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「平和を愛好して戦争に反対する」という理由で、「敵が攻めてきても暴力を行使せず、無抵抗主義を貫く」という立場がある。それは米国のような国が相手ならば、成立するだろう。だが、ロシアのような国が相手なら、どうなるか? そのことは、今回の戦争で明らかになったと言えるだろう。
まず、このことをテーマにしたのは、朝日新聞の記事だ。
→ 戦うべきか、戦わざるべきか ウクライナ侵攻が問う戦後日本の平和論 :朝日新聞
ここでは、二つの論調が紹介されている。
(1) 無抵抗主義
無抵抗主義者の意見がある。記事にはこうある。
侵略者に占領されれば、過酷な弾圧や投獄、処刑などの仕打ちにあう恐れもあります。 …… あくまでも非暴力的抵抗を貫くべきだと思います。 …… 武器を取るか投獄されるかを選ぶなら、とても嫌ですが、私は投獄を選ぶでしょう。
「戦うよりは投獄される方がマシだ」という立場だ。
なるほど、これは米国のような国が相手ならば、十分に成立する立場だろう。実際、第二次世界大戦では、日本はさっさと降伏するべきだった。
※ 現実の軍隊では、不服従は銃殺されるので、「投獄する方がマシだ」という主張は成立しない。「戦うよりは銃殺される方がマシだ」という主張ならば成立するが、そう主張するのはもはや狂人である。無抵抗主義者というのは、(戦わなくても生きられると)勝手に妄想しているだけだとも言える。
(2) 抵抗主義
逆に、現在のウクライナ国民は、徹底して抵抗する方針を取っている。この方針を妥当だと見なす人が多い。記事にはこうある。
(戦うことを主張した)ゼレンスキー氏の判断を、国際政治学者の多くは妥当だと考えています。すでに、ロシアが占領していた地域で多くの人々が虐殺されたことがわかっています。降伏した場合の占領下での犠牲者が、戦った場合の犠牲者より確実に少ないとは言えません。
キーウ周辺のブチャやイルピンなどでは、大量虐殺があったことが報道されている。
→ ウクライナ 虐殺 - Google 検索
無抵抗の市民は単に虐殺されるだけだ。それが無抵抗主義の結果だった。
同様に、次の報道もある。
路地に暮らす元看護師スベトラーナ・ルデンコさん(70)の家には、ロシア軍が押し入ってきた。ルデンコさんはロシア出身で、ロシアの旅券を持っている。それを見せてロシア語で話しかけると、兵士は何もしなかった。「一方で、ウクライナ語を話す若者は軒並み殺された」と語る。
( → 道路脇にあふれる、真新しい墓 ウクライナ・ブチャ:朝日新聞 )
ロシア語で話しかければ助かるが、ウクライナ語を話すと軒並み殺される。それがウクライナの現実だ。
こういう状況では、無抵抗主義は「 100%の死」を意味するだけだ。一方、抵抗すれば、いくらかは助かる可能性がある。
なのに、「無抵抗主義」を唱えることは、あまりにも愚かだというしかない。
敵を信じて、白旗を掲げて前進したら、銃弾を浴びて蜂の巣になった……という小話がある。ウクライナでは、この小話が現実と化した。ブチャでは、白旗をもちながら横たわっている虐殺死体がいくつも見つかっている。抗わないで白旗を掲げる無抵抗主義は、ここでは「単に死期を早めること」を意味するだけなのだ。
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では、どうしてこうなったか?
それは、米国とロシアとは、文明の段階が異なるからだ。
第二次大戦中の米国は、世界で最も豊かな国であり、音楽や映画などの文化は日本よりもずっと進んでいた。戦争直前まで、日本社会は米国文化に憧れていた。
→ 日米戦争開始の分岐点: Open ブログ
つまり、敵はずっと優れた文明人だった。
一方、ロシアは逆だ。今回、ロシア人兵士がウクライナに来て、みんなびっくりしているそうだ。
「どの家にも電子レンジやパソコンがある」
「トイレが家のなかにある」
というのを見て、自分の家よりもずっと文明的であることに驚いている。
その一方で、ウクライナ人の家に入ってから、やたらと強姦をする。
こういうのは、もはや文明人とは言えない。
この点については、前にも述べたことがある。
ロシア人は意外なことに、文明から隔絶した原始的な非文明人なのである。
( → ウクライナ戦争 24(未来): Open ブログ )
つまり、「基本的人権」「民主主義」「法治主義」という概念がないのであって、もはや文明国ではないのだ。
( → ウクライナ戦争 28(兵器供与1): Open ブログ )
ロシア人は、とうていは文明人とは言えない。「話が通じない」のである。共通の思考基盤がないのだ。その意味では、ほとんど未開な野蛮人社会の人間だと言える。
とはいえ、これはロシア人特有の発想だとは言えない。
・ アメリカ人は、北米のインディアンを大量虐殺した。
・ オーストラリアに来た英国人は、アボリジニを大量虐殺した。
・ 中米に来たスペイン人は、インカ帝国民を大量虐殺した。
・ 日本だって、戦国時代には、降伏した敵の武士を大量虐殺したことがあった。
「敵もまた同じ人間である」という近代的な発想は、意外なほど新しい発想なのである。20世紀にはそういう発想が普及したが、それ以前には「敵は絶対的な敵であって、滅ぼすものである」という発想が普通だった。シェークスピアの悲劇を見ても、同種の残酷な発想が多く見て取れる。(これは 16〜17世紀の物語だが。)
ともあれ、ロシア人というのは、文明社会の人間ではない。彼らはほとんど「地球を滅ぼすエイリアン」と同種の存在である。話が通じないのだ。そういう相手の前に、のこのこと姿をさらせば、単に死期を早める結果にしかならないのだ。
[ 付記 ]
ではどうすればいいか? 武器を持たない一般の市民に、何ができるか?
実は、ただの包丁でさえ、人を殺すには足りる。一流の武闘家でさえ、「刃物をもつ人間には近づくな」と言っている。それほどにも刃物というのは危険な殺傷能力をもつのだ。
一般の市民であれば、刃物をこっそり隠してから、弱々しくふらついてから、いきなり相手に抱きついて、それと同時に刃物で突き刺す……というふうにすれば、敵を殺すことも可能だ。
あとは策略しだいである。いかにもおとなしい様子を見せかけて、相手を油断させて、食料を提供する……というふうにしてから、こっそりといきなり刃物で突き刺せば、相手はまず避けられない。
なお、今はコロナの時期なので、「私はコロナです」と言って、ゴホゴホと咳をすれば、相手は近づこうとしないだろう。
ただの市民の場合には、演技と策略が、おのれの生死を決める。
[ 余談 ]
「ポンペイ」という映画がある。火山の噴火で都市が火山灰で埋没するが、その直前を描いた映画。そこでは戦争があり、負けた側は全員が虐殺される。
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ロシア人がいかに異質であるかを伝えるツイート。日本人とロシア人の会話。ロシア社会がおよそ理解不可能な社会であると、ロシア人が語る。その人はカナダへの留学経験者だから、不可解さがわかる。
→ https://twitter.com/kobayashi_niki/status/1505506935923408900