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文ちゃん(五十嵐文四郎)は、「家を継いで、ひなたと結婚する」と言った。ひなたが何よりも大切だから、結婚のために、役者になる道を諦めることにした、と。
ところが、ひなたはそれを止めて、「役者になる道を諦めるな」と言った。すると、文ちゃんはその言葉に従うことにしたが、同時に、ひなたとの結婚をやめることにした。
すると、ひなたは「ええーっ」と驚いた。「結婚したあとも役者をめざす」ように言っただけだし、結婚をやめろとは言っていないからだ。
同時に、視聴者も「ええーっ」と驚いた。ひなたと同じで、理解不可能になった。わけわからん、という感じだ。ネットにもそういう声があふれた。
その瞬間、五十嵐の心の中で決心がついたようだった。五十嵐は激しく泣きながら「俺、バカで明るいお前が大好きだ」とひなたを抱きしめ、「だからもう、一緒にはいられない。ひなた、もう傷つけたくない。傷つきたくない。ひなたの放つ光が、俺には眩しすぎるんだ」と、別れの言葉を口にした。
「一緒に東京に帰ってほしい」から「俺には眩しすぎるんだ」まで、わずか4分間。ひなたと五十嵐に訪れた突然の展開に、視聴者からも「…は?」「ええええーーーー!」「どうしてそうなっちゃう!?」「ひなたみたいな子とはもう巡り逢えないぞ!バカはお前だ、五十嵐…」と戸惑いの声が続出した。
( → Yahoo!検索ランキングでも「傷つきたくない」が急上昇ワード入りするなど注目を集めた。 )
「ひなたの放つ光が、俺には眩しすぎるんだ」というのが理屈だが、そんなのは理屈になっていない。全然、筋が通らない。滅茶苦茶すぎる。これはいったいどういうことだ? わけわからん。困った。
そこで、困ったときの Openブログ。うまく解説しよう。こうだ。
実はこれは、もともと筋が通らない話なのである。本当は、文ちゃん自身も、結婚するつもりだったし、もともと結婚するはずだった。
ところがそこに、ドラマの都合が介入する。登場人物自身は結婚したがっているのだが、ドラマの制作者の都合が介入するのだ。簡単に言えば、脚本家の都合だ。
どうことか? このドラマでは、三代の女性の人生が描かれる。そのうちの三代目(ひなた)が、今回は主人公だ。この主人公は、「未婚で活躍する」という設定になっている。専業主婦でもなく、子育てしながら働くのでもなく、独身で未婚のままハイミスになって仕事で活躍する。そういう設定だ。だから、そのためには、結婚してしまってはまずいのだ。
ひなたは最後のクライマックスで、1代目の祖母と再会する。それは偶然による。そういう偶然がありえたなのは、ハイミスのまま仕事をしていたからだ。もし、ひなたが文ちゃんと結婚していたら、文ちゃんの仕事を支えるために、文ちゃんの実家で嫁として働いていたことになる。
(文ちゃんは)俳優としての人生に見切りをつけ、実家が経営している会社を手伝うことを決心
( → 「カムカム」本郷奏多演じる“文ちゃん”、再登場にファン歓喜 「待ってました」「めちゃくちゃ素敵になってる」 )
文ちゃんは実家が経営している会社を手伝うことになる。その文ちゃんと結婚するのなら、ひなたは若社長の嫁として、会社の仕事を手伝うことになる。そうなったら、映画村に勤務することもできないし、映画村を訪れた1代目の祖母と偶然再会することもできない。それでは、「祖母と孫娘の再会」というクライマックスが成立しなくなる。物語が破綻する。そいつはまずい。
だから、ドラマの都合で、祖母と孫娘を劇的に再会させるために、ひなたは文ちゃんと結婚できないのだ。そして、そういう脚本家の都合で、ひなたと文ちゃんは引き裂かれることになった。
ひなた 「私たち、愛しあっているのに、どうして結婚できないの?」
文四郎 「おれにもわからないんだ」
ひなた 「えー。どうしてよ」
文四郎 「おれはおまえと結婚したいんだが、結婚しないと言わなくちゃならないんだ。何しろ、脚本のセリフには、そう書いてあるんだからな。登場人物は、脚本に書いてある通りに、一意一句違えずにしゃべるしかないんだ」
それが真相だったのである。
[ 付記 ]
仮に私が脚本家だったら、最後の最後には、ひなたと文ちゃんをくっつける。「文ちゃんはデイジーにプロポーズしたが、フラれてしまったので、ひなたのところに戻ってくる」……という筋書きだ。かつての別れから 10年ほどを経て、回り道をしたあとで、ようやく二人は結婚する、という形。
これだと、ちょっと強引だし、つじつまが合わないところもある。だが、細かいことはどうでもいい。これならとにかく、視聴者は納得できるし、完結感がある。将来の4代目を漠然と予感させることで、未来への継続感を持たせて、余韻が生じる。
そして最後に脚本家が、「勝手に別れさせてごめんね」と謝る……ということは、ないけどね。