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ウクライナ難民を受け入れるのならば、ミャンマーなど、他の難民も受け入れるべきだ、という主張がある。
→ 定住認めビザ発給…ウクライナ避難民への支援は特例 「難民鎖国」の日本、他国民との公平性は保てるのか:東京新聞
ではなぜ、そうしないのか? 私が考える理由は、次のことだ。
(1) 特例
今回は、突発的な事態における特例だ。恒常的に続くわけではない。特別な異常事態に特別な措置を取る、というのは、不思議でも何でもない。
※ 東日本大震災で被災地に手厚く援助するという例もある。特別な事態には特別な対応をするのが当然だ。
(2) 数量が少
ウクライナ人の避難者の全数は、数十万〜数百万だ。国民全体が避難するわけでもない。日本に来る分は、たいした数にはならない。
アジアの難民全体を受け入れるとしたら、最大で数十億人になる。そのうち一部だけだとしても、1億人ぐらいになる。それを受け入れたら、日本を乗っ取られてしまう。
(3) 数量制限は不可
「だったら受け入れる数を制限して、受け入れればいい」という主張もあるが、これは最悪だ。
現実には、これで助かるのは1%未満であり、残りの 99%は捨てられる。こんな不公平なことをするくらいだったら、全員に少しずつ援助する方がマシだろう。
なのにこの方法がもてはやされるのは、「自分は援助をやっています」というフリをして、自分だけは善人になった気分になれるからだ。これを「偽善」という。
この方法は、「自分が善人になった気分がする」というので、自分たちにとってはとても気持ちがいい。自分は1円も払わず、国に金を払わせて、すごく善行をした気分になれるので、とても気持ちがいい。偽善者にはピッタリの方法だ。(だから、偽善者だらけの朝日新聞は、この方法をしきりに勧める。相手国民のためにやるのではなく、自分が気持ちよくなることが目的だからだ。)
( ※ 最善の方法は、ミャンマー(などの)悪徳政府を崩壊させるための努力をすることだ。市民への武器支援を含む。これは自分が殺人の側になるので、気分は最悪である。「いい気分になりたい」「善人のフリをしたい」という偽善者にとっては、自分の心の痛みを伴うので、最も耐えがたい。彼らは「自分たちの心が苦しむくらいなら、相手国民を見殺しにした方がマシだ」とさえ思う。結局、偽善者は自分のためにやっているにすぎない。)
(4) 敵との戦い
ウクライナ人は今回、命を賭けてロシア軍と戦っている。だからこそ、それを支援する意味を込めて、ウクライナ人避難者を受け入れる。
一方、ミャンマー人は、自分たちで独裁軍部と戦っているわけではない。命を賭けて戦っているわけではない。単に「助けて」とお願いしているだけだ。それでは支援する価値がない。
仮にミャンマー人が、独裁軍部や中国軍と戦うようになれば、西側が武器支援をしたり、難民を受け入れることも考えられる。しかし現状では、そうではない。自らの命を賭けた戦いをする人々でなければ、他人が救う価値もないのだ。(天は自ら助くる者を助く)
なお、ウクライナを支援することは、日本に敵対するロシアと戦う勢力(ウクライナ)を支援することになるから、日本にとっても有益である。「情けは人のためならず」なのだ。……その意味では、日本は武器支援を含めて、もっとウクライナを支援するべきだろう。さもなくば、ロシアが日本を攻める危険が増えてしまう。(サハリン2の接収など)
※ シリアの場合は、市民全体が「アサド独裁」に反対して市民戦争をするのならば別だが、現状では、一部のゲリラ組織(反政府の武装勢力)が戦っているだけだ。これでは市民全体を支援する意義がない。
※ シリアの場合は、欧米が下手な政治介入をしたせいで問題がこじれた。難民問題もそうだ。責任は欧米にあるので、欧米が自ら責任をもって対処するべきだ。日本は対応しなくていい。(欧州へのシリア難民流入は、自業自得と言える。)
