだ。
→ プーチン氏に尽くす残虐部隊「カディロフツィ」 ウクライナでも活動:AFPBB
→ チェチェン・カディロフ部隊が暗躍 キーウの民間人殺害に関与か:中日新聞
→ ロシア軍のウクライナ侵攻でチェチェンの特殊部隊「カディロフ部隊」が暗躍 キーウ州での虐殺にも関与か:東京新聞
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以上からして、ロシア軍によるブチャ虐殺の真相がわかるだろう。順序としては、こうなる。
- ロシアによるチェチェン人抑圧
→ チェチェン人の独立運動
→ ロシアによる独立運動弾圧
→ チェチェン人によるテロ
→ ロシアによるチェチェン攻撃・爆撃
→ チェチェンの国家崩壊
→ 国内の混乱
→ 親露派勢力(カディロフ派)の台頭
→ カディロフ派とロシア(プーチン)の結託
→ プーチンがチェチェン人部隊をウクライナに派遣
→ ブチャ虐殺
→ 部隊を前線に派遣し、全滅させる(証拠湮滅)
実を言えば、チェチェン人はもともと残虐な攻撃者だったのではなく、ウクライナのように侵略された、悲惨な運命を取った被害者だったのだ。ただし侵略された当時、国際社会からの支援はなかった。そのせいで、ロシアと結託したカディロフ派のような鬼子が台頭した。それが後年、ウクライナにおいてブチャ虐殺という悲劇をもたらしたのだ。
以上が真相である。この真相を知るには「チェチェン紛争」という概念が必要不可欠なのだ。それを知るには、ブチャの現況を見ればいいのではなく、過去の歴史を知る必要がある。
※ 「現地を訪れれば真実がわかる」というものではない。「現場百遍」は警察の捜査には役立つが、戦争の真実を知るには、現場よりも歴史が重要なのだ。
【 関連サイト 】
ブチャの被害跡地。(写真多数)
→ 「これはただの快楽殺人や…」ブチャを上回る“最悪の人的被害の街”ボロディアンカで報道カメラマン・宮嶋茂樹が撮った"無差別爆撃の惨状” | 文春オンライン
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