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前項では、遺伝子の ON/OFF という概念を示した。遺伝子は ONになっている(発現する)こともあり、OFF になっている(発現しない)こともある。
遺伝子が働くのはいつかというと、個体発生のときにも遺伝子は働くが、日常的な生命活動においても何らかの遺伝子が働いている。たとえば、細胞が新陳代謝していく過程では、新たな細胞が常に作られているが、そこでは細胞の形成のために遺伝子が働いている。
また、病気になると、免疫が働くが、そこでも免疫物質を作るために遺伝子が働いている。
このように、遺伝子は日常の生命活動の全般で働いている。その意味で、「遺伝子」は「生命子」と呼んでもいい。……このことは、前にも記したことがある。
→ 生物と遺伝子 (その2): Open ブログ
→ 遺伝子の意味(生命子): Open ブログ
→ 遺伝情報と生命情報: Open ブログ
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さて。以上は一般論だが、本項では特に、コロナについて考えよう。コロナで重症化すると、肺炎になる。肺炎では、サイトカインストームで、肺の組織がボロボロになることがある。ここでは、病原体としてのウイルスが肺の組織を攻撃するのではなく、患者本人の組織が自分自身を攻撃する。(一種の自己免疫である。)
では、どうしてこういうことが起こるのか?
そのことを考えるのには、サイトカインストームを止める薬物を考えるといい。サイトカインストームを止めるのは、ステロイドである。特に、デキサメタゾンというステロイドである。
そして、ステロイドというのは、一般に免疫抑制剤である。免疫抑制剤というのは、遺伝子に作用して、遺伝子が免疫物質を作るのを抑制する(阻害する)ものである。
通常なら、異物が体内に入ると、異物を攻撃しようとして、免疫物質がつくられる。その免疫物質を作るように指示するのは、遺伝子である。
ところがサイトカインストームの場合には、異物ではなく自分自身の肺を「異物だ」と誤認して、自分自身の肺を攻撃するための免疫物質が作られる。ここでは遺伝子が暴走状態にある。そこで、この暴走状態にある遺伝子を抑制するのが、ステロイド(デキサメタゾン)だ。
免疫抑制剤(遺伝子抑制剤)であるステロイドが有効であることからして、サイトカインストームが起こるのは遺伝子の暴走のせいだ、とわかる。ここでは遺伝子が過剰に ON になっている。そこで、その遺伝子の働きを抑制するのが、免疫抑制剤(遺伝子抑制剤)であるステロイドだ。
このようにして、ステロイドには遺伝子の発現を調節する機能があるとわかる。
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なお、遺伝子の発現を調節する物質は、ステロイドだけではない。遺伝子の発現に影響する物質は、非常に多様にある。さまざまな物質に対応して、そのたびにさまざまな遺伝子が作用したり作用しなかったりする。
このように、遺伝子の発現の ON/OFF は、しばしばひんぱんに切り替えられるである。(日常の生命活動で。)
一方、個体発生の過程では、遺伝子の発現の ON/OFF はほぼ一意的に定められている。「これが発現したあとでは、次にこれが働く」というふうに、遺伝子の発現の順序はきちんと定まっている。
ところが稀に、そこにエラーが起こることがある。本来ならば発現するはずの遺伝子が発現しなくなる。それにともなって、それ以後の遺伝子もすべて発現しなくなる。……こういうふうにして、「鰭の消失」や「前肢の消失」が起こることになる。
なお、このような突然変異は、明らかに不利な形質をもたらす。「奇形」とも言えるほどだ。そのような個体は、通常は、環境において生き延びることはできない。ところが、特別なニッチでは、不利な形質をもつ奇形の個体が、何とか生き延びることができることもある。(淘汰圧が低い場合。)
そうしているうちに、いつしか、眠っている偽遺伝子に多種多様な試行錯誤がなされる。そしていつか、鰭に替わる四肢が出現したり、前肢に替わる翼が出現したりする。……こうして大進化が起こる。
ここでは、遺伝子の発現が偶然によって左右される。それは、ステロイドによる作用とは異なるものだ。とはいえ、遺伝子の発現が外部要因によって影響を受けている、という点では、どちらも同様だ。
遺伝子の発現は決して固定的なものではない……ということを理解する点で、ステロイドの機能に着目すると、いくらか理解が深まるだろう。
[ 付記 ]
ステロイドの作用機序については、次の説明が有益だ。
作用の発現機構(細胞内動態):ステロイドは細胞膜を透過し, 細胞質の glucocorticoidreceptor 蛋白(GR)と結合する. 結合により活性型になった GR は, 核に移行し複数の標的遺伝子 DNA または転写制御因子に結合し, 様々な遺伝子発現を誘導あるいは抑制する. ステロイドを用いて, これら遺伝子発現を薬理学的に調節しようとするとき,GR が結合すべき標的 DNA の部位と転写制御因子の数は, 炎症細胞の遺伝子活性化に伴って増すと考えられる.
( → ステロイド、免役抑制・調節薬の作用機序と副作用 )
[ 補足1 ]
本項では特に、ステロイドという物質の機能に着目した。
一方、遺伝子レベルでは、ゲノム上の塩基配列に注目して、次のように説明される。
ゲノム上で、タンパク質をコードしている領域をエクソン(exon)といい、コードしていない領域をイントロン(intron)という。
転写時には、プロモーターという部分から始まり、コドンという部分で終わる。
遺伝子の発現の調節は、転写のところでも起こるが、転写後に修飾やプロセッシングを受けることによっても起こる。
これらの話は、分子生物学的な細かな話になるので、本項では特に論じない。もうちょっと知りたければ、下記を見るといい。
→ 遺伝子の発現と遺伝子工学
[ 補足2 ]
DNA は、(二重らせん構造をもつ)一本の細い糸状の物質だが、通常は幾重にも折り畳まれて、一つのかたまりとなっている。このかたまりが染色体(クロマチン)だ。
出典:Wikipedia
かたまっている状態では、塩基のコードを読み取れないので、遺伝子は発現しない。かたまりがほぐれて、一本の糸状になると、塩基のコードを読み取れるようになり、遺伝子は発現する。……このことは、下図で説明される。
[ 図1 ]
ヒトの場合、全長約2メートルにもなるDNAは、糸巻きの芯のようなヒストンと呼ばれるタンパク質に約2回巻きついた構造体(ヌクレオソーム)(図1左)をしています。これがわずか直径数マイクロメートルの細胞の核の中に、コンパクトに収納されています。通常、DNAがしっかりとヒストンに巻き付いている時は、遺伝子情報を読み取ることができません。DNAから相補的なRNA(リボ核酸)をコピーするRNAポリメラーゼ4)分子がDNAから遺伝情報を読み取るには、まずDNAがヒストンから剥がされる必要があります(図1右)。
( → 遺伝子発現のカギはDNAのねじれ方 −ヌクレオソームの全原子の挙動を計算、DNAの性質を明らかに− - 量子科学技術研究開発機構 )
[ 補足3 ]
次の説明もある。
ヒストンメチル化
ヒストンのメチル化は、ヒストン分子のアルギニンやリジン残基に生じ、遺伝子発現の促進、抑制、どちらにも働きます。例えば、Set1というヒストンメチル化酵素がヒストンH3の4番目のリジンをメチル化すると、遺伝子の発現が促進されます。一方、Suv39h1などのヒストンメチル化酵素によって9番目のリジンがメチル化されると、HP1と呼ばれるタンパク質が結合し、ヌクレオソームが凝縮し、ヘテロクロマチンの形成が促進されるため、転写が抑制されます。ヒストンメチル化酵素も多くの種類があります。
( → ヒストン修飾とは? | MBLライフサイエンス )