肝心の話は書き終えたので、最後に付け足しふうに、補足的な話をする。
――
その他
(1) 異種間交雑の有無
異種間交雑について、前項末尾で言及したが、話の途中で終えていた。ただ、原則論を言えば、こうだ。
「異種間交雑はない、と考えていい」
一方、原則への反例として、「ネアンデルタール人との交雑」がある。これについては、「その報告は正しくない」と言える。詳しい説明は、次項で記すので、そちらを参照。
※ ハイイログマとホッキョクグマの交雑はどうか? 「異種間でなく同じ種の交雑である」「亜種の交雑である」ということで片付く。すでに述べた通り。
(2) 人類の祖先
人類の祖先については、前々項でも少し言及した。次のように。
「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の共通祖先というものは、ない。共通祖先と見えるものは、(旧種である)ネアンデルタール人の祖先である。つまり、初期のネアンデルタール人である」
ただ、これだけでは説明が不十分なので、さらに説明を加えよう。
実は、この件については、前に書いたことがあるので、そこから引用・転載しよう。
私は次のように考える。
「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、共通祖先から分岐したのではない。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人から分岐したのだ」
より正確に言うと、こうだ。
ネアンデルタール人は、初期ネアンデルタール人と早期ネアンデルタール人と後期ネアンデルタール人とに分けられる。
初期ネアンデルタール人から早期ネアンデルタール人を経て後期ネアンデルタール人へ至る進化は、1つの種を保っている正常進化である。つまり、両者は「ネアンデルタール人」という種を保っている。
一方、初期ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの進化は、別種の誕生(新種の誕生)という進化であり、種を越える(種を変える)進化である。つまり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとは別の種である。
ネアンデルタールとホモ・サピエンスは、「共通祖先」があったとしても、その「共通祖先」とは、ハイデルベルク人のことではない。初期ネアンデルタール人こそが共通祖先である。ここから、早期ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが誕生したのだ。
そして、こう理解すれば、「ネアンデルタール人は子供のころにはホモ・サピエンスに似ている」といいうことも理解できる。なぜなら、ホモ・サピエンスは、初期ネアンデルタール人が幼形成熟したものだからである。
( → NHK 人類誕生 2(講評): Open ブログ )
早期ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの類似については、Wikipedia に言及がある。
(早期ネアンデルタール人は)時代が古いため、一面では原始的であり、脳容量が小さく、眼窩上隆起が発達するなどの特徴があるが、一方で後に出現したネアンデルタール人よりホモ・サピエンスに共通する特徴が多い。すなわち、頭骨は丸みを帯びて後期のネアンデルタール人より頭高が高く、額のふくらみも発達し、更に上顎骨には犬歯窩が存在する(犬歯窩はホモ・サピエンスになって初めて現れる形質)。
このように、早期ネアンデルタール人には後期ネアンデルタール人よりも進化していたとさえ言える特徴があり、大きな謎とされていた。
現在では、ネアンデルタール人は下部洪積世にホモ・サピエンスと分岐したとされているので、かつて早期ネアンデルタール人の進歩的特長と言われた部分は、ホモ・サピエンスの祖先と分かれて間もない頃の、双方に共通する特徴が残っているものだと考えられている。
( → ネアンデルタール人 - Wikipedia )
これは「二つの(対等な)新種に分岐する」というダーウィン説に基づいた発想だ。だが、カイ進化論に従えば、次のような図式で描ける。
初期ネアンデルタール人は、化石がまだ見つかっていないものだ。これが「共通祖先」とされるが、実は、これはネアンデルタール人の直系の祖先である。したがって、早期ネアンデルタール人や後期ネアンデルタール人は、初期ネアンデルタール人から正常に進化したものだ。
ホモ・サピエンスは、初期ネアンデルタール人が大進化する形で、初期ネアンデルタール人から分岐したものだ。それは、初期ネアンデルタール人の形質を引き継いでいる。特に、初期ネアンデルタール人の幼児期の形質を引き継いでいる。
早期ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、ともに初期ネアンデルタール人の形質を引き継いでいる。それが共通する性質として残っている。(Wikipedia の記述)
ホモ・サピエンスは、特に、初期ネアンデルタール人の幼児期の形質を引き継いでいる。このことからして、ホモ・サピエンスは初期ネアンデルタール人が幼形成熟したものであり、ホモ・サピエンスは初期ネアンデルタール人から新たに分岐した別種なのだ、とわかる。
とすれば、ホモ・サピエンスと初期ネアンデルタール人は、対等に分岐した種ではなく、新種としてのホモ・サピエンスが、旧種としてのネアンデルタール人から分岐したのだ、とわかる。
――
なお、化石的事実は、ダーウィン説にはまったく合致しない。次の事実があるからだ。
・ ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも、あるとき突発的に出現する。それ以前の化石がない。
・ ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも、突発的に出現したあとでは、あまり大きな進化がない。
人類の化石を見る限り、カイ進化論の方が正しいとわかる。ホモ・サピエンスは、最初の化石から 20万年ほどを経ているが、その間、同一種を保っており、別の種に変化してはいない。
ダーウィン説に従えば、その間に、ホモ・サピエンスは別の種になっていてもおかしくないのだが、ずっと一つの種を保ち続けている。途中、分岐して人種差が生じることもあったが、分岐してできた各人種は、いずれもホモ・サピエンスの枠内にとどまっており、新たな種とはなっていない。もちろん、たがいに交雑することも可能である。こうしたことは、ダーウィン説では説明しがたい。
一方、カイ進化論に従えば、何の不思議もない。何十万年たとうと、時間の長さは関係ない。どれほど長い時間がたとうと、一つの種はその種を保ち続ける。仮に将来、ホモ・サピエンスのなかから新種が出現することがあるとしても、それは、単に新種が出現したというだけのことであって、ホモ・サピエンスという種そのものには影響しない。ホモ・サピエンスが別の種に変化するというようなことはないのだ。どれほど長い時間が経過しようと、一つの種はその種を保ち続けるのである。(シーラカンスのように。)
ホモ・サピエンスが 20万年に渡って一つの種を保ち続けたということは、ダーウィン説よりもカイ進化論の方が現実に合致することを意味する。つまり、進化とは、「連続的な変化」ではなくて、「新たな種の追加」なのである。そして、「新たな種の追加」がなければ、そこには進化はないのだ。
――
なお、Wikipedia には、次の記述もある。
約16万年前の更新世東アフリカにて、既知で最初の sapiens 種と考えられる Homo sapiens idaltu(ホモ・サピエンス・イダルトゥ、ヘルト人)が誕生する。この種から約40万年前にネアンデルタール人が分岐した。「約16万年前に出現した種から約40万年前に出現した種が分岐した」というのは矛盾であるが、ネアンデルタール人を生んだのは H. s. idaltu の祖先ということかも知れない。
( → ネアンデルタール人 - Wikipedia )
ここでは、
「約16万年前に出現した種から約40万年前に出現した種が分岐した」というのは矛盾であるが
と自分で書いている。ダーウィン説に従うと、自分でも矛盾しているというような説を繰り出すしかなくなるのだ。
※ ホモ・サピエンスの学名は、ホモ・サピエンス・サピエンスだ。
(3) ホモ・サピエンスの大脳
ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人から進化した。では、どういう進化があったのか?
簡単に思いつくのは、こうだ。
「ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人によりも、体は虚弱になったが、脳が大きくなった。脳が発達したので、進化したと言える」
これはもっともらしい理屈だが、化石的事実には合致しない。なぜなら、脳の容量は、ネアンデルタール人の方が少し大きいからだ。ホモ・サピエンスでは、脳の量はネアンデルタール人よりも少ないのである。
これではうまく説明が付かない。困った。どうする?
そこで、困ったときの Openブログ。うまいアイデアを出そう。こうだ。
「ホモ・サピエンスでは、脳の容量全体は減ったが、大脳の量は増えた。その分、他の脳の量は減った。特に、嗅脳の量が減った」
嗅脳の量が減ったから、大脳の量が増えたのである。一方が減って、一方が増えたとなると、帳尻が合う。
なお、嗅脳が縮小したことについては、次の記述がある。
嗅脳(きゅうのう)は、大脳半球の底の部分から側頭葉にかけて存在し、嗅覚に関係する領域である。嗅球、嗅索、嗅三角などからなる前部と、前有孔質と終板傍回からなる後部にわけられる。古皮質に属し、下等な動物や爬虫類や両生類ではよく発達し広く占める。鳥類や哺乳類では他の皮質に被われている。ヒトでは著しく退化している。
( → 嗅脳 - Wikipedia )
では、「嗅脳が縮小して、大脳が発達する」というような、都合のいい進化は、どうして起こったのか? そんな突然変異(一方が縮小して一方が拡大する)は、あまりにも好都合であり、その二つが同時に起こるという偶然はありえそうにないのだが。
これについては、先の「ミュー進化論」を適用できる。こうだ。
「最初は嗅脳の縮小だけがあった。嗅脳が大幅に縮小した。そのような生物は、通常はすぐに滅びてしまうはずだが、人類においては、すでに文化が発達していたので、鋭い嗅覚に頼らずとも生きていけるようになった。こうして嗅脳の縮小した個体集団が生き延びていた。すると、その個体集団のなかで、突然変異により、大脳が拡大した個体が誕生するようになった。その個体は少しずつ大脳が拡大していって、やがては大きな大脳を獲得するようになった」
ここでは、次の経路があった。
嗅脳の縮小 → 大脳の拡大
嗅脳が縮小するのは、ちょうど、鰭が消失したり、前肢が消失したりするようなものだ。そのこと自体は不利である。しかし不利であってもかろうじて生きていれば、そのあとで、そこから大幅に進化することが可能となる。かくて、嗅脳が縮小したあとで、大脳が拡大できた。……ちょうど、鰭が消失したあとで、足が生えるように。あるいは、前肢が消失したあとで、翼が生えるように。
以上のことから、人間の嗅脳が大幅に退化していることの理由が説明できる。なぜ人間では、嗅脳が大幅に退化しているのか? それは、嗅脳が大幅に退化したことで、大脳を拡大できたからだ。
その一方で、ネアンデルタール人の方は、嗅脳の縮小がなかった。だから、大脳の拡大がなくて、知性の発達が不十分となった。……そのことが、最終的に、ホモ・サピエンスとの生存競争における敗北につながった。(ネアンデルタール人の絶滅。)
――
《 注1 》
次の記事がある。
ヒトを始めとした昼行性のサルたちは、不要となった嗅覚受容体遺伝子を次々と眠らせていきました。ヒトでいえば元来802あった嗅覚受容体遺伝子のうち、414はもう機能していません。
( → [第124回]ヒトとは視覚を発達させ、嗅覚を退化させた「か弱きサル」である )
《 注2 》
次の記事もある。
研究グループは、24種の霊長類のゲノムの嗅覚受容体(OR)遺伝子を分析し、その退化のシナリオを明らかにした。
解析の結果として、霊長類を大きく曲鼻猿類(鼻腔の曲がっているサル)と直鼻猿類(鼻腔の真っ直ぐなサル)に分けたとき、前者は後者の2倍のOR遺伝子を持っていることが分かった。
( → 霊長類の嗅覚はいかにして退化していったか、東大とJSTの研究 | 財経新聞 )
――
上の 《 注1 》《 注2 》からして、嗅脳の退化は、ホモ・サピエンスに限らず、霊長類の初期からずっと続いていたようだ。肉食動物と草食動物では足跡の匂いを嗅ぐ能力が重要だったが、樹上生活を送る霊長類ではその必要度が下がったせいだろう。
とすると、ネアンデルタール人の段階で、すでに嗅脳はかなり退化していた可能性もある。とはいえ、犬の嗅覚は人間の 3000倍〜 100万倍(または1億倍)とも言われている。人間の嗅覚は圧倒的に退化している。ここまでひどく退化しているとなると、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスの段階でも、かなり大幅な退化があったと見てよさそうだ。
※ ただし「そうだ」と断言はしない。
(4) 将来の人類
将来の人類はどのように進化しているだろうか? 人類が進化するとしたら、どういうふうに進化するだろうか?
これに対して、「巨大な大脳をもつように進化する」という見解がある。なるほど、それはもっともらしい。
「初期の猿人から、ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスを経て、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスへと進化してきたが、その過程では常に脳の容量の拡大があった。だから将来の人類はいっそう大きな脳容量を持つはずだ」
という発想である。この発想自体は間違っていない。
しかし、注意。このような進化では、いずれも「新たな種が発生する」という形で進化が起こった。一つの種が徐々に変化していったのではない。したがって、将来、脳容量の拡大したホモ族の新種が出現することはあるとしても、それは、ホモ・サピエンスではなくて、別の種類の人類なのである。
それを「ホモ・ネオサピエンス」と呼ぶことにしよう。その新種は、脳容量が 2000cc ぐらいあって、ホモ・サピエンスに対する知力は IQ 250 ぐらいになるかもしれない。将棋をすれば新種の全員が藤井聡太以上であって、人類を一蹴してしまう、という感じだ。
このような新種が出現することはありえなくもないが、その場合、その新種は「将来のホモ・サピエンス」ではない。それは、われわれ人類の将来の姿となっているのではない。むしろ、われわれ人類を滅ぼすものの姿である。その新種が出たとき、ホモ・サピエンスは、かつてのネアンデルタール人のような立場に置かれる。直接的には滅ぼされることはなくとも、しだいに勢力を失い、いつかは滅びることになる。
そのとき、新たなホモ・ネオサピエンスの歴史教科書には、「かつて地球上に存在していた原始的な祖先種」という形で、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが併記されるのである。
――
なお、新たなホモ・ネオサピエンスがどのように出現するかについては、推察が付く。
この件については、過去記事が参考になる。
→ 日本人の顔は平たいのはなぜか? : Open ブログ
ホモ・サピエンスの脳容量には、「母体の産道の狭さ」が制限を与えている。いくら脳容量を拡大したくても、参道が狭いので、それを通れるギリギリの容量になっている。これ以上、脳容量が拡大すると、産道を通れなくなって、誕生できなくなってしまうのだ。
これを回避するには、産道が大きくなればいい。そのための方法は、二つある。
・ 母体の全身が巨大化する。(女性の身長が 180cm ぐらいに)
・ 腰や胎盤が安産型に巨大化する。(下半身だけの巨大化)
このいずれであってもいい。あるいは双方の兼用であってもいい。そのことで、産道が巨大化すれば、赤ん坊の脳容量も3割ぐらいの拡大が可能だ。
なお、以上の話は決して、荒唐無稽な与太話ではない。裏付けとなる事実がある。それは人類の脳容量の人種差だ。
1,450 以上 cm3
1,400-1,449 cm3
1,350-1,399 cm3
1,300-1,349 cm3
1,250-1,299 cm3
1,200-1,249 cm3
次 1,200 cm3
人が住んでいない
出典: - Wikimedia Commons
この図によれば、寒冷な土地ほど、脳容量が大きい。
一方で、「寒冷な土地ほど、体が大きい」という傾向がある。( → ベルクマンの法則 )
この二つを合わせると、「寒冷地に住む人々は、体が大きくて、脳容量が大きい」というふうに結論できる。したがって先の推定の裏付けとなる。
《 加筆 》
ただし、あとで考え直すと、このような進化は、ただの小進化で済むかもしれない。もし小進化で済んで、かつ、交雑が可能であるとすれば、これはホモ・サピエンスと同一種の亜種だということになる。その場合には、これは「将来の人類」と見なすことができる。
( ※ 先の結論とは反対の結論。……話は確定していないですね。)
(5) ミュー進化論との違い
カイ進化論は、ミュー進化論と違うが、どう違うか? それは、新種の誕生の仕方だ。
カイ進化論では、「不利な遺伝子が組み合わさることで、有利な形質に転じる」という逆転が起こる。
ミュー進化論では、遺伝子がいったん休止して偽遺伝子になったあとで、その偽遺伝子が(発現しないまま)多様な変異をなす。そのあと偽遺伝子が発現することで、偽遺伝子が遺伝子に転じる。そのとき、この新たな遺伝子がたまたま有利な形質をもつと、新種となって増えていく。
この二つの進化論では、新種の遺伝子のでき方が異なる。ミュー進化論では、特別に大規模な突然変異が起こる。カイ進化論では、突然変異は特に大きなものは必要とされず、それまで旧種の中にあった多様な遺伝子を利用するだけで足りることが多い。(とはいえ、何らかの意味で、「ちょっと風変わりな遺伝子が誕生した」ということが、きっかけになることも多いだろう。たとえば、「極端に首が長くなる遺伝子」というようなものだ。こういう風変わりな遺伝子ができると、そのあとは、元の集団のなかにあった「足が長い」という遺伝子を利用することで、「新種の核」ができる。)
したがって、この二つの進化論は「どちらが正しいか」というような対立関係にはない。それぞれ、適用対象が異なるだけだ。
ミュー進化論が適用されるのは、これまでのところ、「器官の消失が大進化をもたらした」という特別な場合だけなので、「鰭の消失による四肢の出現」と「前肢の消失による翼の出現」という2例があるだけだ。それ以外のほとんどすべては、カイ進化論だけが当てはまる。
(6) ゲーム理論との類似
カイ進化論では、「劣者の組み合わせが優者に転じる」という逆転がある。これは、2行2列の行列におけるマトリックス淘汰で理解できる。
これに似ている理論がある。それはゲーム理論だ。特に、「囚人のジレンマ」だ。
「二人の囚人が、それぞれ自己にとって最善の選択肢を選ぶと、結果的に、双方にとって最悪の結果に至る」
というふうになる。ここでは、
「各人が最適の選択をすると、全体もまた最適の状態になる」
という市場原理の話が成立しない。
このことは経済学では、「パレート最適ではない」というふうにも表現されるし、「合成の誤謬」というふうにも表現される。
その意味で、カイ進化論の原理は、特別な原理ではない。むしろこの世界にはしばしば起こるような、もう一つの原理である、と言える。
[ 付記 ]
カイ進化論の名称について説明しておこう。
カイ進化論というのは、もともとは「クラス進化論」と呼ばれていたものなので、クラス進化論の異称であると言っていい。
ミュー進化論という言葉ができたので、それにちなんで、新たに命名し直した。
名前の由来は、ギリシャ文字の χ (カイ)である。英語では khi となる。
ギリシア文字のうち、どうしてこの文字にしたかというと、ギリシア文字の χ という文字は、ローマ文字の X という字に相当するからだ。なぜ X かというと、「クラス進化論」における「クラス交差」の概念が「交差」crossing にあたるからだ。
つまり、まずは cross に該当する X というローマ字をとり、それに相当するギリシア文字の χ を採用する、というわけだ。
ミュー進化論とカイ進化論との、両方を合わせた名称としては、「不連続進化論」と呼ぶことにしたい。
――
なお、カイ進化論の中身はクラス進化論そのものなので、クラス進化論の話を読みたければ、下記サイトを参照。
→ http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/
※ カイ進化論の話はこれで終わりです。 【 シリーズ終了・全4回 】